第10話「笑っていた男」
石田亮介は、
昔から手を汚さなかった。
藤堂が俺を殴る。
久我が蹴る。
村瀬が撮る。
石田は笑う。
それだけ。
だから当時の俺は、
四人の中では一番ましだと思っていた。
十五年経って、
ようやく分かった。
笑って見ている人間は、無関係じゃない。
石田は不動産会社で働いていた。
妻。
小学二年生の息子。
SNSには家族写真が並んでいる。
俺は会社前で待った。
午後七時。
石田が出てきた。
「石田」
振り返る。
俺を見る。
表情が凍る。
「……三上?」
みんな覚えている。
忘れたふりをしているだけだ。
「話がある」
「俺はない」
石田は歩き出した。
俺は追った。
「久我が警察へ行った」
足が止まる。
「村瀬も」
石田が振り返った。
「何が目的だ?」
「聞きたいだけ」
「何を」
「美咲に何をした」
「俺は何もしてない」
即答。
「動画あるよ」
石田の顔色が変わった。
俺はスマートフォンを見せた。
十五年前。
石田の笑い声。
『もっとやれよ』
そこまで再生して止めた。
「それでも何もしてない?」
石田は黙る。
「お前……何がしたい?」
「謝って」
「は?」
「今ここで」
「ふざけんな」
「十五年前の俺たちに謝れ」
石田は周囲を見た。
「こんなところでできるか」
「じゃあ場所変える?」
「そうじゃねえ」
俺は気づいた。
こいつが怖いのは、
罪じゃない。
人に知られること。
それだけだ。
近くのファミリーレストラン。
石田は水を何杯も飲んだ。
「俺、触ってないからな」
最初に言った。
「何を?」
「美咲ちゃん」
「じゃあ笑ってただけ?」
「……」
「楽しかった?」
「ガキだったんだよ」
またそれ。
「十四歳なら何してもいいの?」
「そんなこと言ってない」
「じゃあ何」
石田は苛立った。
「俺だって後悔してる!」
「十五年間?」
「そうだよ!」
「何回思い出した?」
「何?」
「美咲のこと」
答えられない。
「一年に一回?」
「……」
「五年に一回?」
沈黙。
「今日俺を見るまで忘れてた?」
石田の目が泳ぐ。
それが答えだった。
俺は笑った。
「いいな」
「何が」
「忘れられて」
そのとき。
石田のスマートフォンが鳴った。
画面。
『妻』
石田は切った。
再び鳴る。
「出れば?」
「いい」
「子供待ってるんじゃない?」
石田が俺を見る。
「家族は関係ない」
その言葉。
俺の胸の奥で、
何かがゆっくり黒くなった。
「俺の妹も関係なかったよ」
石田の顔が固まる。
「……何が言いたい」
「何も」
俺は立ち上がった。
「もういい」
「待て」
石田が腕を掴んだ。
「動画どうする」
「さあ」
「三上!」
「家族は関係ないんだろ?」
「そうだ」
「なら堂々としてればいい」
俺は店を出た。
翌朝。
俺は動画を公開しなかった。
会社にも送らなかった。
妻にも送らなかった。
その代わり、
警察と弁護士に渡した。
自分でも意外だった。
家族を巻き込むところだった。
美咲にあれほどされたことを、
俺がやろうとしていた。
まだ、
戻れる。
そう思った。
だが午後。
知らない番号から着信。
石田だった。
『お前、妻に何言った』
「何も」
『嘘つけ!』
「本当に何もしてない」
『妻が知ってるんだよ!』
俺は立ち止まった。
「警察から連絡いったんじゃないか」
沈黙。
『……全部終わった』
声が震えていた。
『家帰ったら、嫁が子供連れて出てった』
俺は何も言わなかった。
『満足か?』
「……」
『十五年前の仕返しできて満足かよ!』
胸の奥に、
小さな快感があった。
それを認めたくなかった。
『俺の子供は関係ねえだろ!』
「美咲もそうだった」
口から出た。
石田が黙った。
俺も黙った。
そして、
通話を切った。
夜。
母さんから連絡があった。
『美咲と話した?』
「最近は」
『あの子、また眠れなくなってる』
手が止まった。
『昔の夢を見るって』
俺は椅子に座った。
復讐を始めてから、
美咲はまた十五年前へ引き戻されている。
俺は何をしている?
一瞬そう思った。
だが、
すぐ別の声がした。
悪いのは俺じゃない。
始めたのはあいつらだ。
俺は終わらせているだけ。
そう思わなければ、
続けられなかった。
スマートフォンに通知。
村瀬から。
『佐伯先生、会うって』
日時。
場所。
そして一文。
『先生、全部話すって言ってる』
ようやく。
十五年間、
「気持ちは分かる」と言って逃げた男が、
口を開く。
俺は返信した。
『分かった』
その直後。
別の番号から着信。
佐伯本人だった。
出る。
『三上』
「先生」
しばらく無言。
そして佐伯は言った。
『会う前に、一つだけ伝えておきたい』
「何ですか」
『あの日、俺は――』
声が震えている。
『美咲ちゃんがあそこにいることを、事件が起きる前から知っていた』
俺は立ち上がった。
「なぜ」
『それを明日話す』
「今言ってください」
『電話では無理だ』
そして。
『全部俺の責任だ』
初めてだった。
誰かが。
言い訳より先に――
自分の責任だと言った。
――第10話 END




