第18話
「……あぁ、天国だ。ここは天国に違いない」
王立聖女学院、特別特待生専用の第一学生寮。
俺に割り当てられた完全個室のドアを閉めた瞬間、俺は歓喜の声を上げてふかふかの絨毯に倒れ込んだ。
広々とした部屋には、天蓋付きのキングサイズベッド、猫足の高級家具、そして良い匂いのするアロマランプ。
むさ苦しい男たちの汗臭さもなければ、いつ暴発するか分からない狂信者ユリウスの重すぎる視線もない。
「学園長、グッジョブ! あんたの欲望に感謝するぜ!」
俺は窮屈だった制服のリボンをむしり取り、ブラウスのボタンをいくつか外し、スカートの下にこっそり穿いていたジャージのズボン(砦から持参)一枚のラフな格好になった。
そのままベッドの上であぐらをかき、「どっこいしょ」とオッサン全開の息を吐く。
「さて、酒はもうコリゴリだが……やっぱり夜は『これ』がないと始まらねえよな」
俺は荷物の底から、紙に包んだ秘蔵のアイテムを取り出した。
砦の料理長が餞別として持たせてくれた『クラーケンの干し足(要するにスルメ)』である。
備え付けの魔力ランプの火を少し強め、スルメを直接炙る。
ジリジリ……と香ばしい音が鳴り、部屋の中に、磯の香りと強烈な『オッサンの晩酌の匂い』が充満し始めた。
「クゥ〜ッ! たまんねえ! これを囓りながら、一人で静かに夜を過ごす。これぞ三十八歳、大人の贅沢……!」
俺が炙りたてのスルメに噛み付こうと、大口を開けた、その時だった。
『コンコンコンッ!』
「ひゃいっ!?」
突然のノック音に、俺は変な声を出して飛び上がった。
「女神様! アリアです! 夜分遅くに申し訳ありません、クラスの皆と一緒に、女神様の歓迎のお茶会を開こうと思いまして!」
扉の向こうから、首席アリアのウキウキとした声と、女子たちのキャッキャというはしゃぐ声が聞こえてきた。
「な、なんだってェェェェ!?」
俺はパニックになった。
見回せば、部屋の中はスルメの匂いが充満し、俺はあぐら姿にジャージという完全に『休日のダメ親父』のスタイル。こんなところを熱狂的な信者の令嬢たちに見られたら、今度こそ完全に終わる!
「ま、待って! 今、ちょっと着替えてるから!」
「まあ! 女神様のお着替え! 私たちがお手伝いいたしますわ!」
「ダメダメダメ! 入ってきちゃダメ!!」
俺はベッドから飛び降り、スルメを枕の下に全力でねじ込んだ。
ジャージを音速で脱ぎ捨て、学園指定の清楚なネグリジェを頭から被る。あぐらをやめて、ベッドの端にちょこんと膝を揃えて座り、髪を整えた。
「い、いいよ……入って」
ガチャリと扉が開き、フリルやレースがふんだんにあしらわれたパジャマ姿の美少女たちが、ぞろぞろと部屋に雪崩れ込んできた。
手には高級なティーセットや、色とりどりのマカロンを持っている。
「失礼いたしますわ! ああ、夜の女神様もなんてお美しい……」
「さあ皆様、女神様を囲んでガールズトークを楽しみましょう!」
アリアを筆頭に、五、六人の美少女たちが、俺のベッドの周りに群がってきた。
「女神様、髪を梳かさせてください!」
「肩をお揉みしますわ!」
「こちらのイチゴ、私が食べさせて差し上げます!」
(ち、ちかぁぁぁぁいっ!!)
三十八歳の万年独身オッサンにとって、これは別の意味で拷問だった。
いい匂いのするうら若き乙女たちが、純度百パーセントの善意と崇拝の目で、至近距離から俺の体をペタペタと触ってくるのだ。
「ひやっ」「あ、そこは」「だ、ダメだってば!」
俺は必死に顔を赤くして(本当に恥ずかしいのだ)抵抗するが、それが逆に「恥じらう女神様、尊い!」と火に油を注いでしまっている。
その時だった。
「……あら? なんだかお部屋から、不思議な香りがしませんこと?」
クラスメイトの一人が、クンクンと鼻を鳴らした。
(ビクゥッ!!)
俺の心臓が止まりかけた。スルメだ。強烈な磯と醤油の匂いが、アロマの香りを完全に打ち負かしている。
「本当ですわ。なんだかこう……海産物を焦がしたような……?」
アリアが不思議そうに首を傾げる。
「こ、これは私の故郷のお香だよ! 海の神様を祀る……そう、神聖な儀式の匂い!」
俺は冷や汗をダラダラ流しながら、苦しい言い訳を放った。
「まあ! 女神様の故郷の……! どうりで、嗅いだだけで心が安らぐわけですわ」
アリアたちは信じ切ったように感嘆の溜息を吐いた。
よし、誤魔化せた! と安堵した、次の瞬間。
「あ、女神様。枕がズレて……キャッ!?」
シーツを直そうとした女子の一人が、俺が隠した『炙りスルメ』を発見してしまった。
「な、なんですかこれ!? 茶色くて、硬くて、吸盤のようなものがついて……!」
女子たちが悲鳴を上げて飛び退く。
「あぁぁぁぁぁっ! 終わった!!」
俺は頭を抱えた。
清楚な女神様のベッドから、オッサンの晩酌の友・スルメが出てきたのだ。こんなの、どう言い訳しても幻滅されるに決まっている!
だが。
「……待ってください。この茶色い物体から、とてつもない【聖気】を感じますわ!」
アリアが、恐る恐るそのスルメを手に取った。
「え?」
見ると、そのスルメは、仄かに黄金色の光を放っていた。
俺の『聖女ボディ』が極度の焦りから無意識の浄化を発動し、安物のクラーケンの干し足を、完全に不純物のない『究極の神海果(ウマミの塊)』へと昇華させてしまっていたのだ。
「これは……まさか、伝説に聞く『海神の供物』!? 女神様が、我々のために密かに精製してくださっていたのですね!」
「ち、違う! それはただのスル……」
「いただきます!」
アリアは俺の制止を振り切り、光り輝くスルメをパクリと囓った。
「…………っ!!」
アリアの目が見開かれ、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
「ア、アリア様!? 大丈夫ですか!?」
「あぁ……なんという……なんという深淵なる味わい……! 噛めば噛むほどに、海の恵みが、命の神秘が口の中に広がっていく……! これに比べたら、三ツ星シェフのマカロンなど、ただの砂糖の塊ですわ!!」
アリアはスルメを咀嚼しながら、恍惚の表情で床に崩れ落ちた。
「ほ、本当ですか!? 私も一口!」
「私も!」
令嬢たちが我先にとスルメに群がり、そして次々と「ウマい!」「魂が浄化される!」と叫びながら、ベッドの周りでスルメをモグモグと噛み締め始めた。
「えぇ……」
フリフリのネグリジェを着たトップエリートの貴族令嬢たちが、揃いも揃ってオッサンのようにスルメを囓って感動の涙を流している。
そのシュールすぎる光景を前に、俺のツッコミの機能は完全に停止した。
「女神様……このような至高の食べ物を隠し持っておられたなんて。私たち、パジャマパーティーの真髄を知りましたわ……!」
スルメの端をくわえたアリアが、涙ながらに俺の手にすがりついてくる。
「……うん。お口に合って、よかったよ」
俺は完全に死んだ魚の目で、窓の外の月を見上げた。
どうやらこの学園でも、俺の『オッサン隠蔽計画』は、俺自身のチートボディによって斜め上の方向に神格化され続ける運命にあるらしい。
平穏な個室ライフは、スルメの匂いと狂信者(女子)たちの咀嚼音と共に、賑やかに幕を開けたのだった。




