第14話「三百万円の男」
藤堂正臣は、
六十二歳になっていた。
会社はまだ残っていた。
昔ほど大きくはない。
地域の名士。
元PTA会長。
表彰歴。
慈善活動。
ホームページには笑顔の写真。
『子供たちの未来のために』
俺はしばらく画面を見たあと、
笑った。
この物語に出てくる人間は、
みんな同じことを言う。
子供のため。
家族のため。
学校のため。
誰かのため。
そして最後に、
傷ついた人間だけが残る。
会社へ電話した。
「三上蓮と申します」
受付が取り次ぐ。
数秒後。
正臣本人。
『……三上?』
覚えていた。
「会えませんか」
沈黙。
『用件は』
「十五年前」
さらに沈黙。
『明日、午後三時』
逃げなかった。
そのことが、
逆に腹立たしかった。
応接室。
正臣は俺を見ると、
静かに頭を下げた。
「大きくなったな」
最初の言葉。
俺は座らなかった。
「それ、被害者に言う言葉ですか?」
「……そうだな」
「三百万円」
正臣の表情が動く。
「覚えてます?」
「覚えている」
「母に渡した」
「見舞金だ」
「口止め料だろ」
正臣は何も言わない。
「違いますか」
「結果的には、そう受け取られても仕方ない」
その言い方。
「結果的に?」
俺は笑った。
「便利ですね」
「三上君」
「君って呼ばないでください」
正臣が黙る。
「美咲の名前、覚えてます?」
「もちろん」
「顔は?」
正臣の目が揺れた。
「覚えている」
「夢に出ます?」
答えない。
「俺は出ます」
「なぜ隠した」
俺は聞いた。
正臣は机の上で手を組んだ。
「翔太を守ろうとした」
「それだけ?」
「最初は」
「最初?」
正臣は話した。
空き家へ着いたとき、
予想以上に酷い状況だった。
息子が人生を壊す。
そう思った。
だから警察を避けた。
学校を巻き込んだ。
証拠を消した。
「全部認めるんですね」
「ああ」
「罪悪感は?」
「ある」
「十五年?」
「ああ」
「なら何で警察行かなかった」
正臣は俺を見る。
「怖かったからだ」
同じだ。
みんな。
怖かった。
「会社を失う」
正臣は言う。
「家族を失う。信用を失う」
「美咲は全部失った」
「分かっている」
「分かってねえよ!」
俺は机を叩いた。
正臣は動かなかった。
「分かってたら十五年も黙れない!」
「そうだな」
「認めれば済むと思ってんのか!」
「思っていない」
何を言っても、
受け止める。
それが腹立たしかった。
「俺が何しに来たと思います?」
正臣は俺を見る。
「復讐だろう」
身体が固まった。
「……なぜ」
「翔太から聞いた」
息子は父親に話していた。
俺が戻ってきたこと。
久我。
石田。
佐伯。
全部。
「怖いですか?」
正臣は少し考えた。
「怖い」
初めて、
気持ちが動いた。
「もっと怖がってください」
俺は言った。
正臣の目を見た。
「美咲が十五年怖かった分」
「それで君が救われるなら」
その言葉で、
頭に血が上った。
「そういうこと言うな!」
正臣が驚いた。
「いい人みたいな顔すんな!」
俺は正臣の胸ぐらを掴んだ。
「俺に復讐させろよ!」
口から出た。
自分でも意味が分からなかった。
正臣は俺の手を振りほどかなかった。
「三上君」
「呼ぶな!」
「俺を殺したいのか」
空気が止まった。
俺は答えられなかった。
正臣は続けた。
「それをすれば、今度は君が美咲さんを苦しめる」
手を離した。
一番言われたくない人間から、
一番言われたくないことを言われた。
帰り際。
正臣が封筒を差し出した。
また金かと思った。
違った。
中には手紙。
十五年前に正臣が保管していた書類のコピー。
学校とのやり取り。
示談書案。
写真。
そして、
一枚のメモ。
佐伯の字。
『藤堂父より、事件について校内で共有しないよう要請あり』
証拠だった。
「なぜ今」
「警察にも渡す」
「今さら」
「ああ」
正臣は言った。
「今さらだ」
そして。
「三上君」
俺は振り返る。
「君が俺を許す必要はない」
「当たり前です」
「でも」
正臣は俺を見る。
「俺を殺しても、美咲さんの十五年は戻らない」
「分かってます」
「本当に?」
俺は答えなかった。
会社を出た。
外は明るかった。
普通の人が歩いている。
車が走っている。
世界は何も変わっていない。
正臣は、
俺が想像していた悪魔ではなかった。
ただの弱い男だった。
息子を守るため、
他人の子供を犠牲にした。
それだけ。
それだけなのに。
俺は思った。
だからこそ許せない。
怪物なら、
理由がある。
でもこいつは、
普通の人間のまま――
あれを選んだ。
その夜。
復讐ノートの正臣のページ。
俺は赤いペンで書いた。
最後。
――第14話 END




