第27話
「……味が薄い。上品すぎるんだよ、この学園のメシは」
王立聖女学院、第一学生寮の自室。
俺は夕食に出された『白身魚のムニエル・香草添え』と『季節の温野菜サラダ』を思い出しながら、ベッドの上で恨めしそうに腹をさすっていた。
確かに美味い。一流のシェフが作っているのだから、栄養価も味も完璧だ。
だが、違う。三十八歳のオッサンが真に求めているのは、もっとこう……体に悪そうな、ギトギトの脂と濃い塩分、そしてアルコールなのだ!
「限界だ。俺の胃袋が『B級グルメ』を寄越せと暴動を起こしている」
時計の針は深夜零時を回っている。
俺は学園指定のネグリジェを脱ぎ捨て、クローゼットの奥からこっそり用意していた『地味な灰色の外套(フード付き)』を取り出した。
そして、窓を開け、夜の闇に紛れて学生寮を抜け出した。
三十八年間、辺境の最前線で夜襲や斥候をこなしてきた俺の隠密行動スキルは、平和ボケした王立学院の警備網などザルも同然だった。
音もなく塀を飛び越え、俺は王都の裏通り――いわゆる『歓楽街』にして『スラムの入り口』と呼ばれるエリアへと足を踏み入れた。
「クンクン……おおっ、この匂いだ!」
裏路地に漂う、焦げた醤油と豚の脂の匂い。そして、安酒の饐えた匂い。
貴族の令嬢なら三分で気絶しそうな悪臭だが、オッサンにとっては実家のような安心感である。
俺はフードを目深に被ったまま、路地裏にポツンと出ている屋台の暖簾をくぐった。
「オヤジ、豚モツの串焼きを十本、塩で。あと一番安いエール(麦酒)をジョッキでくれ」
「へいよっ! ……って、お嬢ちゃん。こんな夜更けにこんな場所で、しかもそんなオッサンみたいな注文……家出か?」
脂ぎった前掛けをした屋台のオヤジが、怪訝な顔で俺を見た。
外套の隙間から覗く銀髪と、隠しきれない聖女ボディの美貌が目立ってしまっているらしい。
「いいから出せ。こちとら禁断症状が出そうなんだ」
「お、おう。すぐ焼くぜ」
数分後。
俺の目の前に、焦げ目のついた豚モツ串と、ジョッキに注がれた安酒がドンッと置かれた。
「くぅぅっ……! これだ、この体に悪そうなギトギト感!」
俺は串を一本手に取り、容赦なくかじりついた。
ジュワッと溢れ出す豚の脂。粗塩の暴力的なまでのしょっぱさ。それを、少し酸味のある安いエールで一気に胃袋へ流し込む!
「ぷはぁぁぁぁっ!! たまんねえ! 血管が詰まりそうなこの味、最高だぜ!!」
「お、お嬢ちゃん、すげえ食べっぷりだな……」
俺がオッサン丸出しで串を貪っていた、その時だった。
「おいおいオヤジ。みかじめ料の支払い、今日だったよなぁ?」
下品な笑い声と共に、五人のガラの悪い男たちが屋台を囲んだ。
ボロボロの革鎧に、手には鈍く光るナイフや鉄パイプ。スラムを縄張りにするチンピラだ。
「ヒッ……! 待ってくれ、今日はまだ売り上げが……」
オヤジが震え上がる。
「あぁ? 金がねえなら、その屋台をぶっ壊すしか……おや?」
チンピラのリーダー格の男が、屋台の隅で豚モツを頬張る俺に気がついた。
「ヒャハッ! なんだこの極上の女は!? こんな汚え路地裏に天使が迷い込んだのか?」
男が下卑た笑みを浮かべ、俺の被っていたフードを乱暴に掴んで後ろに引っ張った。
バサッ。
月明かりの下に、俺の銀色の長髪と、透き通るような白い肌が露わになる。
「うおおっ!? マジで超特級の美少女じゃねえか!!」
「おいネーチャン、こんな安い串焼きなんて捨てて、俺たちと良いことしようぜ? なぁに、たらふく肉を食わせてやるよ!」
男の一人が、ニヤニヤ笑いながら俺の肩に手を伸ばしてきた。
(……チッ。酒が不味くなるだろうが)
俺は三十八歳のオッサンの流儀として、食事を邪魔する奴には容赦しない。
俺はジョッキをドンッと台に置き、右手に持っていた『豚モツの串(鉄製)』を、ダーツのように軽く投げ放った。
――ヒュンッ!!
「ギャアアアアッ!?」
串は男が持っていたナイフの刀身にピンポイントで激突し、その衝撃でナイフが粉々に砕け散った。
さらに、弾かれた串は壁に深々と突き刺さり、チンピラたちはその異常な威力に目玉を飛び出させた。
「な、なんだぁ!?」
「てめえ、何しやがる!! やっちまえ!!」
残りの四人が一斉に鉄パイプを振り上げて襲いかかってくる。
「……五月蝿い」
俺は丸太のような鉄パイプを素手(左手)でヒョイと受け止めると、そのままバキッ! と飴細工のようにへし折った。
そして、呆然とするチンピラたちの鳩尾に、右ストレート、左フック、回し蹴りを次々と叩き込む。
「「「グハァッ!!?」」」
「あべべべッ!?」
ものの三秒。
五人のチンピラたちは、屋台の前で綺麗に折り重なって気絶していた。
「ふぅ……。オヤジ、串のおかわり。今度はタレで」
俺は乱れた髪を掻き上げながら、再びジョッキをあおった。
「ヒィィィッ! お、お嬢ちゃん、一体何者なんだ……!?」
屋台のオヤジが腰を抜かしている。
その時だった。
俺の『メシを邪魔された怒り』と、チンピラを殴ったことによる『軽い運動』が、またしても聖女ボディの【超・浄化】を無意識に発動させてしまったのだ。
ポワァァァァァァン……。
俺の体から、眩いばかりの黄金の光が溢れ出し、薄汚い路地裏を包み込んだ。
「え?」
俺が戸惑う中、光を浴びた路地裏のドブの臭いが消え去り、ゴミの山が浄化の炎でチリとなって消滅。
さらに、気絶していたチンピラたちの傷が完全に癒え、彼らの顔から「悪意」や「暴力性」が完全に抜け落ち、生まれたての赤子のような純真な表情に変わってしまった。
「……ああっ……なんて温かい光だ……」
目を覚ましたチンピラの一人が、ポロポロと涙を流しながら膝をついた。
「俺は今まで、なんて愚かな生き方をしてきたんだ……。この光……女神様が、路地裏のクズである俺たちを救いに来てくださったんだ!」
「「「女神様ァァァッ!! 今までの罪を悔い改めます!!」」」
チンピラたちが一斉に俺に向かって土下座(五体投地)を始めた。
屋台のオヤジに至っては、「女神様のおかげで、持病の腰痛が治ったァァッ!」と叫びながら拝んでいる。
「いや、違う。俺はただ串焼きを食いに来ただけで……」
弁解しようとしたが、彼らの狂信的な目を見て、俺は悟った。
(ダメだ、これ。学園の令嬢たち(アリアたち)と全く同じ目をしてやがる……)
俺は残りの串焼きを急いで口に押し込み、銀貨を数枚叩きつけると、フードを被り直して路地裏から全力で逃亡した。
「お待ちください女神様ァァ! せめてお名前を!!」
「裏通りの聖女様! 俺たちは一生、あなたについていきます!!」
背後から聞こえる野太い賛美歌(?)を聞かなかったことにして、俺は学園への帰路を急いだ。
ただジャンクフードが食べたかっただけなのに。
この夜を境に、王都の裏社会では『悪人を物理でボコボコにして浄化する、串焼きを持った路地裏の女神』という新たな都市伝説が爆誕し、治安が劇的に改善することになるのだが――それはまた、オッサンには知る由もない話である。




