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58話 妹への嫉妬①

 



 一頻り家の中を見て回ったフィービーとアルドルの二人は、一階に降りて窓側に立っているオルドーを見つけた。



「お義母様やアイはまだ?」

「ああ。それらしい馬車はまだ来ない。元々、僕達が予定の時間より早く着いたんだ。気長に待とう」



 徐々に再会の時間が近付くにつれ緊張が増していたフィービーは心の準備をする時間があって安堵していた。アイとは、大教会でお別れの言葉を言えているがエイヴァには何も話せていない。定期的にしている文通には、常にフィービーの心配やウェリタース家のことが書かれていた。父や兄については必要最低限に、主な内容はジゼルやハンナ、ダイソン達について書かれていた。気を遣わせてしまっているのは自覚している。会ったら開口一番謝ろうと決めていた。


 身体に力が入り過ぎていたのか、横で思い切り伸びをしているアルドルに指摘された。



「今からガチガチになっているとエイヴァ夫人やアシュフォード嬢が来るまで保たないんじゃないか」

「そんなことは……あります、かね」

「長く緊張したって人間にいいことは何一つない。此処へ来るのはウェリタース侯爵でも君の兄君でもない。全く緊張するなと言わないが、ある程度肩の力を抜いた方がエイヴァ夫人もアシュフォード嬢も気が楽だろう」



 そう。此処へ来るのは父や兄じゃない。義母と親友。アルドルの何気ない言葉はフィービーに大きな安堵を齎した。お礼を述べ、何度か深呼吸をして身体の力を抜いていった。


 


 ——それから暫く。地面を走る馬車の音が届いた。きっとエイヴァやアイを乗せた馬車だと、外へ出ようとしたフィービーをオルドーが止めた。



「フィービー。念の為、僕が確かめる。エイヴァ夫人やアシュフォード嬢だったらすぐに戻る」

「は、はい」



 現状ブルーメール公爵やウィンドル子爵が動いている手前、何時何が起きても可笑しくない。警戒を怠って損はない。一人外へ出たオルドーを見届けたアルドルは不意に零した。



「叔母上を産んで祖母は亡くなったと聞いている。結婚をしたことのないおれには分からんが、忘れ形見をあんな風に育てて公爵に後悔はないのかって時々思う」

「……」



 ブルーメール公爵夫妻は鴛鴦夫婦として有名だったとフィービーも聞いた。長女を産み、次女も長女と同じで母子共に生きられると公爵だけじゃない、周りも公爵夫人もきっと信じていた。両方が危篤となった際、公爵夫人の意思を尊重して赤子を優先し、忘れ形見となった娘を大切にしたい気持ちは理解出来る。大切にしたいがあまり、周囲のことを全く顧みなくなるのは違う。


 止めた人はいても、止められた人がいない。


 その結果が今になっているとすると亡くなった公爵夫人は夫や娘を天国でどんな風に見ているのだろう。



「ブルーメール公爵にとっての幸せがローウェル公爵夫人の幸せなら、後悔はしていないかと」

「欲しい者を手に入れる為に、周りを不幸にしても、か」

「それでローウェル公爵夫人が幸せになるなら……」



 姉であるビアトリスが父や妹を説得するか、周囲の力を使って変えていたらまた違う未来はあったのやもだが、ビアトリスもまたブルーメール公爵と同じで忘れ形見を間違った方向へ大切にし過ぎた。

 レティーシャが最も望むのはクリストファーの愛とクリストファーの心を縛り付ける亡きダイアナに瓜二つなフィービーの殺害。これらを達成することでレティーシャは初めて安寧を手にする。


 伏目がちだったフィービーだが、扉が開かれると瞼を上げ、出入り口に立つ女性を見て瞳が潤んだ。濃い青の瞳が潤むと海を見ているようだと昔フィービーに言った人は——



「フィービー! 元気そうで良かった。ふふ、帝都にいた頃よりずっと健康になって」



 服装こそ裕福な平民の女性のそれだが漂う気品や立ち振る舞いが貴族の女性だと醸し出しており、手袋を外してハンドバックに仕舞うとフィービーに近付いて肉付きのよくなった両頬を包んだ。



「お……お義母様……っ」



 潤んだ瞳から雫が零れ落ちていく。泣くつもりはなかった。泣いたら、優しいエイヴァを困らせてしまう。

 実際エイヴァは困ったように笑っている。

 けれど、それを迷惑がっているかと問われると——否定する。



「泣かなくていいのよ。私は貴女を責めたりしない。貴族の娘が家出をするなんてよっぽどの覚悟がないと無理よ。実行をしても、結局生活を送れなくなって帰って来るのがオチ。フィービーはちゃんと生活をしてる」

「それも、協力をして下さったフィデス司祭や、私を北の教会支部に置いて下さるオルドー様、支えてくれる皆様のおかげです」

「周囲の助けがあったって本人次第では失敗する。あまり褒め過ぎてもフィービーを困らせてしまうだけだけれど、周囲がフィービーを助けるのはフィービーが努力していると知っているからよ」


 優しい義母は理不尽な罵倒も罵声も浴びせない。怒声も発しない。ここまで考えてくれているとは予想外だった為、フィービーは涙が止まらなくなった。



「お義母様に相談をせず申し訳ありませんでした。迷惑を掛けたくありませんでした。でも、かなり迷惑を掛けてしまって……」

「私も貴女に謝らないと」



 謝られることが一つもないフィービーが不思議そうにすれば、穏やかに笑まれた。



「フィービーが旦那様やミリアンと折り合いが悪いと知りながら、力になってあげられなくてごめんなさい」

「そんなっ、お義母様は悪くありません。空気を悪くさせていたのは私達の方です」

「旦那様とミリアンは、フィービーが私やジゼルを快く思ってないと言って距離を置かせようとしてた。フィービーはそんな子じゃないと私が言ってもね。私が余計なことをしてより溝が深まったらと考えたら、中々旦那様やミリアンに強く言えなかった。何より、ダイアナ様を亡くした心の傷が癒えてない貴女や旦那様達に負担を掛けたくなかった」



 時間が過ぎるとあの時こうしていれば良かった、ああ言えば良かったと幾つも幾つも浮かび、一つ一つに後悔の念が押し寄せた。



「貴女にまた会えて嬉しい。旦那様やミリアンがいない此処なら、ダイアナ様について話せるもの」

「お母様の?」



 病に罹ったダイアナの主治医は先代ホワイトゴールド伯爵でエイヴァは助手を務めていた。同性なら気が許せるだろうと言うホワイトゴールド伯爵の判断で頻繁にダイアナの世話をしにウェリタース家を訪れていたエイヴァは、ある時こんな話をした。と言ったところで次の声が飛んだ。



「私も! 私も聞きたいです!」

「アイ!」



 エイヴァの後ろからひょっこりと顔を出したのはアイ=アシュフォード。最後に会った時とアイは変わらないが、健康的な意味で変わったフィービーを目にすると飛び付く勢いで抱き付いた。



「フィービー! 会いたかった!」

「私もよ!」



 爵位は違えど唯一無二の親友とお互い認識している。何があったって二人はお互いを信じる。抱き合った後、身体を離すと大きな瞳を見開いた。



「ほんとだ……フィービーちょっと顔が丸くなったわね」

「フィ、フィデス司祭にも前に言われたわ……」

「太ったって意味じゃないわよ? 夫人と同じで健康になったって意味」

「うん、分かってる」



 久しぶりに会う人全員に言われている気がしてならない。ガリガリに痩せてはいなかった……と思い出そうとするが、帝都にいた頃の自分が思い出せない。細さは美しい容姿を保つ要素の一つと貴族令嬢は認識しているものの、細すぎて却って不気味だと言い切ったのはエイヴァ。元医者の目線で言うと太りすぎなのは勿論、細すぎるのもNGなのだ。

「玄関で長居するより、中でゆっくりしよう」とオルドーが戻る。家に入ってすぐ見えるリビングに行くとアルドルが窓側に立ったまま手を振っていた。皇帝の誕生日パーティー以来、帝都不在の皇太子が同席するとフィデスに聞いていたらしいエイヴァとアイであるが、やはり驚きは隠せない。すぐに頭を下げようとしたのをアルドルが制した。



「ああ、おれのことは気にせず。置物だと思ってくれて構わない」

「皇太子殿下を置物だなんて……粗相をすればアシュフォード家でも弁済が大変になりますわよ……」

「気にしないって。おれが好きで此処にいるだけさ」



 帝国一の大富豪の跡取り娘にこう言われようとアルドルは一切気にせず、なんなら誰よりものんびりとしている。

「二人とも、アルドルのことは気にせず。さあ、中に入って」とオルドーに促されたエイヴァとアイ。中に入る間際、アイが「あっ」と声を出し馬車へ戻って行き、両手に何かを抱えてすぐに戻った。

「それは?」とフィービーが訊ねれば、アシュフォード家の料理人に用意してもらった紅茶のポッドだと笑った。



「きっと長話になると思ってね」



 布に包まれたポッドをテーブルに置いたアイは、慣れた動きで食器棚に近付いてマグカップを両手や腕で抱えられる分を持ってテーブルに置いていく。



「大き目のポッドで用意してもらって丁度良かった。お菓子は……忘れちゃったけどお茶があるとないのとでは全然違う」



 恐らく一番茶菓子を欲しているのはアイ。紅茶を飲む時は、必ず紅茶に合う茶菓子とセットにしていた。

 布を解き、大きなポッドを片手で持ったアイは一つ一つマグカップに紅茶を注ぐ。その間、フィービーとオルドーがエイヴァと向き合う形で座った。アルドルは対面両者を視界に入れられる位置に椅子を置いた。全員分行き渡ってアイがエイヴァの隣に座ると本題に入った。



「私がさっきフィービーに話そうとしたのは、ダイアナ様が亡くなる二ヵ月くらい前のことよ」



 二ヵ月前というと一日の殆どをベッドで過ごすようになっていた時期だ。起きている時間も短く、食事もあまり摂れなくなっていた。陽光の下で明るく笑っていた母は、病によって痩せて健康な肌の色もすっかりと青白く変わっていた。

 己の死期を悟っている節がダイアナにはあった。主治医を務める先代ホワイトゴールド伯爵やエイヴァも然り。病を完治する方法どころか、一日でも長く延命する方法も上手く見つからず、歯痒い思いをしていたエイヴァはある時ダイアナに結婚をしないのかと問われた。



『私ですか? 考えたことありませんでした』

『ホワイトゴールド伯爵夫人に結婚をしろと言われなかった?』

『ふふ、一句一句同じ言葉を今此処で言えるくらいには』

『まあ』



 帝国全土を見渡しても女性医師はまだまだ数が少ない。特に貴族の女性となると。偶々、ホワイトゴールド伯爵家は代々医者の家系でエイヴァは女性ながら優れた才能を持ち合わせていたのと本人の強い希望があって医者になれた。



『ダイアナ様やウェリタース侯爵を見ていると結婚も案外悪いものではないとは思います。まあ、こんな色気のない私に結婚を申し込む相手はいませんが』

『色気がないなんて。同性の私が見てもエイヴァさんは素敵な女性よ』

『ありがとうございます』

『怒るとちょっと怖いのはアレだけど……』

『何か言いました?』

『何も』



 偶に苦すぎる薬を処方するとダイアナが逃走を図ろうとし、察知したエイヴァによって阻止される。というやり取りがあった。笑っているのに静かに怒っているエイヴァを前にするとどんな人も萎れてしまう怖さがあり、以降ダイアナはどんな味でも受け入れてきた。



『幼いミリアン様やフィービー様の将来をこれからも見守る為に頑張りましょう。私や父も出来る限りのことはします』

『そうねえ……でも……』



 ほんの一瞬、瞬きをして、もう一度瞬きをしたら消える刹那の間。ダイアナが見せた影が掛かった横顔は忘れられない。



『私は十分生きたって思ってる』

『ダイアナ様』



 ハッとなったエイヴァは諦めかけているダイアナを咎めるもいつもの明るい笑顔を向けられると押し黙ってしまった。

『心残りがないわけじゃない』と言いながら、シーツをそっと捲った。そこにはフィービーが身体を丸めて眠っていた。



『フィービー様……?』

『エイヴァさんが来る少し前に此処にね。私と一緒にいたいって。ミリアンが連れ戻しに来たけれど、フィービーの好きにさせてあげたいってお願いしてこのままにしてもらった』

『ミリアン様は?』

『ミリアンは今ご友人の屋敷へ遊びに。七日前に約束をして当日に断るのはマナー違反よって言って送り出してもらったのよ』



 ダイアナの隣で眠るフィービーは小さなダイアナを見ているようだった。幼少期を知らないエイヴァから見てもフィービーはきっと子供の頃のダイアナに似ているのだろうと感じた。



『フィービーの成長をもっと見たいな……フィービーが大きくなった姿を……』

『ダイアナ様……』

『フィービーは私の幸福……私の宝物……この子が生まれてくれたから、私はここまで頑張ってこれた。そうでなかったら私は……』



 眠るフィービーの頭を撫でながら語るのに、語り相手がエイヴァではなく、此処にいない誰かに語っていた。青い瞳が映しているのは遠い誰か。


 それが誰かエイヴァには分からなかった。



 

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どう考えてもクリストファーの子なんだよなぁって思うけど、違うんかな。 まぁどっちにしろダイアナの子ではあるけれど、病床でも完璧でなんていたくないよ。 そんなの押し付ける方が鬼畜だし、最期を悟ってたなら…
この時期のダイアナは、理想の令嬢を妻にして理想の妻を押し付けてくる夫、理想の母親を押し付けてくる息子は、心底どうでも良かったんだな……
ほんと兄はどうでもよかったんだな マジで毒親だよなぁダイアナも
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