38話 自分なら出来たか?
「お父様がローウェル公爵夫人に情報を送っているのは事実だったのでしょうか?」
恐る恐る口にしたフィービーの答えを二人は持っていない。しかし。
「エイヴァ夫人に依頼して探りを入れてもらっている。さすがに尻尾を出す真似はしないみたいでね。確定的な証拠はない」
「そうですか……」
娘のフィービーにはトラウマになるレベルでミゲルとダイアナの幼馴染という関係に邪な感情はないと植え付けたのに対し、当のミゲルにはフィービーとの婚約を快く思っていない旨の発言を放った。二人の関係を破綻させようとデートの情報をレティーシャに流していた理由が何か知りたい。亡きダイアナに瓜二つなフィービーをウェリタース家の屋敷に縛り付けるのが目的なら、端から婚約させなければ良かったのだ。フィービーとミゲルの婚約は、あくまでダイアナとアリアージュ公爵夫人キャサリンの口約束。必ず遂行させる強力な誓約はない。愛する妻の約束を果たしてやりたいという気持ちにしては、肝心な二人の気持ちを無視し過ぎている。
「アルドル。僕はクリストファー=ローウェルの行方が気になるんだが」
「公爵のですか? ミゲルの話では、先代公爵夫妻の状態が良くないらしいとのことですが」
年齢的に何があってもおかしくない。ローウェル公爵領は、南側に位置する。オルドーの心配は杞憂だとアルドルは笑い飛ばすが本人の顔は優れない。
「オルドー様は何を気になされているのですか?」
「明確な言葉があるわけじゃない。妙な胸騒ぎがするだけだ。まあ、アルドルの言う通り杞憂に過ぎんだろう」
一旦この話は終わりだとオルドーが強制的に終わらせた。
「サンディス領へ行く前に一人で色々と思い出したことがあります。お母様が療養の為にサンディス領へ行く時、泣いて縋るお兄様を置いて行ったこととか、ウェリタース家では見られなかったお母様のお転婆なところとか」
「ミリアン殿を置いて行った? それはどうして」
侯爵は王都に残るにしても幼い子供を一人置いて行くのが気になったアルドルに触れられたフィービーは、当時ミリアンの跡取り教育に遅れが出ているからとの説明を受けたと語った。真面目で勤勉な兄の印象が強いけれど、母が病に伏せると頻繁に家庭教師との勉強を抜け出しては様子を見に行っていたと母やミラージュに聞いた旨を語った。
「フィービー嬢だけをか。うーん……何だか気になる」
「そう、ですか?」
「フィービー嬢は気にならない?」
「気にならないと言えば嘘になりますが、重要だとはあまり」
「ダイアナ夫人は社交界で完璧な淑女と言われていたが、家族にも常に完璧な淑女の姿を見せていたのか?」
「……あ」
不意に声を漏らしたフィービーは指摘を受けて改めて思い出したことがあった。完璧な淑女と呼ばれた母は、フィービーの前だけでは素顔を見せてくれた。けれど父や兄の前で見せたことはあったかと考えたのだ。覚えている限りないのだ。
「私が庭師に聞いた話です。ウェリタース家の庭には、何十年も前から大きな木が立っていて、そこに降りられなくなった猫がいたことがありました」
母がこっそりと餌を与えていた猫で木の天辺へ登ったのは良いが降りられなくなり、情けない声で鳴いているのを庭師が見つけた。
「その日はお父様が不在の時でした。餌を与えていたのを知っていた庭師に聞いたお母様が木に登って猫を助けたのですが、それを偶々お兄様が見ていたようで」
救出された猫は母の腕の中で喉を鳴らし、すっかりと安心しきっていたが真っ青な顔で駆け付けたミリアンが大声を出すと吃驚して逃げてしまった。残念がる母にミリアンは衣服についた毛を手で必死に払った。
汚い猫を抱っこしないで、綺麗なドレスに汚れがつくと泣きながら言い。挙句、木登りなんてはしたない真似をしないでほしいと責められたのだ。
「はしたない……まあ、はしたない、のか?」と平民と近い距離で生活を長く送るオルドーの怪訝な声色をアルドルもフィービーも微妙な反応で返した。
「一般的な反応で言うなら、そうなのかも。人前でさえやらなければ多目には見られる。ただ、フィービー嬢の話を聞くに、ミリアン殿は完璧な淑女のダイアナ様を尊敬していたんだな」
「そうですね……お父様もそうですがお兄様も、私に完璧な淑女になれと言い続けてきました。ひょっとしたら、お母様が療養の地にお兄様を連れて行かなかったのは、跡取り教育の遅れの他に、完璧な淑女の姿を脱いだ自分でありたかったからと今になって思えます」
病に伏せようと決して仮面を外さなかった母の心労は大きかった筈。何にも縛られず、伸び伸びとした環境で過ごすには完璧な淑女としての母を求める父や兄がいては駄目だったのだ。その点、フィービーはどんな母でも笑顔で受け入れていた。多少吃驚はあれど、どれも大好きな母であることには変わらない。少女のように瞳を輝かせ、病に侵され乍らも活き活きとしていた母は幸せそのものだった。
「領地でローウェル公爵に会っていた……なんてあったら、フィービー嬢も覚えているか」
「私が覚えている限りではありません。私の知らない場所で会っていたら正直分かりませんが……」
あの頃、生活をしていた中で特に変わった点はなかった。王都から駆け付けた伯母も心配げにはしていたが特別な変化はなく、祖父母や使用人達もそう。
「詳しいことはサンディス領へ行った時にまた聞けばいいさ」
温くなったマグカップの中身をオルドーは一気に飲み干し、一旦席を外すと告げて部屋を出た。残ったのはフィービーとアルドル。皇太子と二人きりの状況フィービーには耐えられず、自身も失礼しようと腰を上げ掛けた時、待ったを掛けられた。内心緊張しつつも腰を元に戻すとアルドルは安心した笑みを浮かべ見せた。
「フィービー嬢。ダイアナや叔母上の件が片付いたら、本気でミゲルに会ってやってくれ。会ってあいつを捨てるか選ぶかは君次第だ」
「……皇太子殿下は、私にミゲルの側へ戻ってほしいですか?」
「本音を言うとそうなる。君が姿を消したと知った後のあいつは、毎日君の居場所を見つけようとしては何も掴めなくて落ち込んでいた。身体から黴でも生えそうな雰囲気のままでいられるとあいつを扱き使いたいおれとしては迷惑なんでね」
「扱き……」
名門アリアージュ家の嫡男であり、皇太子の右腕としても信頼されているミゲル。アルドルが皇帝となった暁には、ミゲルは引き続き彼の右腕として立つのだろう。
「が、無理強いはしない。問題が解決してもミゲルに会いたくないならそれでいい。最優先は、フィービー嬢、君の気持ちだ」
「正直なことを言うと、ミゲルには誰かに相談してほしかった。アリアージュ公爵夫妻が駄目ならフィデス司祭、皇太子殿下にだって話せた筈です」
「まあな。一応擁護するなら、人一人の命を天秤に掛けられたんだ。自分の判断で死んでしまったとなると当時のミゲルに耐えられる根性はなかった」
「今は……耐えられるのでしょうか」
「フィービー嬢に二度と会えなくなるのが嫌なら切り捨てる。偶にだが、おれも吃驚する決断をする」
「……」
決断をするなら、もっと早くに決断をしてほしかった。ダイアナの許へ行かないでと引き止める度に、困ったような、何とも言えない表情でやんわりとフィービーの手を離し続けたミゲル。すぐに誰かに話せなくてもどこかで誰かに話してほしかった。
「不満?」
「ないとは言い切れません。もっと早くに……そうしてほしかった。ですが、私がミゲルの立場でそれが出来るかと聞かれれば……出来なかった」
人の命は重い。自分のせいで本当に死んでしまったら、一生その人の命を背負って生きていかないとならない。耐えられる覚悟がミゲルにもフィービーにもない。
「皇太子殿下は、ダイアナ様が亡くなってもいいと仰いましたね」
「残酷って言いたい? 不要な者と必要な者。どちらを優先すると問われれば、当然後者だ。両陛下の寵愛を良いことに、好き勝手してくれるダイアナやジェイド、叔母上を消すなら今が絶好の機会だと心得ている。ミゲルだって同じさ。あいつが使い物にならないなら切り捨てる。個人の情と国への情で天秤を掛けるなら、おれは迷わず後者を選ぶ」
生まれた頃より次期皇帝として育てられたアルドルにとって心許せる相手は少ない。大叔父のフィデス、叔父のオルドー、親友のミゲル、従者のロード。一つでも不要と感じる部分があれば即切り捨てる決断力は皇帝として必要な素質。冷たく聞こえてもアルドルの立場なら、それが必要だとフィービーも理解を抱いている。
——同じ頃。サンディス領では、外套を羽織り、フードを被った男が厩舎に入り愛馬から降りた。男の側に歩み寄った執事は雪を払った外套を受け取ると此方ですと邸内へ続く道を案内し、馬は別の者が連れて行った。
「中で旦那様と奥様が首を長くしてお待ちですよ」
「あのお二人の目に映る私は、いつまでも子供のままなのですかな」
「貴方やダイアナお嬢様が此処で過ごしていた時が一番楽しかったとよく話しておられます」
「私も……同じです」
クリストファーは顔馴染みの執事の案内で先代サンディス夫妻のいるリビングルームへと入る。執事が声を出すと暖炉の前にゆったりとした椅子を置いて談笑していた老夫婦が顔を上げ、やって来たクリストファーを見るなり頬を綻ばせた。
「クリス君、よく来てくれた!」
「ごめんなさいね。多忙の身なのに、態々こんな北の地に足を運ばせてしまって」
「お気になさらず。私の方こそ、顔を見せる機会がなく申し訳なく思っておりました」
子供の頃からクリストファーやダイアナを温かく見守って来た先代夫妻は、今も尚変わらぬ優しさと気遣いに溢れ、荒み虚ろに侵食されつつあるクリストファーの心を癒してくれた。用意されていた椅子に座らされると先代侯爵ジークが思い出したように告げた。
「近い内、私の孫が此処へ来るんだ」
「孫?」
「ああ、フィービーが来るんだ」
「!」
「理由は分からないが今近くにいるらしいんだ。オルドー殿下と近い内に来ると手紙が届いてね。理由はどうであれ、久しぶりにあの子に会えるなんて嬉しいよ」
嬉々として語るジークに気付かれないようクリストファーは「そういうことか」と独り言ちた。
彼女の家出に手を貸したのはアイ=アシュフォードかフィデス、どちらかだと考えていた。生粋の貴族令嬢として育てられたフィービーが協力者無しに成功させるとは思えなかった。協力者がフィデスなら、安全で見つからない場所で信頼の置けるオルドーのいる北の教会支部と居場所を導ける。
「フィービー嬢は元気でしたか?」
「手紙を読む限りでは元気そうだよ。あの子は、偶に私達でも間違えてしまうくらいダイアナにそっくりだ。声もダイアナに似ていて……それが良いのか悪いのか分からないな」
「……」
当主の座を姉のゾイの婿に渡して以来、二人は極力帝都の噂を聞かないよう静かに暮らしていた。恐らくゾイの方もあまり耳に入れないようにしているのだろう。
「フィービーが来たら、クリス君も会っていくといい。フィービーは吃驚するだろうが、人見知りをする子じゃない」
「……機会があれば」
一つ確実に言えるのは。
あの子が——元気でいると知って安心した。




