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いらないと言われたので消えたら、彼は私を思い出せなくなった  作者: あめとおと
"いらない”と言われたので、消えました。

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第4話:最後の一日


朝は、いつもと同じように始まった。


 カーテンの隙間から差し込む光。

 遠くで鳴く鳥の声。

 廊下を行き交う、控えめな足音。


 何ひとつ、変わらない。


 ――今日が最後だなんて、思えないほどに。


「……おはようございます」


 鏡の中の自分に、小さく挨拶をする。


 返事はない。


 けれど、それでいい。


 明日からは、この“自分”すら、いなくなるのだから。


 身支度を整えて、部屋を出る。


 扉の取っ手に触れる指先が、ほんの少しだけゆっくりになる。


 意識して、離した。


 廊下に出ると、ちょうど侍女と目が合った。


「あ、お嬢様。おはようございます」


 いつも通りの、柔らかな笑顔。


「おはよう」


 自然に、返せた。


 それが少しだけ、嬉しい。


 ぎこちなくならなかったことが。


「本日のご予定ですが――」


「ええ、聞いているわ」


 言葉を重ねながら、彼女の顔を見る。


 よく知っている顔。


 何度も見てきた表情。


 ――それも、もうすぐ見られなくなる。


「今日は、少しだけ変更してもいいかしら」


「え?」


「無理のない範囲でいいの。少しだけ、時間をもらえたら」


「はい、もちろんです」


 戸惑いながらも、すぐに頷いてくれる。


 優しい人だ。


 だからこそ。


「ありがとう」


 自然に出た言葉に、彼女は少しだけ驚いた顔をした。


 普段、こんなふうに言わないからだろう。


「……いえ、その」


「どうしたの?」


「いえ……なんでもありません」


 首を振って、笑う。


 その仕草が、やけに愛おしく見えた。


 ――こんなふうに思うのも、今日で終わり。


 朝食の席でも、何も変わらない会話が続く。


 天気のこと。

 領地の報告。

 ささやかな出来事。


 どれも、聞き慣れたものばかり。


 そのひとつひとつに、丁寧に相槌を打つ。


 少しだけ、言葉を増やす。


 いつもより、少しだけ。


「今日は、よく話されますね」


 ふと、言われた。


「そうかしら」


「ええ。なんだか……楽しそうです」


 その言葉に、少しだけ考える。


 楽しそう、か。


「そう見えるなら、よかった」


 それだけ返す。


 本当は、違う。


 楽しいのではなく――


 “残している”だけ。


 記憶には残らないとわかっていても。


 それでも、丁寧に。


 崩れないように。


 壊れないように。


 食後、庭に出た。


 風がやわらかく、花が揺れている。


 何度も見てきた景色。


 けれど、今日は少しだけ違って見えた。


 色が、濃い。


 空気が、澄んでいる。


 ――最後だから、だろうか。


 ゆっくりと歩く。


 一歩ずつ、確かめるように。


 途中で、庭師と目が合った。


「ああ、お嬢様。今日は早いですね」


「ええ、少しだけ」


「花が見頃ですよ。こちらの方が特に」


 指さされた方へ歩く。


 鮮やかな花が、陽を受けて咲いていた。


「きれい」


 素直に、そう思った。


「でしょう?今年は特に出来がよくて」


 誇らしげに語る声を、静かに聞く。


 この人も、何も知らない。


 明日には、忘れている。


 それでも。


「ありがとう。大事に育ててくれて」


 そう伝えると、庭師は目を丸くした。


「……いえ、そんな」


 照れたように笑う。


 その表情を、しっかりと見る。


 目に焼き付けるように。


 ――意味はないと、わかっていても。


 屋敷に戻る頃には、日が少し傾いていた。


 時間が、減っていく。


 確実に。


 部屋の前で、足を止める。


 この扉の向こうにあるものも。


 今日で、最後。


 深く息を吸う。


 ゆっくりと、吐く。


 それから、扉を開けた。


 見慣れた部屋。


 見慣れた机。


 その上に――


 小さな、透明な結晶。


 朝と同じ場所に、静かに置かれている。


 すべてが、揃っている。


 何もかも、変わらないまま。


 だからこそ。


 終わる。


 扉を閉める音が、やけに大きく響いた。


 外の世界と、切り離される。


 もう、誰も入ってこない。


 入れない。


 ここから先は、ひとりでいい。


 ゆっくりと、結晶へと歩み寄る。


 指先が、ほんの少しだけ震えていた。


 それでも、止まらない。


 止めない。


 触れれば、終わる。


 それだけの距離まで来て――


 ふと、手を止めた。


 頭の中に、いくつかの顔が浮かぶ。


 笑った顔。

 困った顔。

 何気ない、日常の一瞬。


 全部。


 全部が、遠くなる。


「……大丈夫」


 自分に言い聞かせる。


 もう、決めている。


 迷う理由は、どこにもない。


 それでも。


 ほんの少しだけ。


 ほんの一瞬だけ。


 目を閉じて。


 ――さようなら。


 声には出さず、そう呟いた。


 その言葉も、すぐに消える。


 何も残らない。


 だからこそ、最後に。


 誰にも届かないまま。


 それでいい。


 静かに、目を開く。


 夜が、近づいていた。





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