第4話
「ほれ、とりあえずこれを着ておけ。ワシが昔使っておった助手の服じゃ。少し埃っぽいかもしれんが、そのダボダボの毛皮よりはマシじゃろう」
ゲラン爺さんが木箱の奥から引っ張り出してきたのは、生成りの麻で作られた簡素なローブと、少し丈の短いチュニックだった。
俺は急いで毛皮とブカブカの騎士服を脱ぎ捨て(ゲラン爺さんは律儀に後ろを向いていてくれた)、渡された服に袖を通した。
「……おお、ぴったりだ。すげえな爺さん」
「ふん。元の持ち主は小柄な男だったが、お前さんの今の背丈ならちょうど良いはずじゃ。……にしても」
振り返ったゲラン爺さんは、ローブ姿の俺を見て再び胡乱な目を向けた。
「その服は、ただの野暮ったい作業着のはずなんじゃがな……お前さんが着ると、どこぞの清楚な修道女にしか見えんぞ」
無理もない。
ゆったりとしたシルエットのローブは、かえって新しく形成された体の華奢さを際立たせていたし、胸元からわずかに覗く鎖骨の白さは異常なほどだ。銀色の長い髪を適当に後ろで束ねただけの無造作なスタイルすら、計算し尽くされたかのように可憐だった。
「それから、これを首にかけておけ。ワシのお手製の『魔力隠蔽の護符』じゃ。これで、お前からダダ漏れになっておる規格外の『聖気』とやらと、その妙にいい匂いを、ある程度は誤魔化せるはずじゃ」
渡されたのは、くすんだ緑色の石が嵌まった古びたペンダントだった。
首にかけた瞬間、自分の体を包んでいたふんわりとした温かい空気が、スッと薄まるのを感じた。
「よし、これで少なくとも『異常なバケモノ聖女』からは、『ちょっと可愛いだけの小娘』くらいには偽装できたじゃろう。問題は、お前がなぜこの砦にいるかという設定じゃが……」
ゲラン爺さんが顎髭を撫でながら思案していた、まさにその時だった。
「おい、ゲランの爺さん!!」
天幕の入り口が、バサァッ! と乱暴に開け放たれた。
「ひゃっ!?」
ビクッと肩をすくめた俺の視界に飛び込んできたのは、ドワーフの血を引く筋骨隆々の巨漢――俺の直属の上司である小隊長、ゴルドだった。
熊のような体躯に、剛毛の髭。手にはぶ厚い名簿の束を握りしめ、顔を真っ赤にして怒り狂っている。
「バルドのバカ野郎が来てねえか!? あの野郎、今日の見回り当番をすっぽかしやがった! ルッツの報告によれば『悪性の風邪』だのほざいてたらしいが、どうせ昨日の酒が残ってサボってるだけだろ! 見つけたら半殺しにして……」
怒鳴り散らしながら足を踏み入れたゴルド小隊長の声が、唐突に途切れた。
彼の視線が、ゲラン爺さんの背後に隠れるようにして立っている俺――見知らぬ銀髪の少女――に釘付けになったのだ。
「あ……」
「…………え?」
沈黙が落ちた。
ゴルド小隊長が、あんぐりと口を開けたまま固まっている。
その熊のようなイカつい顔面が、みるみるうちに茹でダコのように真っ赤に染まっていくのがわかった。
(や、やばい! 殺される! なんで女なんか連れ込んでるんだって、絶対に殺される!!)
俺が内心でパニックを起こし、咄嗟に言い訳を捻り出そうとしたその時。
ゲラン爺さんが、わざとらしく大きく咳払いをし、小隊長の前に進み出た。
「……騒々しいぞ、ゴルド小隊長。ここは怪我人や病人を診る医療テントじゃ。もう少し静かにできんのか」
「あ、いや……す、すまねえ。って、爺さん! その嬢ちゃんは一体……!?」
ゴルド小隊長が、戸惑いと、明らかな『照れ』を顔に浮かべながら俺を指差す。
ゲラン爺さんは、これ以上ないほど胡散臭い、しかし堂々とした態度で言い放った。
「バルドなら、ここにはおらんぞ」
「い、いない? じゃあ、さっきまで部屋にいたっていうのは……」
「アレは、今朝方、突発性の『重度魔力欠乏症』で倒れたんじゃ。ワシの手に負える状態ではなかったため、さきほど早馬の馬車に押し込んで、王都の専門病院へと送り返したところじゃよ」
「な、なんだって!? あいつ、そんな重病だったのか!?」
(爺さん、すげえ嘘つくじゃん……!)
俺は心の中で突っ込んだが、もちろん顔には出さない。
「うむ。しばらく砦には戻れんじゃろう。……そして、そこにいるのは、バルドの『姪っ子』じゃ」
「め、姪っ子!?」
「そうじゃ。叔父の急病の報せを聞いて、王都からすっ飛んできたんじゃよ。入れ違いになってしまったがな。今は長旅の疲れと、叔父を心配するあまり衰弱しておる。ワシがここで保護しておるんじゃ」
ゲラン爺さんの完璧な(?)作り話に、ゴルド小隊長は完全に騙されたようだった。
いや、騙されたというよりも、俺の姿に見惚れて思考が停止しているといった方が正しいかもしれない。
ゲラン爺さんが、背中越しに俺の脇腹を小突いた。
(ほれ、合わせろ)という合図だ。
俺は腹を括った。
三十八歳のプライドなど、すでに朝の時点で粉々に砕け散っているのだ。ここで生き延びるためには、最強の聖女だろうが可憐な姪っ子だろうが、なんだって演じてやる!
俺は上目遣いでゴルド小隊長を見つめ、両手を胸の前でギュッと握りしめながら、少し涙声を作って口を開いた。
「は、初めまして……。叔父のバルドが、いつも、その……ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。ヴァ、ヴァル……です」
小隊長の顔が、ボンッ! と音を立てるかのように爆発的に赤くなった。
「い、いや! めめめ、迷惑だなんてそんな! バルドの奴は立派に、いや、その、たまにサボるけど、やる時はやる男でして! あははは! しっかし、あのむさ苦しいバルドに、こんな……こんな妖精みてぇに可愛い姪っ子さんがいたなんて、いやぁ、世の中わからねえもんでさぁ!!」
あの、鬼のように恐ろしかったゴルド小隊長が、頭を掻きながらモジモジしている。
信じられない光景だった。俺が『ちょっと一杯どうすか?』と誘った時は『気安く話しかけるな万年平!』と怒鳴り飛ばすくせに!
「そういうわけじゃから、ゴルド。この子をあまり怖がらせんでくれ。落ち着くまで、ワシの助手としてしばらくここに置くことにしたからな」
「お、おう! そうか! わかった、バルドの身内なら、俺たちも全力で守るからな! なんか困ったことがあったら、いつでも俺に言うんだぞ、ヴァルちゃん!」
「は、はい……ありがとうございます、小隊長さんっ」
俺が作り物の愛想笑いを浮かべてお辞儀をすると、ゴルド小隊長は「うひょぉぉっ!」と謎の奇声を上げ、そのまま嵐のように天幕から飛び出していった。
「……ふぅ。なんとか誤魔化せたな」
ゲラン爺さんが、どっと疲れた様子で椅子に腰を下ろす。
「ご、誤魔化せたのか……? これ。後で絶対に面倒なことになるだろ……」
「知るか。お前がバルド本人だとバレて教会に連行されるよりはマシじゃろうが。それより、しばらくはお前、『ヴァル』としてワシの手伝いをしろ。ただ飯を食わせるわけにはいかんからな」
「わ、わかったよ……。それにしても、すげえ疲れた……精神的に……」
俺はフラフラと歩き、空いていた簡易ベッドに倒れ込んだ。
三十八年の人生で、男に媚びを売る日が来るとは思わなかった。胃の奥がキリキリと痛む。二日酔いのせいか、それともストレスのせいか。
「……なあ爺さん。俺、もう限界だ。酒……酒を飲ませてくれ。あのキツいやつ」
「まったく、仕方がない奴じゃな。少しだけじゃぞ」
ゲラン爺さんは渋々といった様子で、戸棚の奥から小さな木樽を取り出した。
それは、彼が特別に密輸している、ドワーフ謹製の『爆炎エール』だ。喉が焼けるように強いアルコール度数を誇り、一口飲めば嫌なことなど全て忘れられる、魔法のような酒である。
爺さんが木杯になみなみと注いでくれた琥珀色の液体。
それを見た瞬間、俺のテンションは最高潮に達した。
「おおお……! これだ、これだよ! 俺の心のオアシス!!」
俺は木杯を両手で包み込むように持ち、乾ききった喉を潤すために、一気に中身を煽った。
ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ!
プハァーッ!!
「………………ん?」
違和感。
喉が焼けるような感覚が、全くない。
胃の底からカッと熱くなるような、あのアルコール特有の暴力的な酔いも来ない。
ただただ、冷たくて、清らかで、美味しい『何か』が喉を通り過ぎていっただけだ。
「おい、爺さん。なんだこれ。水で割ったか?」
「は? 水など一滴も入れとらんぞ。正真正銘の爆炎エール原液じゃ」
「嘘つけ! 味がしねえぞ! 水だぞこれ!」
「馬鹿な。貸してみろ」
ゲラン爺さんが俺の木杯をひったくり、残っていた一滴を指ですくい取って舐めた。
その瞬間、彼の顔が引き攣った。
「……バルド。お前さん、自分の『聖女としての能力』を忘れてはおらんか?」
「能力? 浄化とかそういう……ハッ!?」
俺は嫌な予感に襲われ、震える声で尋ねた。
「あのな、バルド。アルコールというのは、人体にとっては一種の『毒』じゃ」
「……」
「そして、お前さんの体は、強すぎる聖気を宿した、究極の『魔を払い、穢れを浄化する器』じゃ」
「……ま、待て」
「お前が口に入れた瞬間、お前の体は『毒』であるアルコールを自動的に【完全浄化】し……ただの極上の湧き水に変えてしまったようじゃな」
沈黙。
圧倒的な沈黙が、医療テントの中に降り注ぐ。
「……一生、酒が……酔えない……?」
「そういうことになるな」
その瞬間。
俺の中で、何かが完全に折れる音がした。
「いやああああああああああああっ!! 俺の、俺の唯一の楽しみがああああああああ!!!! 神のバカヤローーーーーーーッッッ!!!!」
辺境の砦に、哀れな(元)万年平騎士の、血を吐くような絶叫が響き渡った。
聖女の体は、あまりにも清廉潔白すぎた。俺の愛する不健康で自堕落な生活は、文字通り『浄化』されてしまったのである。




