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第7話

「……味がしねえ」


朝の医療テント。

俺は、木の実をすり潰して煮込んだだけのドロドロの白粥を前に、恨みがましい声を漏らしていた。


「文句を言うな。今の軟弱なお前さんの胃袋に、いつも食っておったような硬い黒パンや、塩漬けの脂っこい肉なんぞ入れれば、一発で腹を下すわ」

「わかってるけどよぉ……。せめて塩気くらい足してくれよ。これじゃただのお湯だぞ」


ゲラン爺さんの言う通り、俺の体はすっかり『清楚で可憐な聖女仕様』に書き換わってしまっている。昨日、試しにルッツが置いていった差し入れの干し肉を一口齧ってみたのだが、噛みちぎるアゴの力がないばかりか、胃が強烈な脂の匂いを拒絶し、あわやリバースしそうになるという大惨事を引き起こしたのだ。

健康体になったのはいいが、ジャンクな味が一切受け付けられない体。酒も飲めない。

俺のささやかな楽しみは、完全にこの世界から消滅してしまった。


「はぁ……バルドのやつ、今頃王都の病院で美味い飯でも食ってんのかなぁ、なんてな……」


自分自身の不在を嘆くというシュールなぼやきをこぼした、その時だった。


『プオォォォォォォォォンッ!!』


突然、砦全体にけたたましい角笛の音が鳴り響いた。

魔物襲来を知らせる警鐘ではない。あれは、王都からの貴族や高官など、重要人物が来訪した際に鳴らされる『歓待の笛』だ。


「なんだ? 視察団が来るなんて話、聞いてねえぞ」

「……嫌な予感がするのう」


ゲラン爺さんが眉間に皺を寄せた直後、天幕がバサァッ! と勢いよく開け放たれた。


「ゲ、ゲランの爺さん! ヴァルちゃん! 大変だ!」


飛び込んできたのは、顔面を蒼白にしたゴルド小隊長だった。普段は熊のように堂々としている彼が、あり得ないほど狼狽している。


「どうした小隊長。そんなに慌てて。王都から誰か来たんスか?」

俺がいつもの調子(オッサン口調)で尋ねると、ゴルド小隊長は俺の口調の違和感にツッ込む余裕すらない様子で叫んだ。


「き、教会の連中だ! それも、ただの神官じゃねえ……『異端審問局』の特務部隊が、馬車で乗り込んできやがった!」


「「異端審問局!?」」


俺とゲラン爺さんの声が、見事にハモった。

異端審問局。それは、聖なる教えに背く者や、邪悪な魔術を操る者を狩る、教会の暗部であり最強の武闘派集団だ。


「な、なんでそんなおっかない連中が、こんな辺境の砦に……っ」

「わからねえ! だが、先頭に立ってた金髪のヤバそうな審問官がこう言ったんだ。『数日前、この砦の周辺で、建国神話クラスの規格外の【聖気】の爆発を観測した。奇跡の顕現か、あるいは新手の悪魔の罠か。徹底的に調査させてもらう』ってな!」


俺とゲラン爺さんは、同時に顔を見合わせた。

数日前の、規格外の聖気の爆発。

……完全に、俺が目覚めた日の朝、爺さんの魔力測定用の手鏡をぶっ壊したアレである。もしくは、ルッツの腕を無詠唱でフルヒールしてしまった時のアレだ。


「お、終わった……」


俺の口から、絶望のうめき声が漏れた。

教会に見つかれば、俺は即座に『神の御子』として王都の奥深くに幽閉され、一生祈りを捧げるだけの生活(もちろん酒とツマミは一切禁止)が確定する。


「お、落ち着けバルド……いや、ヴァル! ええい、ゴルド! とにかくお前は持ち場に戻れ! 妙に焦ればかえって怪しまれるぞ!」

「お、おう! そうだな! ヴァルちゃんは絶対にテントから出るなよ! あいつら、可愛い子を見ると魔女だなんだと難癖つけて連行するかもしれねえからな!」


見当違いな心配をしながら、ゴルド小隊長は嵐のように去っていった。

天幕の中に取り残された俺とゲラン爺さんは、お互いに滝のような冷や汗を流していた。


「じ、爺さん! どうする!? 逃げるか!? 魔の森に逃げ込んで、オークと一緒に暮らした方がマシだ!」

「落ち着けバカモン! お前のようなか弱い娘が森で生き延びられるわけがなかろう! いいか、お前はバルドの姪っ子、ヴァルじゃ! この『魔力隠蔽の護符ペンダント』がある限り、あのおぞましい聖気は漏れん! ただの大人しい小娘を演じきれ!」


そう言ってゲラン爺さんが俺の肩を掴んで揺さぶった、まさにその瞬間。


「――おや。ずいぶんと騒がしいですね」


スッ、と。

音もなく天幕が開き、一人の男が足を踏み入れた。


長身に、一切のシワがない純白の神官服。

背中の真ん中まである美しい金髪を後ろで一つに束ね、その顔立ちは、彫刻家が一生をかけて彫り上げたかのような、完璧な美しさを誇っていた。

だが、その氷のように冷たいアイスブルーの瞳は、蛇のように鋭く、テントの中を舐め回すように観察している。


「私は、聖教会・異端審問局の特務執行官、ユリウスと申します。こちらが、この砦の医療を担う軍医殿のテントでよろしいですか?」


涼やかで、しかし絶対的な威圧感を伴う声。

(うわぁ……いかにも頭が切れて、性格の悪そうな『超絶イケメン』が来やがった……!)

三十八歳のオッサンである俺の直感が、全力で『こいつには関わるな』と警鐘を鳴らしていた。


「い、いかにも。ワシが軍医のゲランじゃが……異端審問官殿が、このようなむさ苦しい場所に何の御用で?」

ゲラン爺さんが、必死に平静を装って前に出る。俺はその背中に隠れるようにして、息を潜めた。


「ご挨拶に伺ったまでですよ。この砦の兵士たちに聞いたところ、最近、あなたの助手を務める『優秀な治癒の使い手』がいるそうですね」


ビクッ! と、俺の肩が跳ねた。

ルッツのバカ野郎! さっそく自慢げに言いふらしやがったな!


「……ほぅ? 治癒の使い手、ですか。いやいや、とんでもない。ワシの助手が使ったのは、王都で仕入れた高価な魔法薬でしてな。彼女自身は、ただの騎士の姪っ子で……」


「ほう。薬、ですか」


ユリウスは、ゲラン爺さんの言葉を遮るようにスッと横に移動し、背後に隠れていた俺の姿を視界に捉えた。


「……っ」


目が、合った。

ユリウスのアイスブルーの瞳が、俺の銀髪と、怯えた(ように見えるらしい)蒼い瞳を見た瞬間、わずかに見開かれた。

完璧な無表情だった彼の顔に、明らかな『驚愕』と、そして『興味』の色が浮かび上がる。


(……やばい、見られてる。穴が開くほど見られてる!)


「……なるほど。辺境の砦には似つかわしくない、一輪の白百合が咲いていると聞いてはいましたが。……あなたが、ヴァル嬢ですね?」


ユリウスは静かな足取りでこちらに近づいてくると、ゲラン爺さんを押し退けるようにして、俺の目の前に立った。

背が高い。百八十センチ以上はあるだろう。かつての俺と同じくらいの目線から見下ろされる圧迫感に、思わず後ずさりしそうになる。


「あ……えと……その……」

オッサンの低い声を出さないように必死に喉を締めると、自然と怯えた小動物のような、弱々しい裏声になってしまった。


「怖がらせてしまったなら申し訳ない。私はただ、神の奇跡の痕跡を探しているだけの、迷える子羊です」

ユリウスはそう言って、突然片膝をつき、俺の右手をそっと取った。


(は!? ちょ、おまっ、何すんだ!?)


「美しい手だ。……とても、長年辺境の土に塗れた騎士の血筋とは思えない、清浄な……」


チュッ。


「ひゃうっ!?」


なんと、ユリウスは俺の手の甲に、挨拶代わりの口付けを落としたのだ。

変な声が出た。いや、出るに決まっている。

中身は三十八歳のオッサンだぞ!? オッサンが、二十代前半の超絶イケメンに手を取られてキスされたんだぞ!?

全身の毛穴が全開になり、あまりの気持ち悪さ(と、謎の羞恥心)で顔がカーッと熱くなる。


「あ、あ、あのっ! や、やめてくだ……!」

俺が慌てて手を引っ込めようとした、その時だった。


ユリウスの瞳が、スッと細められた。


「……不思議ですね。あなたの肌に触れた瞬間、私の中にあった僅かな『魔力酔い』の不快感が、嘘のように消え去りました。まるで、あなた自身が歩く浄化の魔道具であるかのように」


ドクンッ、と心臓が跳ねた。

ゲラン爺さんが作ってくれた『魔力隠蔽のペンダント』は、あくまで周囲に漏れる気配を抑えるだけだ。直接触れられてしまえば、俺の体に満ちている規格外の『聖気』を完全に隠し通すことはできない。


「あ、あはは……! な、何をおっしゃるんですか、異端審問官様! ヴァルは昨日、高い香油入りのお風呂に入ったばかりでして! その匂いのせいでそう錯覚なさったのでは!?」

ゲラン爺さんが慌てて割って入る。


「……香油、ですか」

ユリウスは立ち上がり、俺の顔をじっと見つめ下ろした。

その目は、完全に『獲物』をロックオンした鷹の目だった。


「素晴らしい。この辺境の砦の調査は、思った以上に有意義なものになりそうです」

ユリウスは、薄く、しかしどこか狂気を感じさせる美しい笑みを浮かべた。


「ヴァル嬢。あなたの『治療』……私もぜひ、後でじっくりと拝見させていただきたい。私はしばらく、この砦に滞在することになりましたので」


「ぇ……」


「それでは、ゲラン軍医殿。また後ほど」

優雅に一礼し、ユリウスは医療テントから出ていった。


残されたのは、真っ白に燃え尽きた俺と、頭を抱えてしゃがみ込むゲラン爺さん。


「……じ、爺さん」

「……終わったかもしれんのう。あやつ、確実に疑っておる。いや、お前自身の存在に強烈に執着し始めたぞ」


バレたら即、王都連行&一生軟禁。

最強で最悪の敵が、この小さな砦に居座ってしまった。

俺の『絶対にバレてはいけない聖女生活』は、早々にチェックメイトの危機を迎えていたのだった。

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