64話 任務完了②
暖炉の前でフィービーが来た時のことを嬉し気に語る先代サンディス侯爵夫妻に断りを入れ、部屋の外に出たクリストファーが向かったのは亡きダイアナの部屋。昔のまま、掃除以外で一切手が付けられていない室内にいるとまだダイアナが生きていると錯覚させ、今まではあまり長居したくない場所だった。
此処へフィービーが来て少しだけ気持ちに変化が訪れていた。
『いつか、ぼくが病を克服したら、その時はぼくと結婚して!』
『いいわよ。私みたいな野生児を嫁に貰いたいなんて変わり種クリスくらいよ』
『イノシシみたいに猪突猛進で野猿みたいに木々を行き交うダイを淑女と見る人は確かにいな——いたっ!?』
『レディに向かって失礼ね!!』
『何がレディだよ!? 暴力的なレディなんて聞いたことない!!』
子供の頃の記憶、そして亡くなった人間への思いは美化されると言うがダイアナの場合は子供の頃と大人では印象が違い過ぎて美化しようがない。が、クリストファーにとってはどれもダイアナ=サンディスという一人の人間との大切な思い出。完璧な淑女と謳われたダイアナが幼少期野生児を自認していたと知る者は殆どいない。ダイアナを罵る際レティーシャがよく使用する野猿も自認していたが、それはあくまで本人が口にするのは良くとも他人——ましてやクリストファーを権力を使って縛り付けた女が使っていい言葉ではない。
ベッド横にある椅子を引っ張り、座っていると病を患ったダイアナの見舞いに来ていた頃の記憶が鮮明に浮かんだ。
「病気知らずな君が罹る病なんてある訳がないと思っていた。私より長生きをして、私が見られなかったものを死んだらあの世で沢山教えると言っていた君が……」
ダイアナが亡くなった心の傷は尚残ったまま。毛布を捲った。ダイアナがこうするとよくフィービーが寝ていた。母親の側にいられて安心しているのか、熟睡しているフィービーの頬をダイアナは愛おし気に撫でていた。
「女の子ならフィービー、男の子ならリュック。私達の間に生まれた子供に付けるんだと名前を選んでいたな」
二人以上生まれたら二人で名前を考えましょうと笑っていたダイアナの姿が、レティーシャの策略によって未来永劫叶わない夢となった瞬間絶望するダイアナの姿へと変わった。
殺したい程憎む女が産んだ子供に愛情を持てる訳がない。ジェイドは父親の義務として名付けはしたが、ダイアナは義務すら生まれなかった。
ダイアナも義務でミリアンを産んだ。婚約間近と囁かれていたダイアナにしつこくアプローチをし続けたゴーランドに似た男の子。名付けは、ウェリタース家の仕来りでゴーランドが名付けたと語っていたダイアナは淡々とした声をしていた。それがフィービーが生まれた時は違った。
第二子は女の子だったとミラージュに連絡を受けた際、まだ名前を聞いていないのにダイアナとフィービーを見守る様指示を出した。誰に言われずともクリストファーは女の子の名前を知っていた。ウェリタース家の仕来りで当主が名付けをすると決まっていようとダイアナは女の子の名前だけは、自分に付けさせてほしいとゴーランドを説得し、フィービーと名付けた。
女の子だから——名前はフィービーだと分かっていた。
「さて」
重い腰を上げ、毛布を元に戻した。明日、サンディス領を出て帝都に戻り次第、レティーシャに離縁を叩きつける。半年前の件やクリストファーへの執着を盾に離縁を拒否するだろうが、渡せる物は全て渡してでも離縁をする。ブルーメール公爵の邪魔は入ると予想はしており、フィデスに力になってもらうしかない。
ジェイドやダイアナはどうでもいい。ブルーメール公爵が孫二人を引き取ると宣言してローウェル家の後継者がいなくなろうと親戚筋の子を養子に迎える。
「ダイアナ。君が見られなかったものを沢山知れるように私は長生きを頑張るよ。あの子と話せて良かった」
同じパーティーや夜会に出席する度フィービーに接触をしたのは、どうしても声を聞きたかった、目の前でフィービーを見たかったから。ダイアナに瓜二つだが、ダイアナに似ていない部分も沢山ある。
部屋を出ようと背を向けた直後、一瞬針で背中を刺された感覚が生まれ、窓へ振り向いた。辺り一面純白の世界に包まれ、大きな木々も雪の傘を被って真っ白で人一人とていない。
「気のせい、か」と前を向きかけるもクリストファーは嫌な予感を抱いた。
「まさか……」
半年間一切連絡を寄越さないクリストファーの居場所をレティーシャが嗅ぎ付けたのか? 両親の許へ行くとしかクリストファーは言っていない。場所がローウェル領ではなく、母方のナヴィス領だとレティーシャが知って追手を寄越した? レティーシャ一人が動いているとは到底考えられない。背後にブルーメール公爵の姿がチラつく。帝都へ戻るつもりだったクリストファーは考えを改めざるを得ないと思考を切り替え、ダイアナの部屋を出て行った。
●○●○●○
アルドルに連れられ、変装した姿で街へ出て来たフィービーは非常に気まずい思いをしていた。向かいにいるアルドルもこうなるとは予想しておらず、やってしまったと目深く被った耳付きニット帽を少し上に上げて問題の方を見やった。
「わたくしとお兄様を誰だと思っているの!? ダイアナ=ローウェルとジェイド=ローウェルよ!! 公爵家のわたくし達と平民どちらが大切かなんておバカさんでも分かるわ!!」
一度足を運んでみたいと願望があったアルドルに連れて来られたのは、店主自慢の紅茶とケーキを味わえるカフェ。知る人ぞ知る名店で丁度二人が入って満席となって運が良かったと安堵し、給仕に案内された奥のテーブルに着いてすぐだった。カフェのお勧めが日替わりケーキと紅茶のセットとアルドルに教えられていた時にダイアナとジェイドが来店した。幸い、二人がいるのは店の奥。出入口の前で騒ぐローウェル兄妹の視界には入らない。
「既に食べ終わっている客だっているじゃないか。さっさと出て行ってもらって私達を席へ案内しろ」
帝都で暮らす平民は大貴族ローウェル公爵家の名を知っている。知っていてこの発言は、権力を盾に自分達の要求を押し通そうとする典型的な貴族と見られる。民がいてこその国だと先帝に叩き込まれたアルドルにすると二人の発言は、貴族の模範となるべき大貴族の範疇を超えている。
「今すぐに出て行けないのが痛い……」
正体を明かしてダイアナとジェイドを追い出そうと試みれば、同席しているフィービーに必ず目を付ける上、不在の皇太子がお忍びで正体不明の女性と密会をしていたとなるとそれはそれで面倒。特に口うるさく、口が軽いこの二人の前だと。
「どうしましょう……さっと店内を見渡しても、ダイアナ様やジェイド様を止められそうな方はいらっしゃいません」
「店主が貴族の家で料理人をしていた経験があるとは言え、身分は平民。とてもじゃないがあの馬鹿二人を止められる力はない」
「無理に止めては、貴族への不敬罪で逆にお店側が訴えられてしまいます」
「やっぱり、おれが行くしかないか」
他人の振りをするようにとアルドルに言い残され、大きな不安を抱いたフィービーは祈るように席を立ったアルドルを見つめるしかない。席の隙間を縫って店主や給仕に詰め寄る二人の側へアルドルが着いた直後。店の奥から知っている声がした。反射的に見てしまったフィービーは青い瞳を瞠目させた。
「ダイアナ、ジェイド、店や他の客達に迷惑になる行為を今すぐに止めるんだ」
お忍びで来ていたのか、軽装であるがしっかりと身嗜みを整えているミゲルは冷たい眼で騒ぐダイアナとジェイドを射抜く。突然の登場に固まるダイアナとジェイド、側へ行きかけたアルドルはいつの間にかフィービーの待つテーブルに戻った。
「い、いつの間に」
「ミゲルの声がした瞬間。周りの目はダイアナとジェイドに集中しておれのことは見ていない。ダイアナとジェイドもそうだがミゲルがいるのも意外だ」
その疑問はすぐに分かった。
「ミゲル!? ダイを連れてお前に会いに行ったら何処へ行ったか分からないと公爵夫人に言われたぞ!」
「言えば此処へ来るだろう。此処は、私の祖父の友人が経営するカフェで時折利用させてもらっているんだ」
何処で料理の腕を振る舞っていたかと思えば、先代アリアージュ公爵の時代に仕えていた料理人だったらしく、アリアージュ家の料理人を引退後は夢だった店を持って残りの余生をこうして過ごしていた。ローウェル家を名乗る貴族の兄妹が店の中で騒いでいると奥で紅茶を頂いていたミゲルの許に給仕が助けを求めに来て駆け付けた。
「満席なら違う店を探すか、他の客と同じように外で待つんだ。それが出来ないなら屋敷へ戻れ」
「ダイの前でなんてことを言うんだ! お前はそれでもダイの幼馴染か! 以前、ダイが苦しい身体でお前に会いに行ってもお前は不在だと門前払いばかりだった。何故自分からダイに会いに来なかった!」
「ダイアナに会う理由が私にはもうない。今後も会いに行くことは決してない」
「ミゲルっ!」
興奮度が増して声量が大きくなるジェイドを怯えた様子で見守る周囲に気付いたミゲルが「場所を変えよう。このままでは店や他の客達の迷惑になる」と奥へ誘導するがジェイドとダイアナは意地でも動かない姿勢を見せた。
「嫌よ! わたくしもミゲルにずっと言いたかった、どうしてわたくしに会いに来てくれなくなったの? わたくしが会いに行ったと知って何も連絡をくれないの? 以前のミゲルなら、何を差し置いてもわたくしの側に駆け付けてくれたのにっ!!」
「っ」
悲痛な声で訴えるダイアナの認識としては、何時だって自分の側に駆け付けてくれた幼馴染が突然愛想を悪くした上、苦しいと伝えているのに来てくれなくなったのは疑問でしかなく、涙目でミゲルを詰る。隠れてミゲルを注視していたフィービーは静かに視線を逸らした。ダイアナのいる前でミゲルが彼女を冷たくあしらう様が想像に浮かばない。またいつもみたいに……と思い掛けた、ら。
「ダイアナ、私はもう君の幼馴染でも何でもない。陛下の誕生日パーティーの時にも言った、二度と私を呼び出さないでくれ」
「なっ……」
吃驚して再びミゲルへ視線をやれば、冷めきったアイスブルーの瞳が泣いているダイアナを映しているのに心配の色が一切なかった。今までのミゲルならこんな対応をしなかった。肩を震わせて泣き出したダイアナを抱き締めたジェイドに非難を浴びせられようとミゲルは態度を変えず、周囲に騒ぎについての謝罪を述べると無理矢理二人を外へ連れ出した。静けさが戻った店内は困惑を強く醸し出していたが、段々と安心が戻った客や店主、給仕は普段と変わらない日常を取り戻した。




