62話 他人も同然だった
「!!?」
突然、背中に悪寒が走ったオルドーは大きく肩を上げた。背中に大きな氷の雫が落ちた感覚を味わう時は、大抵不吉の予兆。異変に気付いたアルドルが目を向ければ、非常に苦々しい面持ちを浮かべていた。
「どうしました叔父上」
「いや……なんだかとても良くない予感を感じた」
「父上が叔父上の気配を察知して大教会で待ち伏せしていたりとか?」
「そんな可愛いものじゃない。いやそれも全く良くないがもっとこう……」
言葉では言い表せられない不吉な予感。ただの杞憂であってほしいオルドーの願いは恐らく届かない……。
一階ではテーブル一杯に帝国では珍しい品が広げられていた。ピンク色の拳サイズの石が気になったフィービーが手に取るとそれは岩塩の一部だと教えられた。
「私達が普段見ている塩は白だけれど、塊だとピンク色なの?」
「採取する地域によって色が変わるのよ。私が持って来たのはピンク色だけれど、青や黄色なんかもあるわ」
「そんなに色が種類があったのね」
今日はフィービーと久しぶりに会えるということでフィービーが見たことのない品をアイが選別して持って来ていた。無論、両親に許可を得て。海水に面した国だと海水を製塩する技術が発達している為、抑々岩塩を必要としない国もあると聞かされる。次にフィービーが気になったのは毒々しい紫色の生地を使ったハンカチ。刺繍等はなく無地のシンプルなもの。
「アイ、これは?」
「これは西の大陸でしか作られていない染料を使ったハンカチよ」
「紫は好きな色だけれど、これはなんだか毒々しくて外では使い難そう」
「でしょう? これ、本当に毒なのよ。染料に使われている花の蜜に毒が含まれていて、このハンカチで拭いた手を何かの拍子で口につけたら毒が回って動けなくなる代物」
「ぶ、物騒ね」
「フィービーに見せるなら、とても珍しい物をって選んだのよ!」
一般ではお目に掛かれない珍しい品だろうがそれにしては物騒である。若干引き攣った笑みを見せつつ、フィービーは他には何があるかと色々と見ていった。
一頻り見終えるとソファーの背凭れに身体を預け、温くなった紅茶を飲むフィービーは改めてアイにお礼を述べた。珍しい品を見せてくれたことは勿論、家出の件を知って協力をしてくれたこと、定期的に手紙をくれたこと、今日こうして会ってくれたことを。一瞬目を丸くしたアイだがすぐに破顔した。
「何を言ってるの! こんなことでお礼を言わなくていいわよ。だって、私とフィービーは友達じゃない」
「うん。私がただ言いたいだけ」
「フィービーらしいわ」
友達の立場に甘えず、感謝を伝えたい時は必ず伝えたい。昔から変わらないフィービーの真っ直ぐな姿勢がアイは好きだった。今も変わらない。
「ねえ……フィービー」
急に声のトーンを変え、名前を呼んだアイを見た。
「ミゲル様とのこと、どうするか考えてる?」
「……そうね……」
こうして一旦帝都に戻った以上、ミゲルとの関係をはっきりさせた方がいいとは考えている。
家出をする前は、ミゲルは幼馴染のダイアナが婚約者よりも大切な存在だと思っていた。
家出をした後は、ミゲルが実際自分のことをどう思っているか分からなくなっていた。
「私はずっとミゲルが好きだった。婚約者になったのもあるけれど、私にとってミゲルは憧れの男の子で婚約者になったってお父様に言われた時は正直嬉しかった」
「フィービーはミゲル様を御存知だったんだ」
「うん。お母様が亡くなる一年くらい前だったかな、アシュフォード夫人が私やアイを連れてサーカスを見に行ったことがあったじゃない?」
「うん。あったあった。懐かしい」
「その時、私が一人になったタイミングがあったでしょう?」
席に着いて暫くした後、ダイアナに貰った大事なハンカチを落としたことに気付き、来た道を戻るだけだからとアシュフォード夫人の同行を断って一人で探しに行った。ハンカチはフィービーが予想した通り、来た道に落ちていたものの、いざ会場に戻ろうと振り返れば、見たことのない人の多さに怖さを抱いて足が竦んでしまった。立往生をしていては人の邪魔になると何とか足を動かそうとした時だ。
「ミゲルが迷子になっていると思って私に声を掛けてくれた」
丁度その日ミゲルもアリアージュ公爵夫人に連れられて来ていた。会場に入る前に一人で立ち尽くしていたフィービーが迷子になっていると見て声を掛けた。
『大丈夫? 家族とはぐれたの?』
『あ……えっと、ハンカチを拾いに来たら、人の多さに吃驚してしまって……』
普段人が多いと言っても密集する程にはならず、初めての事態に戸惑って動けなくなったと頼りない声で説明をしたフィービーは、一緒に行こうと手を差し出したミゲルの優しさや温かさに感謝した。きっとミゲルは覚えてないけれど、怖くて動けなくなっていたところを助けてくれたあの時に淡い恋心を抱いた。
「最初に会った時、助けてくれた男の子がミゲルだって気付かなかったけどね」
「面識はなかったものね」
「婚約者として会った時に改めてミゲルのことを知ったけれど、私との婚約は嫌なんだなって思えた。実際は違ったのよ」
手紙には書かなかったことをアイに話した。具合が悪くなる度にダイアナの許へ行っていたミゲルだが、フィービーと顔を合わせる前にゴーランドから牽制をされていたせいで関係を構築出来なかったことを。
「ウェリタース侯爵はなんでそんな」
「分からないわ。私には、ミゲルとダイアナ様の関係に嫉妬するなって言っていた割に、ミゲルには私との婚約はいずれなくなるなんて話していた。お父様の真意が全く分からない」
一応、この話を聞いた時に感じた予想をオルドー等と話すがどれもピンとこなかった。
「お母様に似ているのに、お母様のような完璧な淑女になれない私をいつも叱っていたくせに、ミゲルとの婚約を無かったことにしようとするなんて。お母様に似た私を屋敷に置いておきたかったって意見もあったけれど」
「うーん……あり得そうだけれど……」
真意はいつかゴーランド自身の口から聞き出したいが機会が来る日は果たしてあるのか。
「フィービーとミゲル様はまだ婚約が継続中だけれど、フィービーは実際どうしたいの?」
「ずっと考えてた。ミゲルはお義母様に婚約解消を待ってほしいと頼んだようだけれど、私は……」
一度、口を閉ざして言葉を飲み込んだ。今迄の婚約期間、婚約者としてお互い振る舞った回数は何回になるか。手で数えるくらいか、それより少し多いか、その程度。他の婚約者達より他人行儀でダイアナが絡むと悪い方向へばかりいっていた。
ミゲルへの気持ちが失ったんじゃない。まだ、心の中に残っている。
残っていてもフィービーは一つ決心をした。
「……ミゲルとの婚約は解消をしてもらう。お義母様が戻ったら頼むつもりよ」
「フィービー……私がこんなことを言うのはお門違いかもしれないけれど、フィービーはそれで後悔しない?」
「今はまだ何とも言えない」
ただ、とフィービーはウェリタース家に戻るつもりがない以上、無意味にミゲルを婚約者という名で縛り付けたくないと語り、目の前に座るアイを固い意志を宿した青の瞳で見据えた。
「婚約者なのに、元々他人のようなものだった。なら、婚約を解消して元の完全な他人に戻りたい。ミゲルがダイアナ様をただの幼馴染としてしか見ていなかったとしても……私はミゲルを待つ自信がない……」
「フィービー……」
事前に約束をしていてもダイアナが助けを求めればフィービーとの約束を蹴ってダイアナの許へ向かっていた。埋め合わせをしたいと言われてもその埋め合わせでもダイアナの許へ向かった回数は覚えていない。理由を知ったところでフィービーが受けた仕打ちはなくならない。
「……ミゲル様にフィービーの行方を知られないように、態とフィービーのことを悪く言った時、すごく怖い顔をされた」
「そんなことをしなくても」
「だって、フィービーが家出をしてすぐのミゲル様って危なっかしかった。一歩間違えたらこっちが大損するくらいにね」
「そ、そうなのね……」
「そうよ。まあ、お陰で私はフィービーの行方を知らないばかりか、陰でフィービーを悪く言っていた嫌な女認定してくれたわ」
どんな事情があろうと大切な友人が誰かに悪く見られるのは嫌だと顔に出ていたらしく、全く気にしていないアイに「気にしないの。寧ろ、ミゲル様の目がこっちに向かなくて動きやすかったもの」と言われると苦笑するしかなくなる。
「フィービーはミゲル様に会いたい?」
「一度は会わないといけないと思ってる。そこで私の口から、婚約解消を申し込まないとって……ただ、いざミゲルを前にして冷静に話せるか不安」
「ダイアナ様のことがあるから?」
「それもだけど、一番は多分……」
もっと口にすれば良かったのかもしれない。具合の悪くなったダイアナの許へ行こうとするミゲルを止めて、せめて自分との時間が終わるまでは一緒にいてほしいと。考えた辺りでフィービーは頭を振った。行ってほしくないと伝えたら、聞き分けの悪い婚約者だと困らせていたと思う。掴もうと伸ばした手は微かにすら触れられず、遠くへ行ってしまうばかりだった。
「フィービーが婚約解消を申し込んでミゲル様が簡単に納得するとはとても思えないわ」
「納得してもらえなくても、ウェリタース家に戻らない私では、結局アリアージュ家に嫁入りは出来ない。私が駄目でも、ダイアナ様が嫌でも、ミゲルなら婚約者になりたいご令嬢は山のようにいる」
自分じゃない誰かがミゲルと一緒になる……いつもはダイアナを隣に浮かべていた。ミゲルが一番大切にしている女性がダイアナだった為。相手がダイアナだろうと他の誰かだろうと針で突かれる痛みは消えない。
暗い空気になりかけたのを気にしたアイが不意に両手を叩き、思い出したと言わんばかりに声を張り上げた。
「そうだ! 少し前、ディアナと街のカフェでお茶をした時のことよ!」
「ディアナは元気だった?」
「ええ、とっても。じゃなくて、フィービー、ここからが大事な話よ」
久しぶりに会ったディアナと沢山語ろうと思ったのも束の間、なんとダイアナがジェイドを連れてカフェへ訪れた。普段の具合の悪そうな様子はなく、健常者とあまり変わらない見目だったと聞かされたフィービーはただただ驚愕した。
「ダ、ダイアナ様が? 本当に?」
「本当よ。私やディアナだって吃驚したもの」
会うと必ず絡まれるのはフィービーだけではなく、友人ディアナ——ダイアナもそう。同じ名前、庇護欲がそそられる華奢な見た目、似ている部分が多くてフィービーとは違う意味で必ず絡まれていた。
急にダイアナが外へ出られるようになったか。何故だか、気味の悪い寒気を感じたフィービーはテーブルの下で両手を握り締めた。




