第9話:もういない
探せ。
その一言だけで、全てが動いた。
王城の人間が、街が、近隣の領地が。
ありとあらゆる場所に、手が伸びる。
記録を洗え。
人を当たれ。
痕跡を拾え。
――“誰か”を、見つけろ。
名前はない。
顔も知らない。
特徴すら、曖昧だ。
それでも。
確かに存在したはずの“何か”。
それを、探している。
「殿下……本当に、何をお探しなのですか」
側近の問いに、答えは返せない。
言葉にできない。
できるはずがない。
探している本人が、何を探しているのかすら、わかっていないのだから。
「……いいから、探せ」
低く、押し殺した声。
それ以上、問うことは許さない。
命令だけが、残る。
だが。
数日。
さらに数日。
どれだけ時間を費やしても。
――何も、出てこない。
「該当する人物は、確認できませんでした」
「記録にも、一切の痕跡がありません」
「使用人、関係者、全てに聞き取りを行いましたが……そのような人物は」
報告が、積み上がる。
どれも同じ結論。
いない。
最初から、存在しない。
そんなはずがない。
そんなはずが、ないのに。
「……もう一度だ」
命じる。
繰り返す。
無駄だと理解しながら。
それでも、止められない。
探さなければならない。
見つけなければならない。
理由はわからない。
だが、それだけは確信している。
そして。
その確信だけが、空回りしていく。
やがて。
報告すら、減っていった。
探す意味がない。
誰もが、そう理解し始めたからだ。
当然だ。
存在しないものは、見つからない。
それが、この世界の“正しさ”なのだから。
執務室に、静寂が戻る。
以前と同じはずの光景。
変わらないはずの日常。
なのに。
決定的に、何かが欠けている。
「……くそ」
机に拳を叩きつける。
鈍い音が響く。
痛みが走る。
だが、その程度では足りない。
胸の奥の、この不快感。
この空虚。
それを、消せない。
視線が、あの場所へ向かう。
何もない場所。
空白のままの場所。
そこに、座っていた“誰か”。
いたはずの“誰か”。
「……いたんだ」
ぽつりと、零れる。
確証はない。
証拠もない。
それでも。
“いた”としか、思えない。
だが。
それ以上は、続かない。
名前が出てこない。
顔も、思い出せない。
声すら、わからない。
ただ。
そこにいた、という事実だけが。
曖昧なまま、残っている。
「……ふざけるな」
誰に向けた言葉かも、わからない。
怒りなのか。
焦りなのか。
それすら、判別できない。
ただ。
どうしようもなく、遅かった。
立ち上がる。
足が、勝手に動く。
向かう先は、決まっている。
城の外。
街へ。
意味はない。
手がかりもない。
それでも。
ここにいるだけでは、何も変わらない。
門を抜ける。
人の流れに紛れる。
見慣れたはずの景色。
だが、どこか違う。
いや。
違うのは、景色ではない。
自分の方だ。
歩く。
ただ、歩く。
視線を巡らせる。
無意識に、“誰か”を探している。
だが。
見つかるはずがない。
最初から、存在しないのだから。
それでも。
足は止まらない。
やがて。
ふと、立ち止まる。
何の変哲もない通り。
何の意味もない場所。
なのに。
胸が、強く締め付けられる。
「……ここは」
呟く。
知らない場所のはずだ。
来たこともないはずだ。
それなのに。
懐かしい、という感覚だけがある。
おかしい。
あり得ない。
あり得ないのに。
涙が、滲む。
「……なんで」
問いかける。
答えはない。
あるはずがない。
その時。
背後から、声がした。
「……あの、大丈夫ですか?」
振り返る。
見知らぬ女性。
ただの通行人。
心配そうに、こちらを見ている。
「ああ……問題ない」
短く、答える。
それ以上の言葉は、出てこない。
女性は少しだけ困ったように微笑み、軽く頭を下げて、そのまま去っていく。
それだけの出来事。
何の意味もない、はずだった。
なのに。
胸の奥が、ひどく軋む。
今の一瞬。
何かが、決定的にすれ違った気がした。
「……っ」
振り返る。
だが、もういない。
人混みに紛れて、見えなくなっている。
当然だ。
ただの他人だ。
何の関係もない。
そう。
関係があるはずがない。
――もう、何も残っていないのだから。
ゆっくりと、視線を落とす。
握りしめた手が、わずかに震えている。
理由は、わからない。
わかるはずがない。
それでも。
ひとつだけ、はっきりしていることがあった。
もう。
どれだけ探しても。
どれだけ足掻いても。
――二度と、会えない。
その事実だけが。
どうしようもなく、重くのしかかっていた。




