61話 一種の後悔
大嵐が去った玄関ホールに静けさが訪れた。持って来た忘れ物と見舞い品をミリアンに渡し、従者やミラージュと共に部屋へ戻っていく様を見届けたフィデスは途端に頭を下げたダイソンやハンナに振り向いた。
「フィデス司祭。危ないところを助けていただきありがとうございました」
「ありがとうございます……!」
「構わないさ。私も報せを受けて駆け付けたんだ」
報せを届けたのはアリアージュ家の騎士。ブルーメール公爵やウィンドル子爵の魔の手がウェリタース家の屋敷に及ばないとは考えられず、一日中見張りを付けていたのが幸いしてフィデスへ即連絡がいった。その時のフィデスは遊び疲れて眠ったジゼルを寝かしつけた直後。報せを届けた連絡鳩に褒美の餌を与えつつ、巻かれていた紙切れを読んで頭を抱えた。
「念の為確認だけれど、誰もレティーシャが来るという話は聞いてないね?」
「はい。あったとすれば、奥様は外出などなさいません」
「まあ、そうだろうね」
完全なる独断行動。公爵夫人とあろう者が先触れもなく他家の屋敷を訪れた挙句、傍若無人ぶりを披露するとは。ダイソンとハンナに労いの言葉をかけ、屋敷を出たフィデスは乗って来た馬車に乗り込んだ。
「城へ向かっておくれ」
「はい!」
大胆な行動を取ったレティーシャの真意は何か。慎重で狡猾なブルーメール公爵の差し金とは到底思えない。あの男ならレティーシャの行動を読み取っていれば必ず止めていた。つまり、レティーシャの勝手な行動と言える。
「レティーシャを動かした何かがある筈だ」
大きな動きはない。小さな動きもそう。見落としはないか思案している内に馬車は城の前へ来ていた。フィデスが降りると見張りの騎士の敬礼を受けた。
正面入り口を潜って広大なホールを真っ直ぐ進む。向かうはビアトリスのいる場所。日中は皇后宮にいる場合が多く、休憩をしにリーンハルトが訪れることも屡々ある。リーンハルトもいてくれれば、と考えながら侍女長に訳を話して案内をしてもらった。
皇后宮はビアトリスの愛する花や色に溢れており、夫婦憩いの場としている部屋は特にその傾向がある。
「叔父上? 今日はどうして」
運良くリーンハルトが休憩をしに皇后宮へ訪れていた。部屋に三人だけにしてもらったフィデスは、二人の向かいに座ると早速先程ウェリタース家でレティーシャが行ったことを伝えた。
「そんな……レティがする筈が……」
「していないなら、私が態々君を訪ねる理由はないだろうビアトリス」
「それは……そうですね」
「率直に言う。もしもレティーシャがビアトリス、君に泣き付きに来たなら、君は何もせずレティーシャを追い返すんだ」
「そんなことをしたらレティが可哀想ではありませんか」
「よく聞くんだ」
既にレティーシャは母親を知らない可愛い妹ではなく、立派な大人の一人であり筆頭公爵家ローウェル公爵夫人であること。一人前と自負する大人が癇癪を抑えられない我儘な子供のままでは社交界での示しがつかないこと。何より、レティーシャをビアトリスが擁護すれば皇族の権威を使って身内を庇ったと貴族からの非難が集中することを突き付けた。実際目の前の二人は、権力を使ってクリストファーとレティーシャを婚約させた前歴がある。当時の非難を思い出したビアトリスは身震いを起こし、顔を青褪めた妻を心配するリーンハルトは戸惑いの視線をフィデスへとやった。
「レティーシャは何故そのような大胆な行動を」
「さあ、本人曰く、リーンハルトの誕生日パーティー前にウェリタース夫人から受けた非礼を詫びてほしかったようだけれど。だが、事の発端はレティーシャ。いいかい? ビアトリス、リーンハルト。君達はレティーシャに一切手を貸さないこと。これを守ってくれるならこれ以上君達にとやかくいうつもりはない」
少なくとも、今の所では、ある。
「でも……レティが可哀想ですわ」
「可哀想? 可哀想なのはクリストファー君だ。望まない結婚を強いられた上、愛する人を侮辱され続けているのだから」
「フィデス様、私はレティに幸せになってもらいたい。お母様を知らないあの子を私やお父様は沢山の愛情を注いできました。幸せになってほしい妹の為なら、妹が想う人と結婚をさせてあげたいと思うのは普通ではないですか」
「その好きな人には、別の愛する人がいたとしてもかい?」
「だって……」
溜め息を吐きたくなるのをぐっと堪え、貴族とて愛する人と結ばれたいと願うのは誰だって同じでありレティーシャだけではないと語った上で次のように述べた。
「少なくとも、君やブルーメール公爵が説得していれば、誰も不幸にならずに済んだ。クリストファー君やダイアナ然り、レティーシャ然り」
「レティは」
「幸せな結婚なんて誰もしていない。幸せそうに見えるだけであって実際は不幸のどん底に落とされている。皆、ね」
「……」
尚もレティーシャの為と口にしかけたビアトリスは牽制されて口を閉ざした。見兼ねたリーンハルトが口を挟もうとする前にフィデスは腰を上げた。
「これからブルーメール公爵に会いに行く。彼の方からもレティーシャにお灸を据えてもらわないと」
「お父様は世界で一番レティを愛していますもの。そんなことしません」
「だろうね。まあ、言うだけ言ってみるよ」
部屋を出て行ったフィデスは見送りを断り一人で皇后宮を去った。広く長い廊下を靴音を立てて歩くフィデスは微笑を携えながら内面は極端に冷え切っていた。
「やはり、リーンハルトやビアトリスでは駄目か」
皇后宮を出た後は城の正面入り口に向かうつもりだったが、方向転換をして兄が暮らす離宮へと進んだ。皇太后との思い出に浸って余生を過ごす兄には申し訳ない気持ちを抱きつつ、見張りの騎士に道を空けてもらって兄ベネディクトが長くいる書庫室に入ると——目的の人はいた。
「フィデス? 珍しいな。お前が態々来てくれるなんて」
年老いて白髪が多くなった黄金の髪を一つに束ねた姿になってしまったが、若い頃は現在のオルドーと瓜二つの美しい青年だったと知っている。フィデスを見るなり歓迎の空気を醸し出すベネディクトに苦笑しつつ、実は、と切り出せば手にしていた本を本棚に収め呆れ果てたと言わんばかりに額に手を当てた。
「そうか……お前には苦労をかける」
「私は良いんだ。人に関わるのは好きな分、今の立場は性に合っている」
「お前らしい。はあ……」
失望と落胆の溜め息を吐きながら読書をする為の椅子に腰掛けたベネディクトは開けた窓から空を見上げた。オルドーが此処で暮らしていた頃は、小さかった彼を膝に乗せてやって一緒に日向ぼっこをしていた。それを長くしていると皇太后がお小言を言いに来てはオルドーを自身が育てている花壇によく案内をしていた。
「此処にいると皇太后やオルドーと暮らしていた日々を思い出す。私の息子はリーンハルトもいたというのに、どうしてかな……」
「さあ……独身の私には分からないな」
「我が子の幸せを願わない親はいない。ブルーメール公爵がレティーシャを溺愛するのは、亡き奥方の忘れ形見であり、幸せにすると死ぬ直前の奥方に誓ったからだと昔言われた」
「我が子の幸せを優先するあまり、他者を不幸のどん底に落とすのは違うんじゃないかと思うのだけれど」
「痛い言葉だ」
愛は盲目、という言葉は親愛に対しても使えるのかもしれない。遅くに出来たたった一人の皇子ということでリーンハルトを厳しくも愛情を注いできたベネディクトにとってフィデスの言葉は痛感した。此処へやって来たのは嫌味を言う為だけではないと見抜いているベネディクトに本題に入るよう促されたフィデスは、率直に皇帝の座をリーンハルトからオルドーに代えると宣言した。面食らったベネディクトはすぐに我に返ると厳しい眼差しで実弟を射抜いた。
「次期皇帝の座にはアルドルが就く。時期が早まるだけでは駄目か」
「アルドルでも申し分ないが当の本人もオルドーが次期皇帝になろうと文句はない。というか、市井に降りてもいいとすら考えている」
「仮にアルドルが了承していてもオルドーの意思は? オルドーは、次期皇帝はアルドルだと思っている。何より、あの子自身に皇帝になる気持ちはない筈だ」
「ああ、そうだ。だが、そうは言ってられない。リーンハルトのままでは、何れまた皇族の信頼は地に落ちる」
「……」
一度の信頼失墜でさえ、大きな打撃となった。信頼を取り戻すのに長い時間がかかった。もう一度リーンハルトやビアトリスがレティーシャ可愛さで権力を使えば、取り返しのつかない状況へと追い込まれる。そうなる前にリーンハルトを皇帝の座から引き摺り下ろさないとならない。
「お前の言うことは分かっている。けれど、周囲はアルドルが次期皇帝だと信じている。実際、アルドルは皇太子としての実績、周囲からの信頼はリーンハルト以上だと言っていい。リーンハルトやビアトリスを反面教師にして育ったアルドルなら信頼に足ると」
反面教師にしたせいで自由な性格になってしまったのは痛いが……という独り言はスルーしたフィデスは考えを曲げない姿勢を見せ、且つアルドルよりオルドーが皇帝に相応しい理由を幾つか述べた。苦い顔のベネディクトは考えを曲げる気のない弟に頭の痛い思いをしながらこれだけは譲れぬと頑なな姿勢を貫いた。容易く了解を得られるとは考えていないとフィデスは空気を柔らかくさせ、壁に凭れて質素な天井を見上げた。
「私とてこんな真似したくなかった。リーンハルトやビアトリスがああでも、息子のアルドルが立派に育ってくれるなら待とうとした。したが……時間というものは、それを許さなかった」
「早急に皇帝を代えるなら、オルドーよりもアルドルを皇帝にすべきだ」
人望や人柄を考慮してもオルドーは皇帝の座に就けるのだが、尊敬するベネディクトの容姿をそのまま受け継いだが為にリーンハルトの劣等感を強烈に煽り憎悪の混じった嫉妬心を向けられ続けた。あのまま帝都に居続ければ命の危険が迫ると判断し、フィデスの後を継がせる名目で北の教会支部の責任者に任じた。帝都と北の教会はどんなに早く向かおうと時間がかかる。おいそれと手が出せる距離から離したお陰かリーンハルトの悋気は収まった。
「リーンハルトがオルドーに並々ならぬ嫉妬心を抱くのは、私達が悪い」
たった一人の息子、たった一人の後継者。
遅くに生まれた、たった一人の——。
沢山の愛情を注いだ反面、帝国を統べる皇帝にすべく厳しい教育を施した。時に泣き言すら許されない場面へとも追い込んだ。リーンハルトには愛情があっても非常に厳しい両親に思えたことだろう。
「オルドーが生まれたのは、私に原因がある。それにも関わらず、皇太后はあの子を実子の如く愛してくれた。感謝こそすれ、皇太后を悪く思うことは決してない」
生まれた赤子に罪はない。かといって、そのままにしておけば碌でもない企みを持つ輩に利用されてしまう。オルドーを皇太后と共に離宮で育てたのは彼を守る為でもあった。
「貴方に瓜二つな容姿を持つ男の子。それにくわえ、義姉上に膝枕をしてもらって子守唄を歌ってもらったオルドーが心底憎くて羨ましいとリーンハルトは何時だったか私に零していたよ。それくらいのこと、君もしてもらっただろうと言ってあげても……ね」
実際あったことなのだが厳しい姿しか覚えていないリーンハルトは初めて見た光景の如き衝撃と強いショックを受けていた。異母弟に異様な嫉妬心を抱くのは当然の成り行きだったのだ。
「フィデス。オルドーに素質があるのは私とて分かっている。アルドルにだってある。帝国貴族が望む次期皇帝はアルドルただ一人。オルドーを皇帝にする以外なら、私に出来ることはなんだってすると誓う」
「はあ。兄上にそこまで言われると私も弱いなあ」
頑固なところは親子揃って同じと降参すれば、血筋だと返されたフィデスは肩を竦めた。幾つかのやり取りをベネディクトと交わし終えると今度こそ城を去った。乗り込んだ馬車が向かうのはブルーメール公爵家。数々の不正を抱えているのは事実であろうと決定づける証拠を決して残さない狡猾さと慎重性はある意味評価に値する。組んでいた足を解いて上を見上げたフィデスはぽつりと……
「はあ……ブルーメール公爵を始末しておくべきだった。なんならレティーシャ共々……公爵とレティーシャが死ねばビアトリスは勝手に弱って勝手に死んで、リーンハルトも後を追う形で殺せた……」
御者席の後ろにある窓は開いたまま。御者はフィデスの漏らした言葉が聞こえても何も聞いていない振りをする。長年フィデスの御者を務めるだけあって心得ているのだ。
「表は陛下が、裏は私が。お互い、適材適所で動いたのに。案外私は暗躍に向いてなかったね」
今の後悔を抱えるくらいなら、さっさと片付けてしまいたい。一旦、抱えている感情を横に置いたフィデスは前を向いてブルーメール公爵と対峙するか思案するのだった。




