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9.「ぼっち」

 血も涙もない冷酷系超能力者である木原が忌々しい話題を切り出してきたのは、オーロラを見に行ったその次の部活の活動日のことだった。


「もうクリスマスシーズンですねー」

「そうだな、世の中皆浮かれてやがる」

「あとー、先生はー」


 かなり長引いてしまった勉強パートの疲れからかずっと間延びした声だった木原は、そこで一気に纏う空気を引き締めた。


「今年のクリスマスって予定入ってるんですか? 彼女はいないって言ってた気がするんですけど」

「!!??」


 早い。早すぎる。

 あまりにも本題に、そして触れてはいけない領域に切り込むのが早すぎる。「クリスマスにはチキンとか言うけどそれはファストフード店の陰謀なんだぜ」とか、「サンタクロースには赤と黒の二種類いるんだぜ」とか、そういうどうでもいい話題で逃げを打つつもりだったのに。

 その余裕など微塵も与えないような速度で、目下三年連続クリぼっち確定演出中の俺のちっぽけなプライドの首筋に刃が突き立てられた。てかそもそもこいつは俺に彼女がいないことをどうやって知ったんだ。


「は、ハイットルワ!」


 まずい、声が裏返ってしまった。

 ただでさえ後先考えない下手くそな嘘をついたのに、完全にやらかしている。


「……へ、へぇ、そうですかぁ」


 案の定、木原は不穏な表情だ。明らかに全てを悟って俺を馬鹿にしようとしている。


 可笑しさのあまりにひくついている頬を見せつけられて、俺は完全に自分が無力であることを悟った。


「それはアレですか、外せない大事な用事って奴ですか?」


 焦って何もできずにいる間に、木原が追撃を放ってきた。

 俺の口から説明させてぼろが出るのを待とうというのだろう。

 止めてくれ、その技は俺に効く。


 どうすればいい。どうすれば。

 ……そうだ、アレだ。


「そ、そりゃそうさ、いやー何ヶ月も前から約束してたしな、今からクリスマスが楽しみで仕方ないなぁ!」


 俺は別に間違ったことは言っていない。

 12月25日にはれっきとした予定がある。

 年度初めから決まっていた定例職員会議だ。


「……」


 木原の顔をうかがい見る。

 考えをまとめようとしているのか、別の攻撃手段を探っているのかは分からずとも、かなり闇に染まって見える。


 防御の一手を打つなら今しかない。


「い、今から準備することが沢山あってさ、ちょっと忙しくしてんだよなぁ!」


 主に教務関係の資料と、俺が担当している二学年化学の成績推移と受験指導方針、全部を揃えるのにはそれなりの時間がかかる。

 うん、なにも嘘はついていない。


 我ながら、よくぞここまで咄嗟に口を回したものだ。

 そうやって自分の能力に自分で感心していると、木原が不意に顔を上げた。


「先生はクリぼっちだって信じてたのに」


 木原の視線は絶対零度の凍てつく波動を放っていた。

 俺の心臓はきゅっと縮み上がった。

 嘲笑の次は軽蔑、一体全体どんな仕打ちなんだ。


「俺なんか悪いことしたっけ!?」

「いえ、何も」


 冷え切った声色の木原に震え上がるままに、俺の口は俺の意思を介さないまま全く意味のない自己弁護を重ね始めた。


「お、俺にだって付き合いのある相手くらい沢山いるさ! これでも大学じゃあ過去問といえば榊原って呼ばれてたんだぞ!」

「……」


 俺が一言一言を探し出して繋げるごとに、もうこれ以上冷え込みようもないと思っていた木原の顔がさらに険しく黒く染まっていく。


「き、木原、おおお前はどうなんだよ!」


 背筋を突き刺す恐怖に駆られて放った反撃は、木原の肩をぴくりと揺らした。


「……私は昔から仲の良い友達とか多くなくて、クリスマスが楽しい日だった記憶ってあまりないんです」


 俺は即座に木原の正面に座り直し、話を真剣に聞くことができる姿勢をとった。


「普通の子たちみたいにサンタクロースなんて来たこともないし、ケーキも改変能力で「世界で一番おいしいケーキ」を作って空しくなったっきり食べてません」

「無理に話さなくて良いんだ、辛いことなんだろう」

「だから」


 木原は俺の制止を聞き入れることなく、淡々と続けた。


「もし先生も一緒だったら、嬉しいなって」


 木原の心を守るために、俺はさっきとは別の意味でこの上なく真剣に言葉を探すことになった。

 家庭の事情も絡んでいるらしい明らかな心の傷を前にして何もしないでいられるほど、俺の正義感は終わってはいない。


「俺の勝手な見方かもしれないが、今の木原は結構友達とか多い感じに見えるぞ。木原が誘えば着いてきてくれる奴なんて沢山いるさ。お前は良い奴なんだよ、木原」

「……別に人付き合いくらいはしますけど、友達ってレベルで気が合う人ってあんまりいないんです。みんな子どもじゃないですか」


 疲れた顔で吐き捨てる木原も、同じように子どものはずだ。

 二次性徴期特有の自他境界の不和がそう感じさせているのだろう。


 大学の教職課程で勉強したことを思い出すんだ。こういう時は、まず木原香織という個を認めてやる必要がある。


「確かに、お前は」

「───それに、ほら、私って大きな秘密を抱えてるじゃないですか。だから、うっかり友達と仲良くなりすぎてついポロって言っちゃうかもしれないって考えると、友達をつくること自体が私にとっては怖いんです」


 俺は口をポカンと開けたまま、木原の独白を聞き遂げた。

 

「……そいつぁ、また」


 それ以上のリアクションを思いつくことができない。

 孤高の超能力者との付き合い方なんて、教職では教わらなかった。


 俺が何も言えないでいるのを見て、木原は一つため息を吐いてから立ち上がった。


「先生は気づいてなかったかもしれませんけど、今年のクリスマス、木曜日じゃないですか」


 机の上に広がったままだった勉強道具を片付けながら、木原は一連の流れに込められていた意味を解説し始めた。


「……部活の活動日、ってことか」

「学校は午前で終わりますけど、部活はやってもいいって運動部の子が言ってたんで、私たちも部活するのかなー、って。今年は先生がいるから、やっとクリぼっち回避できるかなって思ってたりしたんですよ。もう過ぎた話ですけど」


 ぱち、ぱち、とポーチが閉じられるスナップ音が響き、鞄に次々しまわれていく。

 俺が必死に言い逃れようとしたクリスマスに関する質問の数々は、俺を揶揄うためとかあざ笑うためとか、そういう疚しい思いによるものではなかったらしい。


 俺の心はつきんと痛んだ。

 それは、孤独の中に生きる木原が俺を「教師」としてではなく、初めて見つけた信のおける近しいひととして見ているという告白でもあった。


「……一応聞くけども、俺相手で空しくないのか? なんつうか、俺は教師だろ? ノーカンにならないのか?」

「私が一人じゃないって思えるなら、それで十分だったんです」


 既に何もかもを諦めてしまったらしい木原は、過去形で彼女の心を表した。

 それが俺にはどうにも悲しく思えた。


 気づけば、俺の口は再び勝手に滑り出していた。


「あー、部活な、別にやらない理由もないしやるか?」

「用事あるって言ってたじゃないですか」

「……職員会議だよ」


 木原の動かしていた手が止まった。


「……ふぇ?」

「職員会議だって立派な用事だろ。準備だってしてるさ。俺は別に嘘ついてたわけじゃない。ぼっちバレが恥ずかしかっただけだ」


 俺は開き直って全てをひけらかした。

 あんなことを言う木原のためなら、いくらでも恥をかいてやろう、そんな気分だった。


「ひょっとして、先生も、ぼっち?」

「ぼっちだよ文句あんのか」


 木原の顔が一気にほころんだ。

 こういうところを見るにつけ、彼女の心はまだ子どものままだな、と思う。

 さっき香った家庭の不和、それと思春期らしい不安定な心境も鑑みるに、誰かが彼女の幹になってやらないといけないのだろう。

 それが俺であることに、俺は何の躊躇いもない。


「じゃあ、じゃあ、「おねだり」権使って良いですか?」

「おん?」


 そこで木原は一枚のチラシを取り出した。


「私、行きたいところがあるんですよ」


 机に置かれたそのチラシを見る。

 高校からは西の方にある、イルミネーションで有名な遊園地のチラシだった。


 木原はイルミネーションの写真を隠すように手を伸ばし、下の方に小さく書かれていた緑色の文字を指さした。


「この遊園地にある植物園なんですけど、昔から興味があって。温室で冬でもやってるので、先生の解説付きで一巡りしても良いですか?」

「植物園、ね」


 イルミネーションじゃなく植物園。

 女子高生にしては随分渋いな、という感想は口にはしないでおく。

 俺も星空という可愛い寄りの趣味に運動系の友人を巻き込んできた。人の好き嫌いに意見を差し挟むことほど無粋なことはないと、俺が一番よく分かっている。

 

「まだ勉強してませんけど、芳香族化合物とか、まさに化学と植物の接点じゃないですか。そういうことを教えてもらいながら回れば、ためになると思うんです」


 確かに、高校で学ぶ有機化学は花の香りの成分である芳香族化合物をカバーする領域だ。

 言われてみれば、化学部の活動の延長として植物園に行くこともそう無理筋の話ではないように思えてきた。


 しかし、そうすると一つ疑問が生まれる。


「なんで「おねだり」なんだ? 別に外出なら普段も魔法パートでしてるし、わざわざ俺に強制する必要もないだろ」


 尋ねると、木原は照れくさそうにはにかんだ。


「ええと、お金を出してもらうことになるからです。普段は私の自前で全部やってますけど、植物園には入場料がいるじゃないですか。流石に改変でお金をちょろまかすのは私の良心が咎めるので」

「そうかい」


 それで「お金を出してください」というおねだりなのだろう。

 金銭に関わる部分でしっかり良心が咎めるのなら、木原という人間は超常の力を手にし孤独に染まった割に、真っ直ぐ成長できているのかもしれない。他の例はおそらくこの世界に存在しないだろうから、比較検討のしようもないが。



 大分木原の顔色が回復してきたのを見計らって、俺は普段通りの空気をつかみ直すことにした。

 子どものためならいくらでも心を砕いてやれるが、だからといって辛気くさい空間は別に好きでもない。


「俺が思ってるよりお前は素直な人間になりそうだなぁ、安心安心」

「えっと……何様ですか?」


 そう、木原もこうやって俺を教師とも思わず舐め腐っているくらいがちょうど良い。


「お前の超能力に振り回される先生様だが何か?」

「楽しんでるくせにー」

「役得ってもんよ。お前が暴れるせいで毎日改変後の理科を勉強し直してんだ、ちょっとくらいは楽しませてもらわなきゃな」


 その苦労を思うと、さらなる改変を防ぐためにもしっかり植物園出張講座に向けて準備をしておかないといけない。

 ベンゼン環が六角形から七角形にでもなったら、いよいよ世界は俺の知る場所ではなくなってしまう。


 パンフレットに改めて目を通す。

 入場料は千五百円と書いてあった。


「千五百円のおねだり、か。いいよ、引き受けた。きっちり授業してやる」

「! ありがとうございます!」


 木原は満面の笑みで頭を下げた。

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