35話 貴方の真意は②
自分以外にも盗み聞きしている人がいたと、更にクリストファーが気付いていたと知ったアイは極力気配を出さないよう息を殺した。現れたミゲルが何を言うかはしっかりと耳を傾けて。
「私が見舞いに行かなかったのが原因でダイアナが死に掛けた時、公爵夫人と揃って私を糾弾したあれはダイアナを想ってのことではなかったのですか」
「生憎ですが、私は子供達を愛しいと思ったことはありません。今後も」
「……なら、公爵は私とフィービーが婚約破棄をしたら、どうする気だったのですか」
「……」
アイにとっても気になるところだった。フィービーとミゲルが婚約破棄をして得をするのはレティーシャやダイアナ。家族をどうとも思っていないクリストファーがフィービーとミゲルの婚約破棄を狙っていたとは思えなくなっていた。回答を待つ間の空気は妙に重く、息苦しい。額から頬を伝って汗が一粒落ち、地面に小さな染みを広げた。軈て、誰かの溜め息が聞こえた。
「これ以上答える義理はない」と冷徹に言い放ったのはクリストファー。
「公爵……!」
「一つ、私からミゲル様に助言を送りましょう。ゴーランド=ウェリタースに否定的な言葉を向けられようと、そこにいるバーナードでもキャサリン夫人、何ならフィデス様でも良かった。君は助けを求めるべきだったんだ」
「な、何を」
「ダイが嫁いですぐ、私はウェリタース家に密偵を送り込んだ。ダイが亡くなった現在でも優秀な使用人として仕えている者から、定期的に報告が上がる。その中に、ゴーランド=ウェリタースがミゲル様とあの子の婚約を破棄したがっている旨があった」
「!!」
声が出そうになったのを咄嗟に口を押えることで成功したアイの内心は、ただただ驚愕に染まり切っていた。
「ウェリタース家に密偵を……? クリス、君は」
「ダイは知っていた。最初に再会した時、彼女と定期的に会えるよう密偵を頼れと私が言ったんだ」
「……こんな言い方はしたくないが、ダイアナ様と君のそれは立派な不貞行為だ」
「ああ。もしも発覚した時、私やダイは非難をされる覚悟は出来ていた」
離縁される可能性も視野に入れていたに違いないが、伴侶を深く愛しているゴーランドやレティーシャが実際に離縁をしていたかどうかは疑問となる。特にレティーシャは離縁をしなかっただろう。皇后に泣き付き、クリストファーやウェリタース家に罰を与えるのが精々。
ウェリタース家の面々や他の使用人達からの信頼が篤い密偵ならば、フィービーが家出をした件もクリストファーに伝えている。敢えてミゲルが試せば、頷かれた。
「居場所までは私も知らない。ただ……密偵曰く、彼女の専属侍女やウェリタース家で最も信頼されている執事宛に時折手紙が届いていると聞いた」
「フィービー嬢を見つけたいと思うか?」
フィービーにダイアナを重ねて見ているクリストファーなら、誰よりも先にフィービーを見つけたいと思う筈。バーナードの問いに答えず、肩を竦め踵を返した。
「私は暫く帝都を離れる。領地にいる両親から報せが来てな。あの二人もいい歳だ。そろそろ覚悟が必要だろう」
「そうか……私個人として、見舞いの品でも贈ろう」
「いや、それには間に合っている。会った時にお前が心配をしていたとだけ言っておく」
乾いた足音が静かになった周囲に鳴り、遠ざかっていくとアイは口を塞いでいた手を離した。隠れて盗み聞きをする行為は、予想よりもずっと疲れると初めて知った。
「ローウェル公爵の真意が見えません……フィービーをダイアナ様に重ねているのに、必死に探している素振りが全くなかった」
「……私が思っていた以上に……クリスはダイアナ様との思い出によって生かされていたんだな」
「え?」
不意にバーナードが零した言葉が気になったアイは上げ掛けた腰を下ろし、耳を澄ませた。
「愛していたダイアナ様が亡くなって以降、レティーシャ様や子供達を守る姿勢を見せ始めたクリスを見て、あんなにも憎んでいる人間を受け入れるられるのかと疑問に思いながらそうなのだと決めつけていた。実際は違っていたんだ。子供に罪はなくてもレティーシャ様の子というだけで、クリスにとっては憎悪の対象だったんだ」
「ダイアナやジェイドの横暴な振る舞いを許しているのは、愛情ではなく……興味がないから……?」
「ああ……離縁をする方法だって必死に考えたに違いない。それでも離縁が出来ず……どうでもよくなったんだろう」
「……」
心の底から愛している人がいた。
その人とは両想いで婚約も秒読みであった。
横恋慕をされ、皇族の力を使って別の相手と強制的に結婚させられた。
きっと白い結婚をし、離縁する方向に持っていこうとした。
けれど出来なかった。クリストファーが思っている以上にレティーシャの執着が強かったせいで。
「……貴族の結婚って思うにしても……」
貴族の結婚に愛はない。夫婦になって愛を育むパターンはある。アイの両親、アシュフォード男爵夫妻がそれ。
ただ、クリストファーとレティーシャの場合は、あまりにレティーシャの一歩通行な思いと暴走によって沢山の人を不幸にしてしまっている。
「……」
ウェリタース家にクリストファーの送った密偵がいる旨をフィービーへの手紙に書き記すか迷ったアイは——今此処で見たこと全て書くと決めた。
「ダイアナおば様がローウェル公爵と密会をしていたのはショックだったけれど、事実を知った以上ただの不貞だと非難出来ないわ」
フィービーにだって知る権利はある。
同じ頃、パーティー会場にいるオルドーは話し掛けて来る貴族達を適当にあしらい、そろそろ部屋に戻ろうか考えていた。リーンハルトの顔を十分に立てる時間は滞在したのだ。長居して変に絡まれるのは嫌だ。頼みのフィデスは大教会と親しい関係を持つ貴族の当主と談笑している。
あんな風に言葉を交わす相手がオルドーにはいない。
ずっとフィデスの許で育てられ、成人間近になると大教会の司祭になる修行という名目で北の教会支部の司祭に任命された。
帝都に残ったままでは、オルドーを次期皇帝に担ぎ上げたい一派が企みを起こしかねず、親しい人もいなかったので名残惜しむこともなく帝都を立った。
「おじ上」
ただ、一人だけオルドーが北の教会支部への赴任が決まり、ギャン泣きして大反対を起こした子供が一人いた。
「アルドルか」
甥のアルドル。父と違ってオルドーを歳の離れた兄のように慕う。彼が幼少の頃はよく面倒を見ていた。リーンハルトからはオルドーに会うなときつく言い付けられていたものの、幼い頃から知恵が回るアルドルはビアトリスにお願いをしてオルドーに会っていた。隙間時間を見つけては顔を見せる両親より、長く一緒に遊んでくれるオルドーが相手をしてくれるなら、とビアトリスは苛立つリーンハルトを宥め会わせてくれた。
「ミゲル=アリアージュと離れていいのか?」
「ミゲルは、庭へ出て行ったローウェル公爵を追い掛けて行ってしまったので」
詳しい為人は知らなくてもミゲルが短気を起こす人間ではないと信じたい。
「フィービー嬢をミゲルに会わせるには、まだ努力が足りませんね」
「お前の合格基準は知らんが容易に会わせる気はない」
北の教会支部で働くフィービーの仕事振りは神官や孤児院運営の職員の評判は良く、町の住民達との関係も良い。同行していたアズエラもすっかりと馴染んでおり、二人がトレイシーやダイアナを始めとした女性陣とお茶会等をして楽しんでいる光景を目撃する回数も増えてきた。このままフィービーは北の教会支部で働いていた方が幸せだと感じるのは錯覚ではないと信じたい。
「ゴーランド=ウェリタースやその倅はともかく、夫人や末の娘が何時かフィービーに会いに行くのは許容範囲内だ」
「だとしても、諸々を片付けないと」
フィービーを巡っては敵が多い。筆頭はレティーシャ。その次は実の父。……クリストファーについてはよく分からないとアルドルは溜め息を吐いた。
「公爵が何を思い、企んでいるのか見当もつきません」
「フィービー嬢が家出をしている件だけは絶対に知られないようにするんだ。もしも家出をしていると知れば、必ず見つけようとするだろう」
どんな手札を持っているか読めない相手な以上、油断は禁物。
不意にオルドーの視線がある方へ向き、釣られたアルドルも見やれば、初め懸念材料の一つに数えていた熱砂の国の国王がエイヴァに絡んでいた。側にいるのは弟のホワイトゴールド伯爵。
拙いと感じ取ったアルドルが動こうとしたのをオルドーは止めた。何故と言いたげに睨む甥に見ていろとオルドーは無言で制した。
こんがりと焼けた肌、大きく出ている腹、銀の髪に赤い瞳を持つ熱砂の国王はねっとりとした視線をエイヴァにやっており、隙あらば身体に触れようとした。ホワイトゴールド伯爵が止めても相手は他国の国王、大それた真似には出れない。
「おじ上、止めなくていいのですか」
「熱砂の国の国王は、大の医者嫌いで有名なんだ。まあ見ていろ」
「お主、人妻とは思えん美しさよ」
「恐れ入ります」
「儂は暫く帝国に滞在する予定でな。儂が滞在する間、案内役をしてくれんか? 帝国とは今後も友好関係を築いていきたい」
つまり、断れば帝国との関係に亀裂が走るぞと暗に脅している。遠くで眺めているビアトリスとリーンハルトが近付いているのに気付いたアルドルだが、それでもオルドーの制止を受けて動けない。元々フィービーを彼の国王に気に入らせたかったのだ、標的がエイヴァに変わろうとあの二人にとっては変わらない筈。
「ホワイトゴールド伯爵家は、宮廷医師として長年皇族を支えている。現当主の姉が女好きと有名な国王に見初められるのを黙って見ていられる筈がないんだ」
オルドーの指摘通り、現に両陛下は彼の国王とエイヴァの間に入った。
「これはこれはラジェーシュ陛下。楽しんで頂けているようで何より」
「おお、リーンハルト陛下。帝国には相変わらず美女が多くて羨ましい限りだ」
「何を仰る。常に数多くの美女が陛下の側にいると聞いていますが?」
「儂は美女と美酒を何よりも好む。多ければ多いだけ越したことはない。このご夫人を是非、帝国に滞在している間、儂の案内係にしてもらいたい。お主等が初め言っていた“完璧な淑女の娘”というのは、どうやら病欠しているようでな」
“完璧な淑女の娘”
この言葉が出た瞬間、会場内の空気が一変した。リーンハルトとビアトリスは見るからに焦りを見せ、エイヴァは微笑みを崩していないが纏う雰囲気が変わった。
誰も口には出さないが思うことは同じ。
嘗ての過ちをまた繰り返そうとしていたのか、と。
「ラジェーシュ国王陛下。私は陛下のお眼鏡に適う女では御座いません」
「何を言う。お主程の美女、そうそうおらんだろうに」
「有り難いですわ。ただ、私——陛下がお嫌いだと聞く医者ですの」
「なっ」
熱砂の国の国王の医者嫌いは有名な話で、高熱が出ようと大怪我を負おうと意地でも医者にはかからず、自己治癒能力を以て復活を遂げている。
生家が代々宮廷医師を務める家系であること、自身も医師免許を持っており結婚する前は医者として帝国全土を渡り歩いたこと、現在も依頼があれば医者としての務めを果たしているとエイヴァの説明を受けたラジェーシュは非常に悔しそうな声を漏らした。
「儂は医者は嫌いだ……どんな美女であっても医者なら御免だ」
「陛下のお力になれず申し訳ありません」
「ぐぬぬ……非常に惜しい」
微笑みを保ち、美しく礼を見せたエイヴァはリーンハルト達にも一礼をするとホワイトゴールド伯爵を連れてその場を離れた。
ほっとした表情になり、安堵の息を吐いたアルドルは新しい美女を求めるラジェーシュと共に歩き出した両親を冷めた黄金の瞳で睨んだ。
「おれの忠告を軽く見ていたってことか」
「皇后には効果覿面だったのだろう? だとすると、陛下が勧めたのかもな」
「ダイアナをミゲルの婚約者にしたい為に……ですか」
「ああ」
実の息子には最低限の愛情しか示さず、妻の姪には惜しみない愛情を注ぐ父を早くから切り捨てているのに、どうしてかチクりと胸が痛んだ。
「パーティーが終わったら叔父上の説教があの二人を待っている。あそこ」
「うん?」
オルドーが指差した方には、友人といるフィデスがいて。エイヴァと同じく微笑んでいるのに纏っている空気が恐ろしい。
「今のラジェーシュ陛下の発言で、皇族はまた貴族の婚約に首を突っ込む気だと周囲は思っただろう。実際、陛下のダイアナ=ローウェル贔屓は有名らしいからな」
「どうしようもない。我が父ながら」
アルドルはそっとオルドーの肩に頭を預けた。
「おじ上に……陛下の代わりを求めていたのかもしれません」
「知ってる。面倒事は御免だが、お前の相手くらいなら幾らでもしてやる」
実の息子に背を向け、妻の姪を可愛がるリーンハルトを寂しげに見つめていたアルドルを見掛けて以来、何故甥が自分に懐くのかが分かった。父に愛されていたオルドーとしては、父に愛されないアルドルが不憫で構ってやることで寂しさを忘れられるならと大事にしてきた。
「おじ上は皇帝の座が欲しいですか?」
「要らん」
「うわ、即答」
「僕が欲しいなんて言ったら、お前の今までの努力が無駄になる。帝国民も友好国も次期皇帝はお前だと認めている。次の皇帝はお前だ、アルドル」
時期が早まるか、そうでないかはリーンハルト次第である。
——ベッドに入り、まだ眠くないと駄々を捏ねるナナリーに絵本を読んでいたフィービーは、静かになっていることに気付いて顔を上げた。
「ふふ……」
いつの間にかナナリーはお気に入りのウサギのぬいぐるみを抱き締めて眠っていた。
「ジゼルもそうだったな……」
時折、絵本を読んでほしいとせがまれ、よく読んであげる絵本を読んでいるといつの間にかジゼルは眠ってしまっていた。
「おやすみなさい、ナナリー」
頬にキスをし、毛布を首まで上げた。ランタンと絵本を持って扉付近に来たフィービーは、子供達が全員眠っていることを確認後、寝室を出て行った。




