第20話
「ふぅ……今日も朝飯のクロワッサンが美味かった」
王立聖女学院での生活が始まって数日。
初日こそ、首席アリアによる『美肌教団』の結成や、体育の授業での『戦乙女(CQC)デビュー』といったイレギュラーはあったものの、俺の学園生活は概ね順調に滑り出していた。
何しろ、三食昼寝(個室)付きである。むさ苦しい砦の男たちからの過剰なスキンシップもない。授業中は適当にニコニコして座っていれば、勝手に「女神様の微笑み……尊い!」と解釈されてやり過ごせる。
(よしよし、この調子で空気のように気配を消し、平穏な女子高生ライフを全うするぞ!)
俺が自分の席で静かに決意を新たにしていた、その日の朝のホームルーム。
「皆様、おはようございます。本日は、歴史学の担当教師が産休に入るため、王都の教会本部から特別な臨時講師をお招きしました」
担任のシスターが教壇でそう告げた。
教室の扉が開き、一人の長身の男性が入ってくる。
「……ん?」
その姿を見た瞬間、俺の背筋にゾクリと悪寒が走った。
純白のスリーピーススーツという、教員らしからぬ無駄にホストのような服装。
顔の半分を隠すような胡散臭い黒縁の伊達メガネ。
そして、前髪を無理やりオールバックに撫で付けた、その整いすぎた顔立ち。
「初めまして、うら若き乙女の皆様。今日から歴史学を担当する、ユーリ……いや、ユ、ユー・リーウスです」
(ユリウスゥゥゥゥゥッ!? お前、何やってんだァァァァッ!!)
俺は心の中で絶叫し、思わず机に頭をぶつけそうになった。
間違いない。異端審問局の特務執行官であり、俺を「真の聖女」と崇め奉るヤバすぎる狂信者ストーカ……ユリウス・フォン・なんとか(苗字忘れた)だ!!
教会の特務機関のエリートが、なんで女子校の臨時教師なんかやってるんだ!? お前、俺を追って勝手に持ち場(砦)を離れたな!?
「キャアッ……素敵な先生!」
「ユー先生って仰るのね。大人の色気があって素敵だわ……」
そんな俺の絶望をよそに、何も知らないクラスの令嬢たちは、ユリウスの無駄なイケメンっぷりに黄色い声を上げている。
ユリウスは伊達メガネの奥のアイスブルーの瞳を細め、教室をぐるりと見渡した。
そして、最後列の窓際に座る俺を見つけた瞬間――その口角が、三日月のように吊り上がった。
(あ、目があった。終わった)
「……さて。早速ですが、授業を始めましょうか」
ユリウスは教壇に立ち、黒板にチョークで滑らかな文字を書き始めた。
『第一章:神聖暦五百年・真なる奇跡の降臨』
「歴史とは、常に偉大なる【光】によって導かれます。例えばそう……つい先日、辺境のむさ苦しい砦に、天界から一輪の白百合のごとき『銀髪の女神様』が降臨されたという、歴史的かつ絶対的な事実のように!!」
ダンッ! とユリウスが黒板を叩いた。
「えっ? 先生、教科書のどこにもそんなこと書いてありませんが……」
最前列のアリアが戸惑ったように教科書をめくる。
「教科書など捨てなさい! そんなものは腐敗した教会の老害どもが書いた三文小説です! 今、この教室に! 生きた神話が存在しているのですから!!」
ユリウスは恍惚とした表情で両手を広げ、真っ直ぐに俺を指差した。
「さあ! ヴァル嬢! いや、我が至高の聖女様! どうかその尊き御声で、愚かな子羊たちに歴史の真実を語って――」
「せんせーい!! 質問がありまーす!!」
俺はガタッ! と席を立ち、ユリウスの言葉を強引に遮った。
これ以上こいつに喋らせたら、俺が辺境砦にいたことや、オッサンたちに囲まれていた泥臭い過去まで全て美化して暴露されかねない。
「おお……! 聖女様からの御質問! このユー・リーウス、命に代えてもお答えいたします!」
ユリウスが鼻息を荒くして身を乗り出す。
俺は引き攣った笑顔を顔に貼り付け、低い声(地声ギリギリ)でユリウスを睨みつけた。
「先生。歴史の授業もいいですが……『部外者が勝手に敷地に入ると、手痛いしっぺ返しを食らう』という教訓も、歴史から学ぶべきではないでしょうか?」
(帰れ! お前の来るところじゃない!!)という強いメッセージを込めて。
だが、ユリウスには全く通じなかった。
「……あぁっ! なんという慈悲深きお言葉! わざわざ危険を冒してまで会いに来たこの哀れな下僕を、案じてくださっているのですね! そのお優しい瞳に責められる悦び……たまりません!!」
ユリウスは胸を押さえて身悶えし始めた。ダメだこいつ、言葉のキャッチボールが成立しない。
その時だった。
「失礼します。ユー先生、授業中に申し訳ありません。先ほどの会議の資料をお持ちしました」
教室の扉が開き、隣のクラスの担任である爽やかな青年教師(二十代・イケメン)が入ってきた。
彼は教壇に資料を置くと、ふと俺の方を見て、ニコリと爽やかな笑顔を向けた。
「ああ、君が噂の転入生のヴァルさんだね。学園生活には慣れたかな? 何か困ったことがあったら、いつでも僕に――」
青年教師が俺に話しかけようと一歩足を踏み出した、次の瞬間。
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
教室の空気が、一瞬にして氷点下まで凍りついた。
俺は見た。
教壇に立つユリウスの伊達メガネの奥の瞳が、完全に『殺し屋』のそれに変わっていたのを。
彼の右手の袖口から、異端審問で使う暗殺用の『聖銀の短剣』が、チャキ……と音を立てて滑り出ているではないか!
(なっ……!! お前、ただ話しかけようとしただけの無実の教師を殺す気かァァァッ!?)
俺の三十八歳の騎士の動体視力が、ユリウスの殺気を完全に捉えた。
このままでは、純潔の女子校の教室が、血塗られた殺人現場になってしまう!
俺は咄嗟に、机の上にあった『消しゴム』を手に取った。
そして、ユリウスの視界の死角(机の下)から、指弾の要領で消しゴムに【聖闘気】を込め、全力で弾き飛ばした。
――ピシュゥゥゥゥンッ!!
音速を超えた消しゴムは、空気を切り裂く不可視の弾丸となり、教壇に立つユリウスの右手にピンポイントで直撃した。
「グッ……!?」
パキンッ! という乾いた音と共に、ユリウスの手から聖銀の短剣が弾き飛ばされ、黒板のチョーク受けに音もなく落下した。
「……ユー先生? どうかされましたか?」
何も気付いていない青年教師が不思議そうに首を傾げる。
「い、いえ……。なんでもありません。お気遣い感謝します、同僚殿」
ユリウスは右手をヒクヒクと痙攣させながら、強烈な作り笑いで青年教師を追い返した。
青年教師が教室を出て行くと、ユリウスはゆっくりと俺の方を向いた。
赤く腫れ上がった右手を押さえながら、彼はなぜか、ひどく熱っぽい、とろけるような視線を俺に向けていた。
「……素晴らしい。なんという正確無比な『神罰(消しゴム弾)』。他の雄が近づいたことへの嫉妬から、このような手荒な真似を……。あぁ、ヴァル嬢は、そこまで私を……ッ!」
(違う!! お前が犯罪者になるのを止めただけだ!!)
俺は両手で顔を覆い、机に突っ伏した。
防犯対策は完璧なはずの王立聖女学院。しかし、狂信者の愛と執念は、あっさりとその壁を越えてしまった。
「皆様! 今日の授業はここまでです! なぜなら、私には聖女様への愛を書き留めるという重要な任務ができましたので!」
ユリウスが鼻血を流しながら教室を飛び出していくのを、クラスの女子たちは「ユー先生、情熱的で素敵!」と目を輝かせて見送っている。
終わった。
俺の平穏な個室ライフは、最強のストーカーの侵入により、常に暗殺と変態行為を物理で阻止し続けなければならない、スリリングすぎる防衛戦へと変貌を遂げてしまったのだった。




