第16話「美咲がいない街」
美咲が消えて三週間。
俺は仕事へ行かなくなった。
有給。
欠勤。
会社から電話。
出なかった。
カーテンも開けない。
復讐ノートだけが、
テーブルにある。
正臣。
最後の名前。
そこへ辿り着けば、
すべて終わる。
そう思っていた。
でも今は。
終わったあとに誰もいない。
それでも――
止まれなかった。
相沢が来た。
「美咲ちゃんから頼まれた」
玄関を開けなかった。
「帰って」
「三上君」
「帰れ」
「美咲ちゃん、元気だよ」
扉を開けた。
相沢が立っていた。
「どこにいる」
「教えない」
「何しに来た」
「これ」
封筒。
美咲から。
「本人から送ればいいだろ」
「送ったら居場所を探すでしょ」
否定できなかった。
相沢は帰った。
俺は封筒を開けた。
便箋。
美咲の字。
『お兄ちゃんへ。』
読むのが怖かった。
それでも読んだ。
『怒ってないよ。』
最初の一文で涙が出た。
『嫌いにもなってない。』
『でも今のお兄ちゃんと一緒にいると、私まで十五年前に戻ってしまいます。』
『だから少し離れます。』
『私は、お兄ちゃんが私を守れなかったなんて思ってない。』
指が止まった。
『お兄ちゃんは十四歳だった。』
『子供だった。』
『私を助ける責任なんて、本当はお兄ちゃんにはなかった。』
涙で文字がぼやける。
十五年間。
俺は自分を責めた。
守れなかった。
場所を教えた。
兄なのに。
でも。
『守らなきゃいけなかったのは、大人たちだった。』
俺は便箋を握った。
『だからもう、自分を罰するために復讐しないで。』
その文章だけ、
何度も読んだ。
自分を罰するため。
俺は正臣を罰したいのか。
それとも――
自分を罰したいのか。
『お兄ちゃんが刑務所に入っても、死んでも、私は救われない。』
『また一人、大切な人を失うだけです。』
最後。
『私は未来に行きます。』
『いつか、お兄ちゃんも来てください。』
手紙を胸に当てた。
声を出して泣いた。
十五年前でも、
復讐を始めてからでもなく。
初めて泣いた気がした。
翌朝。
復讐ノートをゴミ袋へ入れた。
USBも。
写真も。
全部。
玄関まで持っていった。
そこで止まった。
正臣の顔が浮かんだ。
『俺を殺しても、美咲さんの十五年は戻らない』
分かっている。
分かっているのに。
身体が動かない。
十五年間。
これだけを目的に生きてきた。
捨てたら。
俺には何が残る?
仕事。
家族。
未来。
何もない。
俺が自分で捨ててきた。
復讐を手放すことは、
十五年間の自分が無駄だったと認めることだった。
それが怖かった。
結局。
ゴミ袋を部屋へ戻した。
その日の夜。
村瀬から連絡。
『正臣さん、明日警察へ行くらしい』
俺は画面を見た。
『自分から全部話すって』
心臓が速くなる。
正臣まで、
俺より先に終わろうとしている。
佐伯も。
藤堂も。
久我も。
村瀬も。
みんな勝手に罪を認めて、
勝手に前へ進む。
俺だけ置いていかれる。
そんな気がした。
おかしい。
分かっている。
でも止まらない。
俺は正臣へ電話した。
『はい』
「明日警察行くんですか」
『ああ』
「逃げるんですね」
沈黙。
『どういう意味だ』
「警察に捕まって終わりにする」
『三上君』
「俺から逃げるんだ」
『違う』
「じゃあ会ってください」
『……』
「最後に」
正臣が長く黙る。
『分かった』
「場所は」
俺は言った。
十五年前。
美咲がいた、
あの空き家。
今は取り壊し直前で、
立入禁止になっている場所。
正臣は息を呑んだ。
『そこでなければ駄目か』
「駄目です」
『分かった』
通話終了。
俺は椅子に座った。
美咲の手紙を見る。
『未来に行きます。』
俺は手紙を畳んだ。
「ごめん」
誰に謝ったのか。
分からなかった。
ただ。
明日の夜。
俺は十五年前の場所へ戻る。
そして、
すべてを終わらせる。
そのつもりだった。
――第16話 END




