46話 四桁の数字
滞在日数はオルドーやアルドルと相談の上決めることとし、客室に通されたフィービーはクッションが背に置かれた椅子を暖炉の前に置いて腰掛けた。膝に母が生前使用していた日記を置いて。
「お母様は……お父様と結婚をして幸せでしたか?」
フィービーが見ていた母は、本来の母ではなかったのかもしれない。“完璧な淑女”を求めた父の前では、決して仮面を外さなかったのなら、本来の姿とかけ離れた自分を演じるのは相当なストレスだった筈。母の病は若い人が罹ればあっという間に病状が進行し、亡くなる場合が多いと耳にした。過去の話を聞くだけで知った、病気知らずでとても元気だったと。まだ健康だった母の姿を思い浮かべた。
太陽のように明るく、聖母のような慈愛に満ちた微笑みでいつも家族三人を優しく見守っていた母。“完璧な淑女”の仮面を着けた母の姿。
仮面を外した姿をフィービーにだけ見せていたとしよう、どうして兄には見せなかったのか。
一つの答えに行き着いた。
「お兄様もお父様と同じでお母様に“完璧な淑女”を求めていたのだとしたら」
庭の高い木に登って降りられなくなった猫を助けた昔話から考えて兄もそうなのだとしたら。娘のフィービーがどんな母でも受け入れたから、領地で療養するとなった際連れて行ってくれたのだとしたら。
「……お母様……」
母にとって“完璧な淑女”の姿は多大なストレスの源だったのだとしたら。
「お母様が病気になったのは……ストレスのせいでもあった……?」
亡くなってしまった以上、死人の口から事実が語られることはない。ただ、有り得る事実にフィービーは戦慄した。
祖父母に渡されたアンティーク調の日記の表紙を撫でる。ここに母の真実が記されている。知りたい自分と知りたくない自分がいる。どちらに傾くか、と考え——知りたい自分に重きへいった。
「問題は、暗証番号ね」
四桁のダイヤルロック式の鍵。普通に考えて誕生日が妥当。
母、父、兄、自分、祖父母、伯母という母と関係のある人達の誕生日で試したが全て外れ。
「お母様の好きな日とかかしら」
帝都で開催されるお祭りが大好きだったので思い当たる日付を入れるも当たりはなかった。
「うーん……」
他に思い付く数字はないか考え、実行したフィービーだがどれも外れだった。
「駄目ね。全然分からない」
お手上げだと、日記を持ったまま背凭れに身体を大きく預けた。父や兄に見られれば、だらしないと叱責する格好をしようと此処に叱る人はいない。
呼吸がしやすい。自分らしくいていいと思える開放感がある。人と接するのが楽しい。一日の終わりが早いとやりたいことが沢山あるのに、と勿体なく感じる。ウェリタースの屋敷にいた頃だと感じられないものを北の教会支部に来てフィービーは得た。
「暗唱番号、暗証番号……」
母が選んだ四桁の数字は何か。考え込むフィービーは、ふと、北の教会支部に来てすぐのことを思い出した。
高位の人はオルドーしかいない北の教会支部では、身分の差はほぼないと言っていい。ギデオン伯爵令嬢のアズエラはさっぱりとした性格で、初めは伯爵令嬢という身分な為、町出身の神官達に遠慮されていたらしいがすぐに打ち解けていった。苦労したのがフィービー。
フィービー自身は周りに溶け込もうと必死だったのと生来の高貴な雰囲気によって、気さくな孤児院の職員や子供達を除くと神官達と打ち解けるのに時間が掛かった。自分の何がいけないのか、孤児院の職員や子供達との態度に差があるのかと一人悩んでいたら、職員のダイアナが声を掛けてくれた。
『どうしました? フィービーさん。悩みがあるように見えるけれど』
『えっと……大したことではありません。自分でなんとかします』
誰かの力は借りれない。自分の力で解決しないといけない。一人で苦難を乗り越えられない人間は貴族に相応しくない、と知っている声が頭に響いていた。作り笑いを浮かべたフィービーの手がダイアナの両手に包まれた。久しぶりに誰かに触れられた温もりがフィービーの身体に入っていた力を抜いていく。
『ここでは皆が協力をし合って生活を送っています。悩みがあるなら遠慮せずに言ってちょうだい。私達に話しにくいなら、オルドー様に言ってもいいのです』
オルドーだとより話し辛い気がするも敢えて口にしなかった。
『フィービーさんは此処で生活を始めたばかり。慣れないことの方が多くて当然です。分からないなら、悩みがあるなら、溜め込まずに話してちょうだい。一人で抱えてばかりだとすぐに限界を迎えてしまいます。人間は、強く見えて実際はとても脆い生き物ですもの』
手を包むダイアナの両手の温もりが齎す安心感は決して忘れられない。母が生きていた頃の温もりをまた感じられると思っていなかった。
屋敷にいた頃そうだった。父や兄に相談したところで待っているのは叱責か失望。義母はきっと親身になってくれた。フィービーのことを実の娘のように想ってくれていたのは肌で感じていた。父や兄の目が何時何処でフィービーを見ているかと思うと気安く接せられなかった。だから、何も言えなかった。異母妹のジゼルが無邪気にフィービーを慕ってくれたのが唯一の救い。純粋でまだ淑女の仮面を知らないジゼルに向けられる好意があまりに心地よかった。
『頼っていいのよ。私達としては、頼られる方が嬉しい』
『頼って……良いのですか?』
『ええ。フィービーさんのようなお嬢さんが何でも一人で抱え込んだって良いことはありません』
誰かに頼っていい。頼ってほしいと言われ、緊張の扉が開かれた。自身の悩みを打ち明けたフィービーは、あの時微笑んで聞いてくれたダイアナの姿に母親という面影を見た。
それ以来、悩みや困り事があると誰かに話した。ダイアナだけじゃない、トレイシーやアズエラ、ウォレスやスザンナにも。平民だけあってウォレスやスザンナの回答は時に生粋の貴族令嬢として育ったフィービーの度肝を抜いた。そんな考えがあるのか、と。まだ大胆な発想は浮かんでも口にするのを躊躇するけれど、ウェリタース家にいた頃より行動的になっている筈。
フィービーは日記を持って部屋を出た。向かう先はオルドーのいる客室。扉をノックして入室するとアルドルもいた。
二人がいるなら丁度良い。フィービーが訪問理由を伝えるとオルドーは早速考えた。
「フィービーが思いつく数字は、全て試したんだな?」
「はい。お母様やお父様、お兄様や私といった身内の誕生日。お祖父様やお祖母様、伯母様の誕生日も試しましたがどれも駄目でした。お母様が好きなお祭りの日等でも試しましたが全て外れで……」
母に関する四桁の数字が正解なのは間違いないだろうが、他に心当たりのある数字が見つからない。
「あ」と発したアルドルに二人の視線が向く。
「ローウェル公爵の誕生日とかは?」
「公爵の……有り得そうです」
アルドルにクリストファーの誕生日を聞き、早速試してみた。
「……駄目ですね」
鍵は開かなかった。
「クリストファー=ローウェルの誕生日でもなければ一体何の数字なんだ」
「サンディス家に関することで四桁の数字に繋がる何かはないか? フィービー嬢」
「サンディス家で……」
ふと、領地で春夏秋冬毎に行われる収穫祭を思い出す。母は特に秋の収穫祭が好きだったと話していた。取り敢えず、春・夏・秋・冬の開催日で試した。が、開錠されなかった。
「これでもないなら、他に思い付くものがありません」
二度目のお手上げ状態となってしまったフィービーは深く息を吐いた。
「一人、知っていそうなのが今同じ場所にいるじゃないか」と突然言い出したオルドーに驚くも、誰かすぐに解った。
「ローウェル公爵に……ですか」
「ああ。先代サンディス侯爵夫妻より、クリストファー=ローウェルの方が詳しい筈だ」
突然部屋へ行っては迷惑ではないか、と悩むフィービーの背をアルドルが押した。
「さっきの公爵の感じだと、フィービー嬢が相手なら知っている範囲で教えてくれる。おれも知りたいし、早速行こう」
「わわっ」
窓際に立っていたアルドルは素早く耳付きニット帽と黒眼鏡を身に着け、悩むフィービーの背を押して部屋を出て行った。少々強引だが悩み癖のあるフィービーには、あれくらいが丁度いい。現在はマシになっているが北の教会支部に来た当初は、誰かに相談をしたり、頼るという行為に強い苦手意識を抱き、自分から場に溶け込もうとしても空回りしていた。見兼ねた職員のダイアナがフィービーに助言をした甲斐あって、段々と自分だけで何でもかんでも成そうとしなくなった。人間は一人で生きていけない。どんなに優れていても。
「だとすると……」
アルドルに見限られたのは自業自得なのに、我が子の愛を欲するリーンハルトも人間の性質からは逃れられないのだ。
「陛下といい、ゴーランド=ウェリタースといい、親が子供を見捨てることはあれど、子供が親を見捨てるとは考えなかったのだな」
子供とて成長すれば自分で考え、行動をする。
——アルドルに外へ連れ出されたフィービーは、まずクリストファーが使用している客室がどこか知っているテーヴを探すことに。玄関ホールへ来てテーヴの行動を思い出す。幼い頃の記憶だと、普段邸内のあちこちを動き回って問題がないかを確認していた。
「今の時間だと、三時のおやつの準備に取り掛かっている筈なので、先ずは厨房へ行ってみましょう」
頷きかけたアルドルが不意に足を止めた。
「どうしました?」
「どうやら、執事を探す手間は省けたみたいだ。あれ」
アルドルが指差した方は庭へと続く長い廊下がある。そこに探し人のクリストファーがいた。側には、灰色と白の毛が混じった大きな犬とその犬の子供らしき小さな犬が三匹クリストファーの足下でじゃれていた。
「あれって……」
フィービーやアルドルに気付いたクリストファーが顔を上げた。
「どうしました」
クリストファーに近付き、先程祖父母に託された日記を見せた。
「日記に掛けられている鍵の暗証番号に心当たりはありませんか? 私が思いつく四桁の数字はどれも外れでした」
「……その日記は、私が子供の頃誕生日プレゼントとしてダイに贈った物です」
「子供の頃に?」
「淑女らしいことをしてみたいと言い出したので日記を書くことを勧めました。私が日記を送ったのは、ダイのやる気になればと思って。まあ、子供の頃は一文字も書かず終わりましたが」
日記に分厚いタオルを巻き、枕代わりにされていたと語るクリストファーの目は若干遠かったものの、母との思い出を語っている時の深緑の瞳は生気に溢れ輝きを取り戻していた。
「日記を書き始めたのは、ゴーランド=ウェリタースに嫁いでからだとダイは言っていました」
ならば結婚記念日が暗証番号? と抱いたフィービーは早速試したが——開錠しなかった。日記を贈られた日をクリストファーに聞いて試すもそれも違った。
他にクリストファーが思い付いた四桁の数字を試して——駄目だった。
「お母様は一体どんな数字を暗証番号に……」
日記にはきっと誰も知らない母の本音が記されている。母が何を思っていたか知りたい。
悩むフィービーは、ふと、視線を感じ下を見やった。大きな犬がフィービーをジッと見つめている。瞬きを繰り返す内、犬について思い出した。
「もしかしてベン?」
そうだ、と言わんばかりに犬——基ベンは吼えた。
「最後に会ったのは、療養を終えたお母様と領地に戻る時だったわね」
領地で過ごしていた時は、まだ赤ちゃん犬だったベンも現在は歳を取って老犬になっていた。自分のことを覚えてくれていたベンの頭をそっと撫でてやる。足下にいる赤ちゃん犬はベンの孫。親は帝都のサンディス邸で暮らしている。赤ちゃん犬は、帝都のサンディス邸で生まれた六匹の内、先代夫妻が三匹引き取ったのだとか。
超大型犬とあって赤ちゃんでもデカい。




