第19話
「はぁ……はぁ……っ!」
「隙ありですわ、えいっ!」
王立聖女学院、第二グラウンド。
透き通るような青空の下、俺たちは『護身術』の授業を受けていた。
学園指定の体操着は、動きやすさを重視した純白のブラウスに、膝上丈の濃紺のキュロットスカート。オッサンとしてはもう少し露出を期待したいところだったが、清楚な令嬢たちの健康的な太ももが眩しくて、これはこれでアリだなと内心で鼻の下を伸ばしていた。
……しかし、肝心の『授業内容』はお粗末極まりなかった。
「ふふっ、私の『光の矢』を避けられますか?」
「きゃあっ! お、おのれ……ならば『風の盾』!」
グラウンドの中央で模擬戦を行っている令嬢たちの戦いぶりを見て、俺は思わずため息をこぼした。
(なんだあのフワフワした動きは……。杖の振りは大振りすぎるし、魔法を詠唱する間、足が完全に止まってる。あんなんじゃ、辺境のゴブリン相手でも三秒で首を落とされるぞ)
聖女学院の生徒たちは、魔力量こそ多いものの、実戦経験はゼロのお嬢様ばかりだ。いざという時の『護身術』の授業だというのに、優雅さや魔法の美しさばかりを競い合い、泥臭い乱戦を完全に軽視している。
三十八年間、血と泥にまみれて最前線を生き抜いてきた元・平騎士の俺から見れば、お遊戯会にしか見えなかった。
「次は……ヴァル、前へ出なさい」
「はいっ」
体育教師――長身で筋肉質な元・教会騎士のシスター――に呼ばれ、俺はグラウンドの中央に進み出た。
「女神様の模擬戦……!」
「どんな素晴らしい神聖魔法を見せてくださるのかしら!」
クラスメイトたちが、キラキラと期待の目を向けてくる。
俺の対戦相手として前に出てきたのは、燃えるような赤髪をポニーテールにした少女だった。
騎士爵家の娘、カテリーナ。このクラスでも一、二を争う武闘派(魔法攻撃特化)の令嬢である。
「ヴァル様……。女神様と崇められるあなたと手合わせできること、光栄の極みです」
カテリーナはビシッと杖を構え、挑戦的な笑みを浮かべた。
「ですが、ここは戦いの場! 私は一切の手加減をいたしません。本気の魔法で、あなたに挑ませていただきます!」
「あ、うん。お手柔らかに……」
俺は愛想笑いを浮かべながら、木製の模擬杖をだらんと下げて構えた。
「いきます! 【爆炎の球】!!」
カテリーナが杖を振り下ろした瞬間、彼女の杖の先端から、人の頭ほどの巨大な炎の球が唸りを上げて放たれた。
(おいおい、護身術の授業で殺傷魔法ブッパしてくるとか、あいつアホか!?)
炎の球が、真っ直ぐに俺の顔面へと迫る。
「きゃあああっ! 女神様!」
アリアたちが悲鳴を上げる。
だが、俺の『三十八歳の歴戦のオッサン』としての生存本能が、聖女ボディの思考を完全に上書きした。
魔法使いとの戦い方における鉄則。
それは『詠唱の隙を突き、死角から間合いを潰すこと』だ。
――ヒュンッ!
炎の球が俺の顔面を焼く直前。
俺は極限まで姿勢を低くして前傾し、炎の軌道を紙一重でスリップ(回避)した。
「……え?」
カテリーナが呆気にとられた声を出した。
その一瞬の隙を、俺は見逃さない。
床を蹴り、爆発的な脚力で一気にカテリーナの懐(ゼロ距離)へと飛び込む。
「なっ……早……っ!?」
カテリーナが慌てて次の魔法を詠唱しようと杖を引き戻す。
「遅い!」
俺は持っていた杖をあっさり放り捨て、素手でカテリーナの杖を持つ手首をガシッと掴んだ。
そのまま相手の関節の可動域を逆手に取り、体を反転させながら背負い投げの要領で重心を崩す。
「あぐっ!?」
空中に浮き上がったカテリーナを床に叩きつけると同時に、俺は彼女の腕を両足で挟み込み、腰を落として完璧な『腕ひしぎ十字固め』を極めた。
「そこまで!」
俺の手の甲がカテリーナの喉元数ミリでピタリと止まる。
魔法の発動を封じられ、関節を完全に極められたカテリーナは、床の上でカエルのように手足をバタつかせ、完全に制圧されていた。
グラウンドに、しんと静まり返った沈黙が落ちた。
「……あっ」
俺は我に返った。
(や、やっちまったァァァァァァッ!!)
相手はか弱い貴族の令嬢だぞ! 魔法の打ち合いでお茶を濁して、適当に負けてあげるのが『清楚な転入生』の正解だったはずだ!
それなのに、反射的に杖を捨ててCQC(近接格闘)で関節を極めるなんて、完全に野蛮な傭兵の戦い方じゃないか!
「ご、ごめんなさい! 痛かった!? つい、田舎の護身術が出ちゃって……!」
俺は慌ててカテリーナの拘束を解き、真っ青になって弁解した。
終わった。完全にドン引きされた。
「野蛮な転入生」というレッテルを貼られ、明日からハブられるに違いない。
だが、カテリーナは床に座り込んだまま、俺の顔を呆然と見上げていた。
そして、その顔がみるみるうちに赤く染まり、瞳に強烈な熱を帯び始めたのだ。
「……なんという、無駄のない動き……」
「え?」
カテリーナが震える声で呟いた。
「魔法に頼り切っていた私の驕りを、あえてご自身の『肉体』だけで制してくださったのですね……! しかも、関節を極められながらも、一切の痛みを感じませんでした。完全に力がコントロールされた、慈愛に満ちた制圧劇……!」
いや、三十八年の経験で手加減しただけなんだけど。
「見ましたか皆様!」
カテリーナが立ち上がり、クラスメイトたちに向かって叫んだ。
「ただの泥臭い格闘術が、女神様の御手にかかれば、まるで『戦乙女の舞い』のように美しく、気高い芸術へと昇華されましたわ! これぞ真の護身術! 究極のCQCです!!」
「「「キャアアアアアアアアアアッ!!」」」
グラウンドが、女子たちの割れんばかりの黄色い歓声に包まれた。
「ヴァル様! カッコいいですわ!」
「私にも! 私の関節も極めてくださいませ!!」
「腕ひしぎ十字固め……なんて神聖な響き! 私も習得します!」
フリフリの体操着を着たお嬢様たちが、目を血走らせながら俺に群がってくる。
体育教師のシスターに至っては、「素晴らしい……神の御業を体現したような体捌き。私に稽古をつけてください!」と土下座し始める始末。
「ち、ちが……俺はただのオッサンで……!」
俺は押し寄せる女子たちの波に揉まれながら、青空を見上げた。
清楚な女神様、庶民派の女神様、そして今回新たに獲得してしまった『武闘派の戦乙女』という厄介すぎる称号。
もはや、俺が何をしても、このチートボディと彼女たちの「神格化フィルター」を通せば、全てが尊い奇跡へと変換されてしまうのだ。
「誰か……俺に普通の学園生活を返してくれ……」
関節技をねだる令嬢たちに囲まれながら、俺の平穏なオッサンライフは、また一歩、修復不可能なレベルで遠ざかっていくのだった。




