説諭には落ち着きと知性が必要です 2
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
図南寮から出ると、五月独特の青臭い匂いとともに、ボールをける音や楽し気な掛け声が届いた。昼休みになったのだ。
だが風は爽やかなのに、今までの周りからの、圧とかいうものが、どっと背中にのしかかってきたような。
大原女史の言葉が今更沁みて辛かった。正しくて。
小緑は間違ったことは言わなかった。当番がいるなら、片付けはその生徒がやるべきだった。毛尾に満ちてはいたけれど、間違いではなかった。
それでも早苗嬢が背中を丸めて奥へ隠れていく姿が、どうにももの悲しくて、小緑が理不尽に思え、一矢報いてやりたいと思った。
だがそれは、「私が」「やり返したい」感じているだけだ。それは、小緑の成長や反省を促すものではない。ただ「小緑を負かしたい」「ねじ伏せてやりたい」と思うのと、何が違うのか。
「怒る」と「叱る」は違うのだ。
そしてこの期に及んで、己が間違ったことよりも、ベテランにぐうの音もなくやり込められたことを、私は気にしている。
両手を己の頬へ、勢いよく振り上げる。パン、と、なかなかいい音がした。
自己嫌悪で吐きそうだが、ここで参っていては仕事が終わらない。こみ上げるものを飲み込んで、まずは、小緑へのフォローだ、それから昼にここの食堂で食べるのは精神的に…金銭的にもかなりきついものがあるので、一緒に食べないことを再確認して、ああそれとやっぱりパン食い競争のパンの確認と。
…再びうつうつとなりそうだが、今度こそ顔をあげ食堂に向かう。
図南寮を出ると、図書館の前を歩いて行けばすぐ食堂なのだが、いかんせん、校内が大きい。
歩みを速めていると、遠く食堂へと進む先、大図書館前で、明るい栗色の髪と、小さく小柄な少女が談笑していた。橙野とルマちゃん、そして傍らに立つ少年二人は、彼らの同級の山田と神崎である。
遠目から見ていても、楽しそうに談笑して、会話を心から楽しんでいるのが分かる。ルマちゃんの目元は少し赤い。級友たち二人はからかうような笑みで見守っている。
微笑ましい。可愛い。小緑と早苗嬢の…――あ、まって思い出すと恥で吐きそう…――とにかく殺伐とした雰囲気と比べると、薫る爽やかな青春の風と血肉凍り付く酷寒の狂風のような大きな差がある。
橙野が私に気が付いて手を振った。
「あ、百合ちゃん! 運動会でパン食い競争やるんだって!? 俺出るね!」
耳が早いし食欲に忠実だし決断も早い。
「橙野は今日もバレーか? 準備大変だろうに」
「第四はコートはりっぱなしだから大丈夫」
山田少年が神崎少年と笑って答えた。この学校、大学施設も含めるが、体育館が第五まである。グラウンドは四つ。私は庶民にすぎないので、顔に出ないようにしながら土地代に思いを馳せた。
「百合ちゃん百合ちゃん、オレね! アンパンがいい!」
「先生つけてくれ…アンパンかあ、いいね」
ほどほどのサイズ、袋に入った状態のものなら、咥えやすく吊りやすそうだ。
「小っちゃいサイズのアンパンが5こ入ってる、袋の長っ細いヤツ! ヤマダ屋のこぶしアンパン!」
咥えにくくて吊りにくい。
「それかカン崎パンの食パン一斤!」
「一斤」というパワーワードとそのハードルについて考え込んでいると、
「橙野、お前…お前はカン崎パンを、愛してくれていると思っていたのに…!」
「神崎…?」
ニヤニヤと橙野達を見守っていたはずの級友が震え、もう一人も愕然とうめく。
「橙野……ヤマダ屋の、ヤマダ屋のパンが、好きだってっ…、言ってたじゃないか…!?」
「山田! そんな、それは本当だよ! オレは大好きさ!」
何の修羅場?
山田少年はきっと神崎少年をねめつけ、神崎はその視線に受けて立った。
二人の間に目に見えない火花が散る。
「今回のパン食い競争、仕入れ競争は負けないぞ…!」
「望むところだ…!」
「ヤマダのアンパンは、今年リニューアルして滑らかさは素晴らしいんだぞ!」
「カン崎の酵母研究はどこにも負けないんだ!」
「やめて、オレの為に争わないで!」
ルマちゃんも慌てて「山田君、神崎君、落ち着いて!」となだめるが、二人は聞く耳を持たない。
「こ、これは一体…!?」
おののく私にルマちゃんは無情に告げる。
「山田君はヤマダ屋創業者の孫で、神崎君はカン崎パンの取締役の次男です」
そんな馬鹿な。
「黒瀬先生、名前で気づかなかったんですか?」
「か、カンザキはともかくヤマダは無理…!」
橙野の制止空しく、山田少年と神崎少年はヒートアップし、今にもつかみかからんばかりだ。
「ちょっと、ま、待て、待ってくれ、仕入れも何もまだ」
何でパンを吊るかもわからないのに!
緊迫と焦りで混乱し始めたその時、「邪魔よ!」と鋭い怒声が背後から叩き付けられた。
振り返るとそこには、眉間に深い皺を刻んだA子嬢が立っていた。