60話 妹への嫉妬③
玄関ホールへと戻ったミラージュは息を呑む。さっき見た時は外にいたのに、いつの間にか玄関ホールの中へまで押し入っていた。とてもではないがダイソンやハンナだけでは対応しきれない。相手は格上の公爵夫人であり、現皇后の妹。皇帝にも妹同然に可愛がられているレティーシャに万が一、掠り傷一つでも負わせればダイソンとハンナは罰せられ、使用人の教育不足を理由にウェリタース家まで罰せられる。あの皇后なら皇帝を唆してやりかねない。
『ダイアナやフィービー以外のことで何かあれば、迷わずウェリタース家を切り捨てろ』とはクリストファーの言葉。此処へやって来た当初ならクリストファーの言葉通り自分の身に火の粉が降りかかる前にさっさとウェリタース家を見捨てて逃げた。けれど、二十年近く在籍しているせいですっかりと情が移ってしまっている。特に、目の前で対応に苦慮する二人には強い親しみを覚えている。
「私は……密偵失格ですね……クリストファー様……」
レティーシャに覚えられているか一か八かの賭け。見て見ぬふりは――しない。
「ダ――」
ダイソンの名を出し掛けた直後、横を走り抜けた人物が渦中へ飛び込んで行った。
ついさっき従者に対応を任せたミリアンだ。
「どうして……!?」
驚愕するあまり硬直するミラージュの後ろ、息を切らして駆け付けたのはミリアンの従者だ。
「も、申し訳ありませんっ、ミリアン様を説得していたのですが強行突破をされてしまってっ」
きっと渦中にいるダイソンやハンナも心の中で最悪だと叫んでいる。現に二人の顔色はミリアンが現れて真っ青に変わり果てていた。
「と、とにかくミリアン様を止めましょう!」
「一体何の騒ぎです!」
従者の制止を振り切って騒動が起きている玄関ホールへ駆け付けたミリアンは自信タップリだった。ここを冷静に対応すれば、父と義母の信頼を取り戻せると信じている。対応をしていたダイソンとハンナの顔色に気付かず、興奮状態のレティーシャに睨まれビクッと肩を震わせた。
「ロ、ローウェル公爵夫人とお見受けします。訪問予定があったと聞いておりませんっ」
「少しは話の通じる子が来たわね。ウェリタース侯爵夫人の許へ案内なさい。これだけ騒ぎを起こしているのに侯爵夫妻が顔を見せないのはどういうこと?」
「は、母上は今妹を連れてフィデス司祭に会いに行って不在です」
誰かが心の中で絶叫したが当然聞こえる筈もなく、更にゴーランドは体調を崩して入院していることまで話してしまった。咄嗟にダイソンが口を挟もうとするがレティーシャが黙らせ、標的をミリアンに絞った。
「そう……そうなの。ウェリタース侯爵は入院を。それはお気の毒に」
「は、はい。それでローウェル公爵夫人は何故」
「ウェリタース夫人に、この間の皇帝陛下の誕生日パーティーでの無礼を謝罪してもらうためよ」
当時、あの場にはミリアンもいた。どんな経緯で言い合いへ発展したのか、その結末も。気持ちが落ち着いてきたレティーシャであるが恐怖は未だ消えない。得体の知れない気配を纏っていた。
「お、お言葉ですが母上も言い過ぎたかもしれませんが亡きダイアナお母様を侮辱されて私や父だって」
「私だって悪かったと思ってるわ。ウェリタース夫人が謝罪をしてくれれば、ダイアナ様のことを詫びる。ね? 反省しているのよ」
扇子を閉じ、しおらしい態度を取られミリアンは困惑とし、間に入ろうとしたダイソンはレティーシャに睨まれ動けずにいる。
理想そのものの完璧な淑女であった亡き母を野猿と侮辱したレティーシャを許す気は更々なくとも、挑発をして激昂した原因は義母にも少なからずあった。気持ちが落ち着いてしおらしくなったレティーシャの謝罪したい言葉を信じるべきか、と悩むミリアンに更にレティーシャは言葉を重ねた。
「私の娘がミゲル様と仲睦まじいのはミリアン様とてご存知の筈。だって、貴方の実妹がミゲル様の現婚約者だもの」
「それは……」
「ミゲル様とダイアナは想い合っているのに、貴方の妹のせいであの子達は結ばれずにいるの。それに腹を立てている時にフィービー様は帝都にいないときた。てっきり、ダイアナとミゲル様の仲を見ていられなくて逃げたって腹を立ててしまってね」
ピンクがかった銀の髪、青い瞳、声質。それらを母から受け継いだフィービーは完璧な淑女とは程遠かった。外ではミゲルとダイアナの関係に嫉妬してミゲルに冷たく当たり、家では自身や父が叱りつけても態度を改めなかった。先に約束をしていたのはフィービーであっても、ミゲルの優先順位は病弱な幼馴染。デートの約束をしていようとダイアナが助けをミゲルに求めているならミゲルが応えるのは当然であり、婚約者のフィービーは黙って従うのが淑女の行いだと父やミリアンは信じている。母なら嫉妬しない、顔に出さない、不満を零さない。美しい微笑みの下に全て仕舞いこみ、受け入れる寛大な心の持ち主であった。
「ウェリタース夫人が戻るのは何時?」
「時間までは……」
「そうなの。ところでフィービー様のご容体は?」
決してフィービーの家出の件を外部に漏らすなと両親に厳重注意をされているミリアン。ダイソンやハンナ、後ろで見守るミラージュや従者はハラハラとした気持ちで見つめていた。
誰もが余計なことを言わないでほしいと祈っていた。
「フィービーは……」
「私、心配してるのよ? ダイアナにとって邪魔な人ではあるけれど病気になってしまうなんて気の毒で」
「違います! フィービーはミゲル様とダイアナ様の仲を妬んで拗ねているだけです!!」
「ミリアン様!!」
口を止めていられない。
口を閉じていればミリアンは本当にフィービーの家出を漏らしかねない。叱責される覚悟でミラージュが止めるとミリアンが形相を変えて振り向いた。
「なんだミラージュ! 私は事実を言ったまでだ! フィービーは――」
誰かミリアンを、それかレティーシャを無理矢理帰らせられる人を……と願った瞬間。場違いな暢気な声が響いた。
「こんにちはー。何だか賑やかだねえ」
一斉に視線が声の主へ振り向いた。見ると大教会の司祭フィデスがにこやかに立っていた。片手には大きなバスケットを持っていて、上に布が掛けられていて中は分からない。予想外なフィデスの登場に三者の反応は様々。
レティーシャはミリアンの失言を嬉々とした表情で聞いていたのに、フィデスの登場で一気に青褪めた。
ミリアンはどうして大教会の司祭が突然やって来たのか訳が分からず戸惑いを浮かべ、ダイソンやハンナ達は救いの手が来たと安堵した。
「ウェリタース夫人とジゼル嬢の忘れ物を届けに来たついでにフィービーへの見舞い品を持って来たのだけれど、二人はまだ戻ってないかい?」と聞かれたダイソンは姿勢を正し「まだ、お戻りになられておりません」と答えた。素早い対応の変化をハンナやミラージュは感服する。タイミングの良すぎる登場であってもフィデス相手に口を開ける者はこの場にはいない。
「なら、ミリアン、ウェリタース夫人の忘れ物とフィービーへの見舞い品を君に預けるよ」
「え、あ、はい」
バスケットを受け取ったミリアンは戸惑いながら忘れ物とは? と訊ねれば「ウェリタース夫人というより、ジゼル嬢の忘れ物かな。彼女が持って来ていたぬいぐるみが置いて行かれていたことに気付いた時にはもう二人は帰った後だったんだ」と軽やかに答えられた。バスケットの中にはジゼルのぬいぐるみの他に、年寄りの長話に付き合わせてしまった詫びの茶菓子が詰められていると伝え、バスケットをミリアンに渡したフィデスは真っ青な顔色のレティーシャに向いた。
「レティーシャは一体何をしているのかな。屋敷に近付いて行くと君の怒声が外まで届いていたけど?」
「あ、い、いや、その」
「使用人達の様子を見るに君が今日此処へ来るとは誰も知らなかったようだね。約束はされていたのかな?」
今日の訪問予定はないとミリアンとレティーシャ以外の面々が口を揃えて答えれば、落ち着きのない子供のようなレティーシャを黄金の瞳は映した。温和な色なのに瞳の奥にある軽蔑と冷たさがフィデスの恐ろしさを発してレティーシャを震わせる。
「ローウェル公爵夫人という座を君は甘く見てないかい?」
「そんなことはありませんわ!」
「なら、常識外れな行動は慎みなさい。何時までブルーメール公爵令嬢気分でいるんだ。今回のことをウェリタース夫妻の耳に入って厳重抗議をされても、君はどうせブルーメール公爵やビアトリスに泣き付くんだろう? クリストファー君は絶対に君を助けないからね」
「っ!!」
溺愛してくるブルーメール公爵や皇后ビアトリスならばレティーシャのやらかしをもみ消せるが、レティーシャをこの世の誰よりも憎むクリストファーは決して助けない。最も痛い指摘に歯をギリギリとさせ、青褪めていた表情を憤怒の形相へと変えたレティーシャは今にもフィデスに食って掛かりそうな空気を纏う。冷めた黄金はレティーシャを見つめつつ、冷めた声色で突き付けた。
「レティーシャ、君は身勝手過ぎる。ブルーメール公爵とビアトリスには君を助けるなと釘を刺す」
「なっ!! 何の権限があって!! 所詮は教会の司祭でしかないのに!!!」
「そうだね。ただ、若い頃に作った人脈が歳を取った今でも役立っていてね。ブルーメール公爵家が抱えている事業の最重要取引相手と親しいんだ」
もしも最重要取引相手がブルーメール公爵と取引を切れば、抱えている事業が失敗し、莫大な負債を抱える羽目になる。それだけではなく、レティーシャのやらかしをビアトリスがまた皇族の力を使ってもみ消そうとしたと公にするともした。
「クリストファー君とダイアナの件で皇族の信頼は一度地に落ちている。二度も同じ真似をすれば、増々信頼は離れるばかり。貴族達からの信頼と君への愛情を天秤に掛ければ、どちらに傾くか、なんて分かるだろう」
「そんなの、私に決まってる!!」
「ビアトリスはあれでも皇后としての矜持がある。君を庇って二度も信頼を失うなら、君を切り捨てる」
皇后としての地位と愛する妹を守る姉の位置。どちらを優先するかと問われればビアトリスは前者を迷わず選ぶ。亡き母の忘れ形見たる妹を溺愛していても最優先は己の保身だ。フィデスの指摘を受けても尚諦めないレティーシャだったが、感情が昂り過ぎて頭に痛みを覚えた。
「……今日は帰ります。気分が悪い」
「待ちなさい。その前に迷惑をかけた彼等に謝るんだ」
「嫌よ! 格下相手に何故私が謝らないとならないの!?」
帰る間際になってもレティーシャの態度は一切変わらず、謝罪するようフィデスに要求されるもまた感情を昂らせ顔を真っ赤に染め上げて強く睨んだ。ずっといては自分の身が保たないと踏んだレティーシャは淑女とは程遠い足取りで出て行った。
「よ……良かったぁ……」
「あ、ハンナ」
漸く大嵐が過ぎ去って身体から力が抜けたハンナはその場にへたり込んだ。慌ててミラージュが駆け寄って立ち上がらせようとするが足に力が入らなくて立てない。床に膝をつけてハンナの頭をミラージュは撫でながら労わった。
「此処へ来たのはグッドタイミングだったようだね」
「ありがとうございましたフィデス司祭」
「畏まらなくて良い。忘れ物を届けに来ただけなんだ。――さて」
何度もお礼を述べるダイソンには笑って対応を見せていたのに、くるりと振り返った先にいるミリアンに相手を変えると目の笑みを消した。ビクッと肩を震わせたミリアンを冷めた黄金が射抜く。
「私が来る直前、レティーシャに何を言おうとしたのかな」
「そ、それは……」
「まさかとは思うけれどフィービーが家出をしたと言おうとしたのかな?」
「っ、だって、事実ではありませんか!」
図星を突かれ、言い逃れは無理だと悟って開き直ったミリアンは更に冷たい眼を受けても引き下がらず、フィービーが家出したのはダイアナを優先するミゲルに拗ね、ミゲルの優しさを理解しろと叱った兄や父から逃げたのだと持論を展開した。この場にエイヴァがいなくて良かったとミリアン以外の面々は同じ気持ちを抱いた。
「ゴーランド君は少し理解し始めていると聞いていたけれど、君はまだまだか。頑なにフィービーの気持ちを知ろうとしないのはどうして。ダイアナが生きていた頃は、君達二人はとても仲の良い兄妹だったじゃないか」
ミリアンだけではない、ゴーランドともそうだった。大きな溝が出来た理由を知るフィデスは敢えて知らない振りを貫く。
「……フィデス司祭は知らないでしょうっ。ダイアナお母様は病に罹った後、療養をするべく一時サンディス領で暮らしていました。私も行きたかった、ダイアナお母様の側にいたかった、……だけど」
握る拳に力を込め、泣きそうな面持ちをしたミリアンは幼い子供が親に置いて行かれたかのような悲し気な姿をしていて、絞り出す声で自分は帝都の屋敷に置いて行かれたと告白。フィービーだけが一緒に連れて行ってもらえたと。この頃からフィービーと自分に差が生まれたと感じたのだ。
「跡取り教育の進みが悪かったのが置いて行かれた理由だと父上に泣いて縋ったらそう叱られましたが納得がいかなかった。確かにダイアナお母様が心配で勉強に手を付けられなかったのは事実ですが、あの時の私は勉強どころではなかった」
「君の気持ちは分からないでもない。母親が病に罹って心配しない子供はいない。教育の遅れを理由にされたなら、ダイアナを心配させまいと励む姿勢を見せるべきだったかもね」
「……」
サンディス領で療養し、帝都のウェリタース家の屋敷に戻った後もフィービーとの差をミリアンは感じていた。決して蔑ろにされていない。愛する母はいつだってミリアンを微笑みと共に美しい瞳に映してくれた。
ただ、フィービーと何かが違っていた。
「第一、ダイアナが君とフィービーに差を付けていたなら、ゴーランド君が気付くと思うが? ゴーランド君に言ったことは?」
「ありません……。ダイアナお母様の負担になることは、あの時禁じられていました。私とて、お母様に負担を掛けたくない。父上に相談はしませんでした」
仮に話したところで明確な言葉を持たなかったミリアン同様、ゴーランドが気付くとは到底思えない。いつもと変わらないダイアナと見ていただろう。
優しくて美しくて完璧と評される淑女、それが母ダイアナであった。
「要するに、ミリアン、君はフィービーに嫉妬していたのか」
「嫉妬……?」
「そう。嫉妬。ダイアナの愛情をフィービーが多く注がれていると君は感じたんだ。君が理想とする女性像たるダイアナの愛情を沢山貰ったフィービーに嫉妬し続けているせいで冷静な判断が出来ていないと見るが違うかい?」




