第十九話 間隙
――日柳都市統治会
それはこの重機関都市日柳を統治する議会。貴族院と共にこの都市を治める組織。そうそのはずだ。少なくとも、機関情報網においても、地下機関情報網においても、魔導情報空間における全ての魔導情報都市においても、それだけは間違いない事実として認識されている。
だが、ここ。日柳中央区、高層ビルディングの一室。日柳統治会の会議室として選ばれたこの一室は見るからに異質な空間であった。
暗い。薄暗い。黒色機関灯の灯りに照らされた室内は明るいのに暗いという矛盾した光景を生み出している。
宇宙のようにも思える暗がり。ここに紅い双眸でもあれば鬼が出たと勘違いしてもおかしくないほどの暗がり。
だが、ここにはそんなものはいない。ここにあるのは機関ではない。人でしかない。深海の底のような場所に八人の人間がいる。
統治会の者たち。貴族院が日柳統治会になんら影響を及ぼせない理由が彼ら。超常の力を持つとされる八人。貴族ですら手出しすら出来ぬ者たち。それが彼ら。
だが、彼らのことを知っている者はいない。
知ってはならない。命が惜しければ。
知ろうとしてもいけない。命が惜しければ。
そこには表に出ている人間も、表に出ていない人間もいる。それだけに、ここは暗がりと化している。彼らのうち、別件で出会ったとして統治会の人間であるとわかる者はいない。
ここで彼らの名が呼ばれることはない。彼らに繋がりはない。都市を統治するという考えはあれど、その思い、思想は全て別。
全ては己の為だけに彼らは動いている。狂愛に溺れた者もいる。狂信に溺れた者もいる。ただ人を救うという理想に準じた阿呆もまた、ここには存在している。
誰も彼もが狂っている。こんな世界、狂ってなければ嘘だ。
鬼に脅かされ、人獣や妖精、機関工、竜、兵器という数多の勢力から狙われている。
世界は狂っている。狂っていなければ嘘だ。だからこそ、統治会すらも狂っている。皆、狂っている。例外はない。
都市の為に、人類の為にというお題目を掲げて。皆が皆狂乱の宴の最中にある。
円卓に座る八人。議題は既に上がっている。
「派遣した部隊は帰ってこなかったそうだね」
誰かが言う。暗がりの誰か。声からして男の声。優しげな。ここにいるのが似合わないようなさわやかな声。されどどこか雷にような苛烈さを感じさせる。
『ええ、帰ってきませんでした。きちんと、確認しましたよ』
それに答えるのは少女の声。暗がりの中に浮かぶ一つ。心底楽しそうに、聞く者全てに悪寒を抱かせるほどに美しい声で、少女は視たと言った。
時間はあまりないとも。既に集結は始まっており、大進行が始まるのは目前であると、彼女は言う。心底楽しそうに。
ここが彼女ほど一番似合っているものもいないだろう。深淵から響く声は、物語の中の魔女を思わせる。クスクスと笑うそれは少女のそれでありながら、その声は氷のように、聞く者全てを凍りつかせるのだ。
だが、七人に問題はない。
「備えの方は?」
最初の優しげな声が再び七人に向けて問う。答えるはまた別の者。
《問題ないよ!》
再び少女の声。されど、先ほどとは打って変わって、動の声。快活な、朗らかな、暗がりなど一切似合わない少女の明るい声。されど、それはこの七人に向けられたものではない。
答えてはいるが彼女が見ている方向は決して七人とは交わっていないことだけがわかる。何かただ一つ。それ以外は心底興味がないように彼女はただ淡々とされど明るく答えるのだ。
《もう間違えないもん。きちんと、準備は出来てるよ。あいつらを殺せる武器、一杯、一杯。ねえ、私、頑張ったよ!》
狂ったように、誰もいない暗がりへとその声は響く。七人に向けてではない。結果として答えているだけで、彼女は別の誰か、今はいない、そこにはいない何かと会話を続けている。
頑張ったよ、と。褒めて、と。
だが、何も答えない。そこには誰もいないのだから。
「では、軍の方は?」
優しげな声が再度問う。
【問題など皆無だ】
機械じみた声。機関が奏でる重厚な声だった。おそらくは全身機関人間なのかもしれない。
だが、それを知る者はいない。暗がりに響く声は偉丈夫のように低いそれ。ただ、人間らしさはなく冷たい機械を思わせる。
全身機械か。まあ、ともかくここにいるということは人間に他ならない。機械のように歯車がガチリ・ガチリと鳴る音が響く。暗がりに響くのは彼の鼓動か。
その言葉だけで他には不要とばかりに、あとには機関の駆動する音だけが響いていた。
「それは上々。少なくとも第一波はなんとかなるわけだ」
【無論】
優しげな声はそう結論付ける。他の七人も反対はないとばかりに沈黙を続ける。
だが、逆説的に言えば、第一波はなんとかなっても第二波はどうにもならないと言っているようなものだった。
しかし、優しげな声はそんなところだろう、と次へと進める。会議をは踊らない。既に狂乱の宴の渦中でありながら、会議は一度も踊らない。
そもそも議論していると思っていることの方が間違いなのだ。議論など必要ない。そもそも、確認などせずとも答えは最初から出ているのだから。
「では、次だ。石版に記された救世主について」
石版によって。
それは日柳、いや、この国に伝わるもの。今ではこの統治会にて貴族院から奪ったもの。未来を、現在を、あるいは過去すらそれには記されているという。
アカシャ年代記と人はいう。全世界の叡智を記したものである。あるいは一、あるいは全。外へと続く門が持つとされるもの。あるいはそれ自身。
記されているのは一人の少年について。あるいは、少女について。救世主。この狂った世界を救うという狂った英雄について。
〈一週間近ぉ前ぇ、現れたちゅう、あのガキ共こたあろう?〉
えらく訛った声がそれに答える。訛り。方言がきつい地方の出身だろう。そういった人間は日柳には少なくない。12年前、機関都市たる八咫が滅んでからは特に。この日柳に生き残りなどが流れ込んでいる。
それを除いても、日柳を訪れる者は多い。重機関都市たる日柳、ゆえに、誰もが羨望を向けて、誰もがここに来ることを望んでいる。
暗がりから響く訛った声もまたそんな一つ。その声は、一週間ほど前に現れた二人の兄妹について言及する。石版のとおりであると。
〈なかなあ、おもろいこたぁ、なってきた思うで〉
[フン]
だが、冷淡な声が鼻で笑う。
救世主だと? ばかばかしい。石版? なに、そんなものに踊らされている阿呆共が。言外に冷淡な声が響く。
全てを見下しているかのような声。事実、見下しているのだろう。それだけの実力、それだけの天稟、それだけの自負がこの声の主にはあるのだろう。
聞く者全てが、震えあがるかのように底冷えした冷淡なその声。淡々と、ただ事実を述べる。確証のないものを気にしてどうするのだと。
そんなことにかまけている暇があるのならば、オレの役に立てよ、とでも言うかのように。
[ばかばかしい。素人のガキがなんの役に立つというのだ]
『クスクスクス、あらあら、滑稽ですわ。そのための士官学園。使い物にするために入れられたのでしょう?』
[たかだか、一、二ヶ月で、使い物になるのならさっさと鬼を絶滅させたらどうだ]
『耳の痛い話ですね。クス、ですが、それは貴方もでしょう。あの新理論、まったくお話にならないではありませんか』
高次心理学、機関科学、歯車工学、錬金術。それらを合わせた新しい機関理論。世界に革命を起こすであろう新理論。
それはまさに神の所業とすら言われるだろう。そう完成すれば。それは未完成だ、と美しすぎる声は言う。
[フン、これだから愚図は役に立たん。既に新理論は完成している。お前たちが理解できぬだけだ]
だが、それを冷淡な声は嘲笑う。
出来上がっている。だが、お前たちが理解できぬから完成しないのだというように。
〔やれやれ、相変わらずだな異端碩学殿。少しばかり、落ち着き給えよ。君の理論は確かに完成しているが、それを理解するには、少々言葉が足りない〕
そう落ち着いた声が冷淡な声を諌める。落ち着いた声だ。どんなものをも見通しているかのように、何もかもを視抜いているかのようなそんな印象を受ける。
唯一、ここで誰もが知っている声だった。誰もが知っている。そう、誰もが。真理を視抜くとすら言われた男だった。
暗がりの中で、全てを視抜いている男は、パイプをふかす。そんな彼に冷淡な声が言う。
[ならば、探偵王。貴様が、この愚図どもに説明したらどうだ]
〔なるほど、然り。それは私の仕事ではある。だが、議題はそうではない。真に残念ではあるが、それは別の機会にしよう。依頼さえ出すならば、大衆の前で演説でもして進ぜよう異端碩学殿。
だが、まずは石版に関することだ。救世主。それが彼らなのか〕
「それこそ、君はわかっているのでしょう?」
そう、優しげな声が問う。
〔然り。だが、それを語るのは勘弁願う。なにせ、依頼は出されていない。依頼を出すならば教えるが、君らはそれでは納得しないだろう。特に、狂信者殿は〕
≪…………≫
無言。探偵王と呼ばれた落ち着いた声に対する者は無言。沈黙。言葉などない。何一つ。ただ聞こえるのは機関の駆動する音。いや、それに似たような音だけ。
ただその者は無言。無言で、事の成り行きを見守る。いや、睨んでいるのか。憎々しげに、あるいは、忌々しげに。
敵として。そう、敵として。人として。
「ならば、この前のとおりで良いかな?」
[フン、元からそのつもりだろう。試す。大進行で死ぬ程度ならば救世主など口が裂けていえんからなせいぜい頑張ってもらえ]
満場が一致する。
「では、そのようにしよう。二ヶ月後、来る大進行において、彼らには最前線で戦ってもらうとしよう。何、人類の為だ。この都市くらい安いものさ」
優しげな声に答える者はいない。
既に、この場には誰もいない。
誰も。
誰も。
ただここには、暗がりがあるばかり――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
そこには何もなかった。
暗がり。誰しもがそう表現するような場所。一筋の光が差し込んだ暗がり。
さながらそこは深海の底のようだった。命がない。されど、奇形な命がそこには生きているような。そんな場所。
そこは聖堂だろうか。西洋に伝わるとされるこの国の黒海を越えた先にあるという大陸に存在する聖堂にそれは似ていた。
いや、違う。聖堂ではない。聖堂は少なくとも、神などを祭る場所でもある。神社然り、そこは超常の存在がいることによる神聖さというべきものがある。
ここには何もない。何一つない。完全たる無。この状態を純水と称する者もいるだろう。何一つ不純なものがない状態であると。
しかし、それこそが不純である。自然界において、純粋という物質は存在しえない。たいてい、何かしらの不純物が混じっている。
水ならば砂という風に。空気ならば、言うまでもなく酸素や二酸化炭素などがまじりあっている。それ単体という状態はありえないわけだ。特に、無だというのはありえない。
だが、ここには何もないのだ。
何一つ、ここには存在しない。無という純粋状態。その中に、ただ一人、人影がある。
それは奇妙な男だった。仮面をかぶった男。奇妙な仮面で顔全体を多い、シルクハットにコートを羽織った男。貴族を思わせる男。若者のようで、老人のようでもある。
「始まった、始まった」
そんな男は叫んでいた。子供のような声で、あるいは老人のような声で。女のような声で、あるいは男のような声で。始まった、始まった、と叫んでいた。
開始を告げる男。
純水たる無の中で違和感なく溶け込んでいるその男は大仰に両の手を広げ、コートをはためかせる。シルクハットを手に取り、うやうやしく礼をして、告げるのだ。
「さあ、ついに始まります。
回転悲劇の螺旋階段、一段目を演者が上る。
チクタク時計は針を進め、ついに星辰を指し示すべく動きだした。
時はすぐに告げましょう、その時を。
我らが至高なる者の復活の時を。
その時を待ち望みし者は、おりますが、問題はないでしょう」
大仰に男は大手を広げて、誰もいない暗がりでそう呟く。まるで何者かがそこにいるかのように。あるいは、観客を前にした演者のように。
「ついに、それは浮上する。
我らが故郷。
我らが十二の座。
我らが二十二位の天稟。
さあ、祝祭を始めましょう。全てはこれからなのですから」
暗がりは無言。誰の返答も帰ってこない。されど、それでいいのだろう。もとより、この暗がりには彼だけがあるのだから。
そう全ては暗がりの中にただ、一人。彼だけが在るのだから――。
少々リアルが芳しくないため、更新が遅くなるかもです。
もうしわけありません。




