63話 任務完了①
友人でなくとも名前を知っている程度なら、病が快復傾向に向かって喜ばしいと思えるのにダイアナ=ローウェルに至ってはそんな気持ちが生まれなかった。どんな相手だろうとそんな気持ちを持ってはいけないと頭では理解しようと心は追い付かない。自分が嫌になってしまいそうになったフィービーはジッとしているのが耐えられなくなり大教会の書庫室へと足を運んだ。
義母やアイとの密会が終わった翌日。得体の知れない気持ちがフィービーの心を蝕んでいた。ずっと病弱であるダイアナを利用し続けて来たであろうレティーシャが今になってダイアナに特効薬を与えた理由が皆目見当もつかない。あの後、義母が戻ったらミゲルと婚約解消をする方向に持って行きたいと話したかったが言えなかった。アイはフィービーの意思を尊重して話そうとしなかった。
不可解な気持ちについてオルドーやアルドルには相談済み。二人は二階でエイヴァにその話を聞いており、同じく気味の悪い感覚を持ったと話された。
『ダイアナが元気になったらローウェル公爵が戻るとか思ったり?』
『レティーシャ=ローウェルはそこまで馬鹿ではない。ブルーメール公爵が指示したか、或いは別の思惑があるか、だ』
どちらも有り得る話なだけに油断ならない。このことはフィデスに伝え、監視の目を強めようと一旦落ち着いた。
書庫室には大教会関係者しか入れず、外部の者は立ち入りを許されない。フィービーやアルドルは特別な許可をフィデスに与えられ出入り自由となった。
北の町で愛用していた鬘を持ってきていて正解だった。誰かの手がなくとも一人で身に着けられるようになったフィービーは姿見の前で容姿を確認後書庫室へと向かった。
大教会が収める書物とあって神話や信仰の内容が主で一般人が好む娯楽本は少ない。フィデス個人が所有している本は別室にあると聞き、入ると先客がいた。
「殿下?」
「うん? ああ、フィービー嬢か」
「すみません、殿下がいるとは知らず」
「気にすることはないさ。君だって大叔父上に出入りを許されている。好きに出入りしたらいい」
アルドルは手にしていた本を棚に戻すと別の本を取り出した。
「その本は?」
「気になったのを適当に手に取っているんだ。大叔父上の私物だし、おれが好みそうな本はなさそうだ」
「殿下が読む時は主に城の書庫に収められている本を?」
「後は、街に降りた時気になったのをこっそりとね」
一人勝手に街を降りて散策するのが好きなアルドルらしい台詞は、自然とフィービーの心を蝕んでいた感覚を消していき、微笑みを浮かべた。
「フィービー嬢は時間潰しに?」
「似たようなものです。アイが言っていたダイアナ様の容態について考えてばかりだと気が滅入ってしまって」
「叔父上が叔母上はおれが考えるより馬鹿ではないと言っていたが疑問でならない。ダイアナが健康になれば、割と本気でローウェル公爵が戻って来るって思っていそうなんだよな」
「どうでしょう」
きっと生まれ付きの病がなかろうとクリストファーはレティーシャが産んだ娘という時点で見向きもしなかった筈。健康になろうと今更感が拭えない。
「ジェイド様とカフェに来れる体力がついたなら、きっと何時かミゲルに会いに行きそうですね……」
どうしてアルドルにこんな台詞を言ってしまったのか。無意識に漏らしてしまい、すぐに誤魔化そうとしたフィービーであるがアルドルは黄金の瞳を丸くしていた。
「考えなくたって、イノシシの如くミゲルに会いに行くのは目に見えている」
「そう……ですね」
「触れないでおこうとは思ったが……フィービー嬢とアイ嬢の話をこっそり聞いてた」
「え」
「聞いたのは、君がミゲルと婚約解消を考えている辺り」
こっそり聞いていたのはアルドルは勿論、オルドーや義母もいた。聞かれていたとは想像していなかったフィービーは、あの時義母が何も触れてこなかったのは、フィービー自身が言うのを待つ選択を選んだ為と理解する。
「婚約していようと他人と変わらなかったって台詞、あいつに聞かせてやりたい。焦る顔がすぐに浮かぶ」
喉を鳴らす笑いを発するアルドルは二度目に取った本を本棚に戻すと微かに羨ましいと載せた表情をフィービーに見せた。笑っているのに……アルドルの相貌は寂しさが滲んでいる。
「婚約解消をすれば、フィービー嬢とミゲルは完全な他人に戻れる。おれはそうもいかない。ダイアナやジェイドと縁を切ろうと従兄弟という縁は残ったままだ」
実子がすぐ側にいるのに、父リーンハルトが目を向け、抱いてやるのはいつもダイアナだった。時折ジェイドの時もあった。夫婦仲が良好だろうと、互いの血を引く子供は愛情を注ぐ対象にならないという良い例だと自嘲するアルドルに何も言えない。言っても微かな慰めにすらならないとフィービーは知っている。
「叔母上の思惑はともかく余計な真似をしてくれたって思うね。病弱なままでいてくれるか、若しくは悪化して死んでくれれば良かったと……。最低だろう?」
「……いいえ」
いつの日かにも問われた言葉は、二度目に受けようとフィービーの答えは変わらない。
「私にとって皇太子殿下は隙を誰にも見せない完璧な人でした。こうやって殿下の人らしい部分を見られて良かったと思えます」
「おれが完璧、か。取り繕うのが上手いだけの卑屈な人間だって。完璧な皇太子なら、親の愛情を根こそぎ掻っ攫った従妹を妬んだりしない」
「何もかも完璧な人はいません。私のお母様がそうだったように」
亡き母が完璧な淑女と称賛されていたのは、好きな人の隣に立てる恥のない淑女になろうと努力を重ねた結果掴み取った。違う家庭を持とうと密会を重ねたのだってお互いの気持ちは全く変わらなかった証。世間が絶賛する完璧な淑女はそんなことはしない。
フィービーとアルドル。接点がなかったに等しい二人にはダイアナ=ローウェルに大切な人の気持ちを奪われ続け、周囲に完璧さを求められた共通点があった。フィービーが家出をしなかったら知り得なかった。
家出を考えていた当時なら考えられない。
「あ」
「どうしました」
「フィービー嬢が変装してるなら丁度良い。おれに付き合ってほしい場所がある」
「構いませんよ」
髪の色が珍しいだけで瞳の色は帝国民だと多数いる。念の為、顔を誤魔化す眼鏡を掛けようとアルドルの提案を受け入れたフィービーは準備よく持っていた眼鏡を渡された。レンズは度の入っていないただのガラス。これなら眼鏡を常用していないフィービーがかけようと問題ない。
耳付きニット帽を目深く被ったアルドルに連れられ書庫室を後にするのだった。
北の大地は未だ深い雪が積もったまま。辺り一面純白の世界に建つ一軒の大きな屋敷を一昨日より見張る男が一人。酷暑だろうと極寒であろうと与えられた任務を確実に熟すことに信念を持つ男は、変化のない屋敷をじっと眺めていた。
注意深く見ていれば屋敷から一人の男が現れた。
雇い主に言われている男だ。
「……」
あの男が屋敷を出て行けば、すぐにでも任務を実行出来るのに、中々出て行く気配を見せない。雇い主は慎重に事を進めよと男やその配下に命じた。
屋敷の持ち主先代サンディス夫妻を攫う期限は設けられていない。
確実に誰にも知られずに攫うのが男の任務だからだ。




