第8話
カツン、カツン、というユリウスの硬い靴の音が、薄暗い地下階段に響く。
その少し後ろを、俺は震える足で必死について歩いていた。
「……あの、異端審問官様。どこへ向かっているんでしょうか……?」
「ユリウスで結構ですよ、ヴァル嬢。なに、少し『静かな場所』で、二人きりでお話ししたいと思いましてね。砦の小隊長殿たちが、あなたを過保護に守ろうとうるさいもので」
涼しい顔で振り返るイケメンの背中を見つめながら、俺は冷や汗をダラダラと流していた。
ここは砦の地下深く。かつて捕虜や凶悪犯を閉じ込めておくために作られた、今は使われていないはずの地下牢エリアだ。
どうしてそんな場所に連れて行かれるのか。オッサンの危機回避能力が「今すぐ逃げろ」とアラートを鳴らし続けているが、ユリウスから放たれる目に見えない重圧のせいで、華奢な少女の体は蛇に睨まれた蛙のように動けない。
やがて、重厚な鉄の扉の前にたどり着いた。
ユリウスが鍵を開け、キィィィ……と嫌な音を立てて扉を開く。
「さあ、どうぞ」
促されて中に足を踏み入れた瞬間、俺は「ヒィッ!?」と情けない悲鳴を上げて後ずさりした。
むせ返るようなカビと、染み付いた古い鉄の匂い。
窓一つない石造りの部屋の中には、およそ『お話し合い』には似つかわしくない物騒な器具がズラリと並べられていた。
棘のついた首輪。
人間を引き伸ばすための滑車付き拷問台。
壁に立てかけられた、無数の針が内側に仕込まれているであろう『鉄の処女』。
そして、赤々と燃える火鉢の中には、先端が鋭く尖った何種類もの焼きごてが突っ込まれている。
「な、ななな、なんですかこれぇっ!?」
「ああ、お気になさらず。異端審問局が王都から持ち込んだ『真実を引き出すための道具(教えの杖)』です。我々はどこへ行くにも、これらを携帯することになっていましてね。……もちろん、素直に真実を語る善き子羊には、使う必要のないものですが」
ユリウスは優雅な手つきで部屋の中央にある木椅子を引き、俺に座るよう促した。
座れるか、こんなもん!
俺は三十八年間、騎士として戦ってきたが、痛いのは大嫌いなのだ。かすり傷でも「痛ってぇ!」と大騒ぎするタチなのに、この豆腐のように柔らかい美少女の体でこんな拷問器具を使われたら、一秒でショック死する自信がある。
「す、すす、座ります! 大人しく座りますから!」
俺は半泣きになりながら椅子にちょこんと座り、両膝をピッタリとくっつけて縮こまった。
ユリウスは満足そうに微笑むと、俺の正面に立ち、両手を後ろで組んだ。
「では、尋問……いえ、面談を始めましょう。ヴァル嬢、あなたは一体、何者ですか?」
「だ、だから、バルドの姪っ子で……」
「嘘ですね」
ユリウスの冷たい声が空気を切り裂いた。
彼は火鉢に歩み寄ると、赤く焼け焦げた細い『銀の釘』のようなものを火箸で摘み上げた。
「これは『懺悔の銀釘』。教会に伝わる聖遺物の一つです。これを肌に押し当てて質問に答える時、もし嘘を吐けば、燃え盛る業火の苦痛が魂を焼き尽くすと言われています」
「ひっ……!」
「あなたがただの騎士の姪であるというなら、この程度の聖遺物に恐れる必要はありません。さあ、手を出して」
ジリジリと近づいてくるユリウス。
先端がオレンジ色に発光する銀の釘が、俺の顔の前に迫る。
熱い。まだ触れてもいないのに、顔がヒリヒリする。
(やばいやばいやばい! 嘘を吐いたら業火の苦痛!? 姪っ子なんて100パーセント大嘘なんだから、触れられた瞬間に丸焦げだ!!)
「ま、待ってください! 嫌だ、熱いのは嫌だぁっ!」
「大人しくしなさい。暴れれば、余計に火傷が深くなりますよ。……あなたが内に秘めているその『異常な気配』の正体、魔女か、悪魔の器か。ここで暴かせてもらう!」
ユリウスの目が、狂信的な光を帯びて見開かれた。
彼の手が俺の右腕をガシッと掴み、焼け焦げた銀の釘が、俺の真っ白な手の甲に振り下ろされる。
「ごめんなさい! 嘘です! 姪っ子は嘘なんです! だから許してえええええええっ!!」
俺は痛みを覚悟して、ギュッと目を閉じ、両手で頭を抱え込むようにして絶叫した。
――痛い! 絶対に痛い! 嫌だ、俺はただ酒を飲んでツマミを食ってダラダラ生きたいだけのオッサンなのに!!
神様仏様、いやこの世界の神様!
お願いだから助けてくれ! こんな物騒な拷問道具なんて、全部ぶっ壊れちまえ!!
俺が心の底からそう念じた、その瞬間だった。
『——————』
音は、無かった。
ただ、俺の体を中心にして、爆発的な『純白の光』と、信じられないほど濃厚な『百合の花の香り』が、津波のように拷問部屋全体に吹き荒れたのだ。
「なっ……!? ぐぁっ!?」
ユリウスの驚愕の声が聞こえ、俺の腕を掴んでいた力がふっと消えた。
恐る恐る薄目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
地下の薄暗くカビ臭かった石室は、まるで真昼の神殿のように神々しい光で満たされていた。
そして何より異常だったのは、部屋中に置かれていた拷問器具の数々だ。
ユリウスが手にしていた『懺悔の銀釘』は、熱を失い、美しい白銀の百合の花(金属製ではなく、本物の生花)へと変貌して床に落ちていた。
部屋の隅にあった『鉄の処女』からは、緑色の蔓が爆発的に伸びて本体を完全に覆い尽くし、隙間という隙間から純白の薔薇が狂い咲いている。
滑車付きの拷問台は、なぜか最高級のふかふかな純白のベッド(天蓋付き)へと姿を変え、赤々と燃えていた火鉢からは、パチパチという音と共に癒やしの香炉のような爽やかな煙が立ち昇っていた。
血と錆と苦痛の象徴だった拷問部屋が、たった数秒で、王都の王族がくつろぐような『極上の癒やし空間・お花畑バージョン』へと完全リフォームされてしまったのだ。
「……えっ?」
俺はぽかんと口を開け、蔓草に覆い尽くされた鉄の処女(もはや立派なフラワーアートだ)を見つめた。
(拷問道具なんてぶっ壊れちまえ)と祈った結果、俺の聖女としての自動防衛本能が発動し、部屋中の『邪悪なもの』を強制的に【超・浄化】してしまったらしい。
「あ……ああ……」
足元から、震えるような声が聞こえた。
視線を落とすと、特務執行官ユリウスが、純白の床(いつの間にか大理石のようにピカピカになっている)に両膝をつき、俺を見上げていた。
そのアイスブルーの瞳からは、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちている。
「な、泣いてる……? あの、ユリウスさん……?」
「……奇跡だ。ああ、主よ。私は今、真なる奇跡の顕現を目にしている……」
ユリウスは、床に落ちた百合の花を震える両手で拾い上げ、胸に抱きしめた。
「人の罪を裁き、苦痛を与えるための忌まわしき道具たちを、一瞬にして生命と癒やしの象徴へと変えてしまわれるとは……。いかに我々が『正義』を騙ろうと、これらの道具が血塗られていたことは事実。あなたは、そんな我々の罪深き心すらも、慈愛で浄化してくださったのですね……!」
「いや、あの、そういうつもりじゃなくて、ただ痛いのが嫌だっただけで……」
「先ほど、『嘘です、姪ではありません』と仰いましたね。ええ、当然です」
ユリウスは俺の言葉を完全に遮り、熱に浮かされたような顔で、俺の足元に恭しくひれ伏した。
「あなたがただの人間であるはずがない。その可憐な御姿は、天界より遣わされた高位の天使か、あるいは……『聖なる母』の生まれ変わりに他ならない。愚かな私を、どうかお許しください、聖女様……!」
ユリウスが、俺の靴の爪先に、誓いの口付けを落とす。
「ひゃっ!?」
変な声が出た。
ダメだ、こいつ、完全に頭がイッてしまった。
元々狂信者一歩手前みたいな性格だったイケメンが、俺の無意識の【超・浄化】をモロに浴びた結果、メーターが振り切れて『過激な信徒』にクラスチェンジしてしまったのだ。
「あ、あははは……」
俺は顔を引き攣らせながら、ただ乾いた笑いを漏らすことしかできなかった。




