第15話
「……これだ。これしかない」
深夜の医療テント。
ランプの灯りを極限まで絞り、俺は息を殺して『それ』を見つめていた。
今日の昼間、リッチ討伐の功績として、王都から砦に大量の恩賞が届けられた。
金貨や新しい武具に混じって、俺のオッサンセンサーが激しく反応した品があったのだ。
それは、重厚な鉄のタガではめられた小さな木樽。
添えられていた目録にはこう記されていた。
『ドワーフ族の秘蔵酒【雷神の喉越し】――強烈な大地の魔力を帯びており、いかなる魔法の干渉や浄化をも受け付けない幻の強命酒』。
いかなる浄化も受け付けない。
その一文を見た瞬間、俺の頭の中でファンファーレが鳴り響いた。
これなら! この厄介すぎる聖女ボディの【超・浄化】をすり抜けて、アルコールを脳まで到達させることができるかもしれない!
俺はゲラン爺さんが寝静まったのを確認し、恩賞の山からこの小樽をこっそりとくすねてきたのだ(元々俺の討伐の恩賞だから窃盗ではない、はず)。
ツマミとして、ルッツが以前置いていった(そして硬すぎて食べられなかった)オークの干し肉を、ナイフで極限まで薄くスライスしたものも用意した。
「神様……いや、この世界の神様には最近嫌がらせしかされてねえから、酒の神様! 頼む、俺に『酔い』を返してくれ……!」
祈るような気持ちで樽の栓を抜く。
ポンッ、という小気味良い音と共に、テント内に強烈なアルコールの匂いが立ち込めた。
咽せ返るほど強い、これぞまさしく『酒』の匂いだ! 花の匂いでも甘い匂いでもない!
俺は震える手で、木組みのジョッキに琥珀色の液体を注いだ。
そして、ゴクリと生唾を飲み込み、一気にそれを煽った。
――カァァァァァッ!!
喉から胃にかけて、火の玉が転がり落ちていくような強烈な熱さが走る。
甘露にはならない。聖水にもならない。
ドワーフの強命酒は、俺の聖女ボディの自動浄化を見事に弾き返し、純度百パーセントのアルコールとして全身の血管を駆け巡り始めたのだ!
「く、かぁぁぁぁっ……!! これだ、これだよォ!!」
俺は感極まって、テーブルに突っ伏した。
美味い。十年間飲み親しんだ薄いエールとは比べ物にならないほどキツいが、久しぶりのアルコールの刺激に、オッサンの魂が歓喜の雄叫びを上げている。
調子に乗った俺は、薄切りの干し肉を齧りながら、二杯、三杯と強命酒を煽った。
しかし、俺は重大な事実を失念していた。
中身は三十八歳の酒豪オッサンでも、この体は『今までアルコールを一滴も摂取したことがない、可憐で華奢な美少女の体』なのだ。
ドワーフの強命酒などというアルコール度数七十パーセント超えの劇薬を、そんなピュアな肝臓に流し込めばどうなるか。
「……あ、れぇ? なんか、ぐるぐる、すゅる……」
五杯目を飲み干したあたりで、視界がぐにゃりと歪んだ。
全身が熱い。頭の芯がぽわぽわして、力が入らなくなる。
俺は椅子からずり落ち、テントの絨毯の上にぺたんと座り込んでしまった。
「あへへ……酔った。おれ、酔ってるぞぉ……えへへへ」
完全に出来上がってしまった。
オッサンの自制心はアルコールと共に吹き飛び、ただの「酔っ払ったダメ人間」がそこに誕生した。
しかし、見た目は絶世の銀髪美少女である。
真っ白な肌は桜色に染まり、銀色の瞳はとろんと潤んでいる。ダボダボのローブの肩がはだけ、華奢な鎖骨が露わになっているが、酔っ払っている俺は直そうともしない。
その時だった。
「――ヴァル嬢? テントから妙な匂いが……。まだ起きているのですか?」
天幕の外から、ユリウスの声がした。
夜の警護(という名のストーキング)をしていたのだろう。
続いて、別の足音も聞こえてくる。
「おいユリウス、ヴァルちゃんのテントの周りをウロウロすんな! ……ヴァルちゃん、起きてるのか?」
ゴルド小隊長とルッツだ。どうやらこいつらも、俺のテントの周りを見回っていたらしい(過保護すぎる)。
「お、なんだぁ? お前らも飲みに来たのかぁ?」
俺は呂律の回らない口で上機嫌に答えながら、這うようにして天幕の入り口に向かい、バサッと幕を開けた。
「「「…………っ!?」」」
天幕を開けた先にいたユリウス、ゴルド、ルッツの三人は、俺の姿を見た瞬間、雷に打たれたように完全に硬直した。
「おーい、みんなぁ……えへへっ」
俺は立ち上がろうとしたが、足元がおぼつかず、そのまま前によろめいた。
「おっとぉ!」
俺の体が倒れ込んだ先は、一番前にいたユリウスの胸の中だった。
「ひゃうっ!?」
ユリウスが、かつて聞いたことのないような変な悲鳴を上げた。
「ユ、ユリウシュ〜……お前、いつも堅苦しいんだよぉ……」
俺はユリウスの純白の神官服をギュッと掴み、その胸元に顔をぐりぐりと擦り付けた。
「もっとさぁ、肩の力抜けってぇ……。ほら、一緒にドワ、ドワーフの酒、飲もうぜぇ……?」
上目遣いで、へにゃりと笑いかける。オッサン同士なら「絡み酒のウザい上司」だが、今の俺がやると破壊力が違ったらしい。
「あ……あぁ……っ、聖女様の、この芳醇なる残り香……そしてこの無防備な御姿……っ! 主よ、私は今、天国に召されるのですね……!」
ユリウスの美しい顔が限界まで赤くなり、鼻から一筋の赤い血がツゥーッと流れた。
そのまま彼は「尊い……」と呟き、白目を剥いてバタリと後ろに倒れ(気絶し)た。
「おい、ユリウス!? お前、一人で抜け駆けして天国行きやがって!」
ゴルド小隊長が叫ぶ。
「ゴルドぉ〜、ルッツもぉ……突っ立ってないで、こっち来いよぉ……」
俺は気絶したユリウスを放置し、今度はゴルドとルッツの方へフラフラと歩み寄った。
「ヴァ、ヴァルちゃん! ダメだ、そんなはだけた格好で近付いてきちゃ! 俺たちの理性が!」
「えぇ〜? いいじゃんかぁ。お前ら、いっつも俺のこと守ってくれて……ありがとなぁ、えへへ」
俺はルッツの頭を両手でポンポンと撫で、ゴルドの丸太のような腕にギュッと抱きついた。
「「—————ッッ!!!!(声にならない絶叫)」」
ルッツは顔を両手で覆い、「神様、生きててよかったです!」と叫びながらその場に崩れ落ちて号泣。
ゴルド小隊長に至っては、顔面を真っ赤にして口から泡を吹き、「俺は……この腕を一生洗わねえ……」と言い残して、立ったまま気絶(立ち往生)してしまった。
「……あれぇ? みんな、どうしたのぉ? 楽しくないのぉ……?」
俺は首を傾げたが、三人はピクリとも動かない。
「つまんねーの。じゃあ俺、寝るぅ……」
俺はフラフラとテントの中に戻り、ベッドにダイブした。
そのまま、アルコールの力に引きずり込まれるように、泥のような深い眠りに落ちていったのだった。
***
――翌朝。
「……っっっっ痛えええええええ!!」
俺は頭を割るような強烈な頭痛(極大の二日酔い)で目を覚ました。
「うおぉ……気持ち悪い……。どんだけ飲んだんだ俺……」
頭を押さえながらフラフラとテントの外に出ると、そこには異様な光景が広がっていた。
「おはようございます、我が愛しの聖女様」
「ヴァルちゃん! 今朝も天使のように可愛いッス!!」
「俺の命に変えても、その無防備な寝顔は守り抜くからな!!」
ユリウス、ルッツ、ゴルドの三人が、なぜかテントの入り口に正座して、俺に向かって深々と頭を下げていたのだ。
しかも、三人の顔つきが昨日までとは明らかに違う。なんというか、『真理(とんでもない萌え)』を悟ってしまったかのような、悟りを開いたヤバい目つきになっている。
「え、お前ら……何してんの?」
俺がドン引きしながら尋ねると、ユリウスが鼻血の跡を拭いもせずにうっとりと答えた。
「昨夜、あなたが見せてくださった『神の恩寵(酔っ払い姿)』……我々の魂に、深く、深く刻み込まれました。あの無邪気で愛らしい御姿こそ、世界の真実。我々は、あの笑顔を守るためなら、神に背くことすら辞さない覚悟です」
(……やっちまった)
俺のオッサンの記憶が、断片的にフラッシュバックする。
酔っ払って、こいつらに絡んで、抱きついたり撫で回したりした記憶が。
「あぁぁぁぁぁぁっ……!! 俺のバカ! 酒のバカァァァッ!!」
せっかくの晩酌は、俺のオッサンとしてのプライドを粉々に砕き散らしただけでなく、周囲の過激派ファンたちに『酔っ払った聖女様の破壊力』という劇薬を与え、彼らを完全なる「ヴァル(バルド)絶対防衛教団」へと進化させてしまったのだった。
頭痛と後悔に苛まれながら、俺は朝の荒野に向かって虚しい絶叫を響かせるのだった。




