37話 驚くことが多数
黄金の髪を雑に掻き、目の前の甥に何度目かになる溜め息を吐いたオルドーの前に熱々のお茶を淹れたマグカップを置いた。オルドーお気に入りの一つ、鮭を咥えたクマが描かれたマグカップだ。同じ物をアルドルにもと言われた為、大きく口を開いたクマのマグカップをアルドルの前に置いたフィービーはオルドーの隣に座った。お茶を淹れると言って席を立ったのはいいものの、オルドーとアルドルが向かい合って座っていた為、自身はソファーの近くに立っていようかと悩んだのを見兼ねたオルドーに隣を勧められたのだ。
「父上は元気だったか?」
「全盛期より衰えは激しいと嘆いていますがピンピンしてますよ」
「そうか」
皇帝の座をリーンハルトに譲って以降、表舞台に現れず亡き皇太后を偲ぶ為と離宮でひっそりと暮らしていた先帝。滅多なことでは口を出さないと決めていたがこの間のリーンハルトの誕生日パーティーでの出来事をフィデスに聞かされ、同じ過ちを繰り返そうとしたリーンハルトとビアトリスを呼び付け激怒した。今回のアルドルの北の教会支部行きも積極的に手を貸したのが先帝だ。
「フィービー嬢は亡きダイアナ夫人とローウェル公爵の関係をおじ上達に聞いているね?」
「はい。とても驚いています」
「ダイアナ夫人が生きていた頃、ローウェル公爵と会っている素振りはあったかい?」
「いえ。私が覚えている限りではありませんでした」
「ウェリタース侯爵とダイアナ夫人の夫婦関係が良かったなら、尚更気付かないか」
記憶にある限り、父と母が喧嘩したことは一度もなかった。時折、母が拗ねて父がご機嫌取りをしていたがそれも夫婦の愛情表現なのか、すぐに元通りになっていた。
「オルドー様や皇太子殿下は、皇帝陛下の誕生日パーティーで何を目撃したのですか?」
「ああ、順を追って話そう」
語り役はオルドーが買って出た。
会場の前でアリアージュ家とウェリタース家が遭遇している時にレティーシャとジェイドに支えられフラフラなダイアナがミゲルを泣いて責めたこと、二度と見舞いには行かないと絶縁を突き付けたミゲルに激昂したレティーシャをクリストファーが窘めたこと、医者の目でダイアナを診ていたエイヴァが具合の指摘をするとレティーシャはより癇癪を酷くさせフィービーが病欠なのは診断書を偽造したのだと言い放った。挙句、亡きダイアナを野猿と罵倒しクリストファーに頬を殴られてしまった。
驚きの声を上げたフィービーに無理はないと二人の皇族は頷いた。
「人の目がある場所では、家族を大事にしていた筈のローウェル公爵がどうして」
「ダイアナ夫人を罵倒した叔母上を許せなかったそうだ。耐えようとしたが耐えられなかったと」
「ローウェル公爵夫人がお母様を野猿と呼ぶのは、お母様の姉との言い合いを知っているからでしょうか?」
「と、言うと?」
病に伏せた母がサンディス領で療養をしていた際、一人同行していたフィービーは駆け付けた伯母に昔話を聞いていた。家庭教師から逃げ回る母を連れ戻そうと奮闘した伯母はよく言い合いをしていたそうで。
「伯母様は逃げるお母様に“野猿”だ、“凶暴な野生の河馬”と言い放っては、お母様が“のっぽ”や“綺麗でお行儀の良い白熊”と言い返していたと」
「……どうしてだろう、見たことがないのに光景が目に浮かぶ」
アルドルの言葉には一理ある。当時は浮かばなかった光景も知らなかった母のことを知ると光景が浮かぶ。
「サンディス家に行ったら、私の知らないお母様を聞いてみます。そして、ローウェル公爵様についても」
「僕も同じだ。ところでアルドルはどうやってついて来る気だ」
領地で隠居生活を送っていると言えど、黄金の瞳を見れば皇族だと一発で分かる。
そこでアルドルは御者に扮していた際に使用していた黒眼鏡の出番だと自信タップリに言い放った。
「目の周囲に傷があると誤魔化せばいいんです。おじ上と違って髪の色でおれが皇太子だと判断はつきにくいでしょうし」
「そうか?」
アルドルの髪色は暗紫色。リーンハルトと同じで更に皇太后と同じ。世代を考えると見抜かれる可能性は大いにある。黒眼鏡と耳付きニット帽を必須としてアルドルの帯同は許された。
「レティーシャ=ローウェルは、狂気染みた執着心をクリストファー=ローウェルに抱いている。恋敵と呼ぶダイアナ=サンディスを観察するのは当然と言えば当然だろうな」
「伯母様とお母様が人前で口喧嘩をするとは到底思えません。お母様のことを知っている上で野猿と言っているならどこで知ったかが気になります」
「そうだな。それについてもサンディス領で聞いてみよう」
頬を殴られたレティーシャとショックによって気絶したダイアナはジェイド付き添いで医務室に運ばれ、誕生日パーティーには出席しなかった旨をアルドルが話した。もしも会場にいれば、頬を腫れ上がらせたレティーシャを見たビアトリスは悲鳴を上げ、犯人がクリストファーと分かれば人目を憚らず糾弾していただろう。
「公爵が冷静だったお陰で大叔父上に助力を求めたんだ。ダイアナの具合が悪くなった体にし、叔母上とジェイドは付き添いの為来られないというシナリオにして乗り切った」
「ローウェル公爵様は今どうしているのですか? 夫人を殴ってそのまま屋敷に戻るとは思えなくて」
「ミゲルから聞いたんだが、公爵はパーティーの明朝領地へ行くと言っていたらしい」
元々話を始めたのはアリアージュ公爵が庭に出たクリストファーを追い掛けて呼び止めた為。途中で表に出たミゲルにあることが告げられた。
「フィービー嬢。ウェリタース家には、ローウェル公爵が送り込んだ密偵がいる」
「え!?」
驚くのは無理もない。つい声を上げてしまったフィービーは恥ずかし気に手で口を押さえた。
「すみません……」
「気にしないでいい。ミゲルに聞いたおれも驚いた。心当たりはないか? ダイアナ夫人が嫁入りした頃に仕え始め、ダイアナ夫人が公爵と会う時その密偵を通して会っていたらしいんだ」
言われて心当たりを探したフィービーは、不意に一人の侍女が頭に浮かんだ。
「一人……います。ミラージュと言って、母の専属を長く務めた侍女が」
現在でもウェリタース家に仕えており、面倒見が良く新入りは大抵彼女に仕事を教わる。フィービーの侍女ハンナもそう。自身を先輩ではなく、年上の同期だと思いなさいと教えることで相手への緊張や不安を取り除き、懐に入り込むのが非常に上手い。
家出を決行した日、洗濯物の振りをしてカートに隠れたフィービーを運んだハンナに声を掛けていたのもミラージュだ。
「ミラージュが……ローウェル公爵様が送った密偵だなんて……」
「気付かれないのが最重要事項だからな。誰も知らないのは当然だ」と言うオルドーは、別の話題を切り出した。
「ダイアナ=ローウェルの病気についてだ。ウェリタース夫人や主治医を務めるホワイトゴールド伯爵に改めて聞いてみたんだ。確実にレティーシャ=ローウェルは自分の娘に特効薬を与えていない」
幼きオルドーが罹った病気と同じというのがホワイトゴールド伯爵の判断。オルドーの主治医を務めた先代伯爵にも診てもらった上で診断を下した。
「毎月、高額な特効薬を購入しているのは確かだ。幼少の頃から摂取し続けていれば完治に近い状態の筈だが、一向に症状が治らないのは何故だと頭を悩ませている」
「薬を与えているかダイアナ様ご本人に確認は」
「それが……」
直接ダイアナに聞こうにもレティーシャが決して会わそうとせず、薬は用法・用量を守って投与しているとの一点張り。ダイアナの病が治らないのは薬が合っていないせいだとホワイトゴールド伯爵を責める始末。
「ダイアナの様子や言動を見る限り、ミゲルに会うと特効薬を与えられていそうだ」
「では、ミゲルがダイアナ様に絶縁を突き付けたせいで特効薬を与えられてないと……?」
ダイアナの治療に特効薬は必要不可欠。このまま解熱剤だけを投与され続ければどうなるのか……恐る恐る訊ねたフィービーの答えを二人は持っていない。
ただ。
「唯一分かるのは、このままだとダイアナが死ぬ可能性が高いということだ」
「……」
「フィービー嬢には冷酷に聞こえるかもしれないが、このまま勝手に死んでくれるなら、こっちで始末をする手間が省ける」
言葉通り確かに冷酷だ。ミゲルとの関係破綻に大きく関わるダイアナを快く思っていないフィービーとて死んでほしいとまでは思わない。
「……公爵夫人が自分の娘に、私のお母様と同じ名前を付けたのは公爵への当てつけだったのでしょうか」
「若しくは、同じ名前を付けることで同じだけ愛してもらえると思ったのではないか」
恋は盲目、という言葉は誰が考えたのか。憎む女が産んだ娘に愛する女性の名前を付けられた当時のクリストファーの心情は如何に……。




