第9話
「おはようございます、我が至高の聖女様。本日の目覚めはいかがでしょうか? お召し物の準備、洗顔のお湯、朝食の配膳、すべてこのユリウスが整えてございます」
朝。
医療テントの奥、俺に割り当てられた簡易ベッドのカーテンを開けると、そこには後光が差すような笑顔を浮かべた特務執行官殿が、恭しく頭を下げて待機していた。
「……えっと。ユリウス、さん?」
「さん、などと敬称は不要です。ただ『ユリウス』と、あるいは『我が忠実なる下僕』とお呼びください。あなたの御言葉であれば、それがどんな内容であろうと神の恩寵と同じ。さあ、まずは洗顔を。私が手ぬぐいで優しく拭かせていただき……」
「じ、自分でやります! 自分で拭けるから!」
俺はユリウスの手から絞った手ぬぐいをひったくり、急いで顔を拭いた。
昨夜の『拷問部屋お花畑リフォーム事件』以降、この氷のイケメン審問官は完全にぶっ壊れてしまった。
教会の特務部隊という立場も忘れ、俺のことを「真なる奇跡を体現する聖なる母」だの「地上に舞い降りた天使」だのと崇め奉り、片時もそばを離れようとしないのだ。
「あー……ユリウス。その、あんた、王都に報告とかしなくていいのか? 異端を調べに来たんだろう?」
「報告? ああ、あんな腐敗した教会上層部に、あなたの真の尊さを理解できるはずがありません。彼らにあなたの存在を知られれば、政治的な道具として利用されるのは明白。私の一存で、この辺境の砦は『異常なし』として握り潰しました」
「えっ」
「そして私自身は、教会を離反し、あなたの個人的な『守護騎士』として一生をお仕えする覚悟を決めました」
「はぁ!?」
中身は三十八歳のオッサンである俺は、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
離反!? 教会のエリートが、俺のせいで人生投げ捨てちゃったよ!
いや、俺が王都に連行されるリスクが減ったのはありがたいが、こんな超絶イケメンの狂信者が24時間まとわりついてくるのは、それはそれで別の地獄である。
「ほら、見てください、聖女様」
ユリウスが、自分の純白の神官服をバサリとはためかせた。
その胸元には、昨日まで輝いていた教会の十字の紋章が消え去り、代わりに『純白の百合(昨日俺が拷問部屋で咲かせたやつ)』の刺繍がデカデカと縫い付けられていた。一晩で自分で縫ったのだろうか。重い、愛が重すぎる。
「さあ、朝食になさいますか? 本日は私が特別に、清らかな朝露で煮込んだ果実のスープを……」
『ドガァァァァァァァンッ!!』
その時、医療テントの入り口が、天幕ごと吹き飛ぶような勢いでこじ開けられた。
「おいコラァ!! 澄ましたツラした教会のワン公!! 俺たちのヴァルちゃんに朝から何近付いてやがる!!」
怒号と共に乱入してきたのは、ゴルド小隊長だった。その後ろには、ルッツをはじめとする砦の血気盛んな若手兵士たちが、なぜか完全武装でズラリと並んでいる。
「チッ……野蛮な猿どもが」
ユリウスが、先ほどの甘い笑顔から一転、絶対零度の冷たい瞳で砦の男たちを睨みつけた。
「朝からやかましいですね、ゴルド小隊長。私は聖女様……いえ、ヴァル嬢の専属護衛として、彼女の清らかな朝のひとときを守っているだけですが?」
「専属護衛だと!? ふざけんな、ヴァルちゃんは俺たち辺境砦の宝、いや、マドンナだ! 教会の怪しい連中なんぞに指一本触れさせるか!」
「そうです! ヴァルちゃんは俺が守るんスよ!」
ルッツが剣の柄に手をかけながら前に出る。
「君のような未熟な剣士に、彼女の護衛が務まるとでも? 彼女から放たれる高貴な気配は、君たちのような泥にまみれた兵卒には毒も同然。私が側にいて、不浄な空気を浄化しなければならないのです」
「なんだとテメェ、表へ出ろ! 俺の大斧でその綺麗なツラをカチ割ってやる!」
「よろしい。その汚れた口を、私の『光の剣』で消毒して差し上げましょう」
ゴルド小隊長が巨大な斧を構え、ユリウスが手をかざして魔法陣を展開する。
両者の間で、バチバチと激しい火花(物理・魔法両方)が散り始めた。
(……なんでこうなるんだよ)
俺はベッドの隅で膝を抱え、遠い目をしていた。
俺の正体は、つい数日前まで彼らと一緒に安酒を飲んで下品な冗談を言い合っていた、万年平騎士のバルドである。
むさ苦しいオッサン(ゴルド)と若造と、狂信イケメン(ユリウス)が、中身オッサンの俺の取り合いをして本気で殺し合おうとしている。
なんという地獄絵図。世界のバグとしか思えない。
「あー、あの! ストップ! ストップです! ここは医療テントですよ! ゲラン先生が怒りますから!」
俺が必死に可愛い声(裏声)で止めに入ると、一触即発だった男たちはピタリと動きを止めた。
「「「ヴァルちゃん(聖女様)がそういうなら……!!」」」
気持ち悪いほど息がピッタリだった。
彼らは武器を収めたものの、お互いへの殺意は全く隠そうとせず、俺を挟んで左右に陣取った。
「ヴァル嬢。このようなむさ苦しい場所は、あなたの繊細な御体には毒です。さあ、私と共に砦の特賓室へ移りましょう。ベッドには最高級の羽毛を敷き詰めておきました」
ユリウスが優雅に手を差し伸べてくる。
「騙されちゃダメだヴァルちゃん! あんな優男より、俺たちのような逞しい男の方が頼りになる! 今日の見回りは俺が直々におぶって行ってやるからな!」
ゴルド小隊長が、その丸太のような腕で力こぶを作ってアピールしてくる。いや、おぶられるのは恥ずかしすぎるから絶対嫌だ。
「ヴァルちゃん、これ! 王都から来た行商人に頼んで買っといた、一番高い蜂蜜キャンディっス! 俺、ヴァルちゃんのためなら給料全額貢げるッス!」
ルッツが、尻尾を振る犬のように箱を差し出してくる。その金で俺に干し肉とエールを買ってこいと言いたい。
「あ、あはは……みんな、ありがとう……でも、私、ゲラン先生のお手伝いがあるから……」
俺が引き攣った笑みで誤魔化そうとした時、ついにゲラン爺さんが薬草の入ったカゴを背負ってテントに戻ってきた。
「……なんじゃ、この地獄のような空間は」
ゲラン爺さんは、俺を囲んでギラギラと熱視線を送る男たちを見て、心底嫌そうな顔をした。
「先生! こいつらをどうにかしてください! 俺の貞操……じゃなくて、平穏な生活が!」
俺が小声で助けを求めると、ゲラン爺さんは深くため息をつき、杖で床をドン! と強く叩いた。
「ええい、やかましいわ! ここは神聖な医療の場じゃぞ! ゴルドもルッツも、とっとと訓練に戻らんか! ユリウス殿も、いくら異端審問官とはいえ、うちの助手にまとわりつくのはやめていただきたい!」
ゲラン爺さんの一喝で、ゴルドたち砦の兵士は「チッ、今日はこのくらいにしといてやる」と渋々撤退していった。
だが、ユリウスだけは動かなかった。
「ゲラン殿。私は彼女の護衛です。あなたが彼女を不当にこき使うというなら、私は教会に伝わる『異端宣告』の権限を行使し、あなたを即座に……」
「や、やめろユリウス! ゲラン先生は私を保護してくれた恩人なんだから!」
俺が慌ててユリウスの腕を掴むと、彼はハッとして、すぐに柔和な笑顔に戻った。
「おお、これは失礼いたしました。聖女様がそう仰るなら、この老人の無礼は不問に付しましょう。……ゲラン殿、彼女に重労働はさせないことです。もし彼女の白魚のような手に傷一つでもつけば……おわかりですね?」
ニコリと笑うユリウスの目には、明らかな殺意が籠っていた。ゲラン爺さんが「ヒッ」と短い悲鳴を上げる。
「さあ、聖女様。私は外の風を清めてから戻ります。何かあれば、お呼びください」
そう言って、ユリウスは優雅な足取りでテントを出て行った。
残された俺とゲラン爺さんは、ドッと疲れてその場にへたり込んだ。
「……バルド。お前さん、とんでもないバケモノを飼いならしてしまったな」
「俺のせいじゃねえよ! あいつが勝手にぶっ壊れたんだろ!」
「しかし、あの狂信ぶり……下手に刺激すれば、この砦の男たちを皆殺しにしてでもお前さんを独占しようとしかねんぞ。それに、ゴルドたちもすっかりお前に夢中じゃ。男の嫉妬と執着は、魔物の群れよりタチが悪いぞ」
ゲラン爺さんの言う通りだ。
俺は今、最強の聖女としての力を隠す以前に、このむさ苦しい辺境の砦で『過激派のファンたち』による血みどろの抗争の中心に立たされている。
「……爺さん。俺、もういっそ、自分で正体バラしちゃダメかな。『俺はバルドだ! オッサンなんだよ!』って叫べば、みんなドン引きして諦めてくれるんじゃ……」
「バカモン! それをやって一番発狂するのは誰じゃと思う! あのユリウスじゃぞ! 『私が信じた聖女様が、酒臭いオッサンだったなんて……! こんな世界は間違っている、滅ぼしてやる!』とかなんとか言って、本気で国を一つくらい滅ぼしかねんぞ!」
「うわぁ……あり得る。あいつ絶対そういうタイプだわ……」
想像しただけで背筋が凍った。
俺の正体を隠し通すことは、もはや俺の平穏のためだけでなく、この国(と砦の男たち)の平和を守るための重要任務になってしまっていた。
「はぁ……胃が痛え。酒も飲めねえのに、ストレスだけが溜まっていく……」
俺はベッドに倒れ込み、ダボダボのローブの裾を握りしめた。
俺がバルドとしての姿を取り戻し、愛しのエールと干し肉に再会できる日は、果たしてやって来るのだろうか。
いや、その前に、この過保護な男たちのプレッシャーで、俺の精神が崩壊するのが先かもしれない。
「ヴァルちゃーん! さっきのキャンディ、もう一個あるッスよー!」
「ルッツ抜け駆けすんな! ヴァルちゃん、俺が仕留めたオークの新鮮な肝臓食うか!?」
「不浄な肉を近づけるなと言っているでしょう!!」
テントの外から聞こえてくる男たちの怒号と魔法の爆発音を聞きながら、俺は静かに目を閉じて、現実逃避の眠りにつくのだった。




