第29話
「……なんで俺は、こんな罰ゲームみたいな格好で太陽の下に立たされているんだ」
王立聖女学院が所有する、プライベートビーチ。
どこまでも広がる青い空と、エメラルドグリーンの海。白い砂浜では、色とりどりの水着に身を包んだ令嬢たちが、キャッキャと黄色い声を上げながら波と戯れている。
まさに、この世の楽園。絵画のように美しい光景である。
だが、砂浜のパラソルの下に立つ俺の顔は、この世の終わりでも見たかのように絶望に染まっていた。
今日から始まった『海浜実習』。
当然、俺も水着を着る羽目になったのだ。
学園長に「肌を見せるのは教義に反する!」と必死に抗議した結果、なんとかフリルのついた白いワンピース型にパレオを巻くという、比較的露出の少ない水着を勝ち取ったものの……中身が三十八歳のオッサンである以上、自分のこの姿を鏡で見た時の精神的ダメージは計り知れなかった。
だが、俺が海を前にして絶望している理由は、水着の羞恥心だけではない。
(……泳げないんだよ。俺は)
そう、元・最前線の歴戦騎士である俺だが、実は致命的な『カナヅチ』であった。
若い頃から全身に重い鎧と筋肉を纏っていたため、水に入れば鉄の塊のように真っ直ぐ海底へ沈んでいく人生だったのだ。
聖女の細いボディになった今なら浮くかもしれないが、泳ぎ方など知る由もない。
「ヴァル様ー! こちらへいらしてくださいませ! お水がとっても気持ちいいですわよ!」
波打ち際から、アリアが大きく手を振っている。
「いや、俺はここで日差しを避けて……」
「ダメですわ! 女神様も一緒に夏を満喫しましょう!」
「そうだそうだー!」
令嬢たちがゾロゾロと海から上がり、俺の両腕を掴んで強引に波打ち際へと引っ張っていく。
「おい、待て! やめろ! 離せ! 俺は陸の生き物だ!」
オッサンの悲痛な叫びも虚しく、俺の足元に冷たい波がザパンッと押し寄せてきた。
(ヒィィィッ!? 水が! 足が濡れた! このままじゃ深いところまで引きずり込まれて、溺れ死ぬゥゥッ!!)
パニックに陥った三十八歳の防衛本能が、完全に理性を吹き飛ばした。
「……触るなァァァァァァッ!!」
俺は両手を振りほどき、迫り来る波(海そのもの)に向かって、限界まで【聖闘気】を練り上げた右拳を振り被った。
水が怖いなら、水を消し飛ばせばいい。
極限の恐怖とヤケクソが生み出した、三十八年の人生で最も純粋な一撃(正拳突き)。
――ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!
拳から放たれた不可視の衝撃波と、聖女ボディの強烈な【神聖力】が、海面を真正面から殴りつけた。
「え?」
アリアが間の抜けた声を漏らす。
凄まじい轟音と共に、エメラルドグリーンの海が、まるで巨大な見えない刃で斬り裂かれたかのように、左右に真っ二つに『割れた』のである。
ドドドドドッ!! と巨大な水壁が左右に押し退けられ、俺の足元から遥か沖合の小島まで、一直線に続く『海底の道(ドライ路面)』が爆誕した。
割れた水壁の断面では、行き場を失った魚たちがピチピチと跳ねている。
「ふぅ……はぁ……」
俺は正拳突きの姿勢のまま、荒い息を吐いた。
よし。これで濡れずに済む。水泳の授業は中止だ。
俺が安堵の息をついた、その時だった。
「み、見ましたか皆様……っ!」
静まり返ったビーチに、アリアの震える声が響き渡った。
「ヴァル様は、ご自身の神聖なる御肌を、ただの海水で濡らすことすら拒絶されたのです……! その強烈な神気が、海そのものを平伏させ、道を譲らせたのだわ!!」
「なんてこと……! 神話に記されている『奇跡の海割り』を、私たちの目の前で!?」
「ヴァル様が歩かれる道は、海でさえもひれ伏して乾くのですね!!」
「「「女神様ぁぁぁぁっ!!(号泣)」」」
令嬢たち(と、引率の教師たち)が、割れた海を前にして一斉に砂浜に膝をつき、祈りを捧げ始めた。
(……違う。俺はただ、泳ぎたくなかっただけで……)
俺は割れた海の間を吹き抜ける潮風に吹かれながら、乾いた海底の道をトボトボと歩き始めた。
足元で跳ねていた伊勢海老のようなデカいエビを拾い上げ、「……今日の晩飯、これ焼いてもらおう」と現実逃避をしながら。
最強の聖女は、水泳の授業を物理で破壊し、伝説の預言者と同等の奇跡を体現してしまったのだった。




