第13話
「……もう、無理だ」
夜。
医療テントの隅で、俺は虚無の瞳で天井を見つめていた。
王都からの『銀髪の女神・全国指名手配』。
俺を巡って日夜繰り広げられる、砦の男たちと狂信者ユリウスの血みどろの抗争。
少し気を抜けばお湯を奇跡の霊泉に変え、拷問部屋をお花畑に変えてしまう、このポンコツすぎる(凄すぎる)最強の聖女ボディ。
糸が、プツンと切れた。
「……酒だ。酒を飲ませろ」
「おいバルド、急に起き上がってどうしたんじゃ? 目が完全に死んどるぞ」
心配そうに覗き込んでくるゲラン爺さんを押し退け、俺はふらふらと立ち上がった。
「爺さん、俺はもう限界だ。これ以上、清楚で可憐な美少女のフリなんてできねえ。俺の心は三十八歳のむさ苦しいオッサンなんだよ。エールを樽で飲んで、下品な冗談を言って、そのままゲロを吐いて寝るのが俺の人生なんだ!!」
「バ、バカモン! 早まるな! 今お前が正体を明かしたら、あのユリウスがどう狂うか……!」
「知るかァ! どうせこのままじゃ精神がぶっ壊れる! 行ってくる!!」
俺はゲラン爺さんの制止を振り切り、夜の砦へと飛び出した。
目指すは一つ。砦の兵士たちが毎晩のように安酒をあおっている、騒がしくも懐かしい場所――大食堂(酒場)だ。
『ガァァァァァァァァンッ!!』
俺は酒場の重い木の扉を、華奢な足で思い切り蹴り開けた。
「……ん?」
「なんだ……?」
ドンチャン騒ぎをしていた砦の男たちが、一斉に扉の方を振り向く。
そこに立っていたのは、サイズの合っていないブカブカの軍用ローブを羽織り、銀糸のような髪を夜風に揺らす、絶世の美少女(俺)。
むさ苦しい酒場にはあまりにも不釣り合いな『一輪の白百合』の登場に、酒場は水を打ったような静寂に包まれた。
「ヴァ、ヴァルちゃん……!?」
奥の席でジョッキを傾けていたゴルド小隊長が、目を丸くして立ち上がった。
俺はずかずかと荒々しい足取りで酒場の中央に進み出ると、近くにあった空の樽に片足をドン!と乗せた。
そして、腹の底からオッサンのドスを効かせて(悲しいかな、鈴を転がすような美声の裏声になってしまったが)叫んだ。
「おい親父!! エールだ! 一番安くて度数のキツいやつを、樽ごと持ってこい! あと、靴底みたいに硬いゴブリン肉の干し肉もだ!!」
「「「…………え?」」」
兵士たちの思考が停止した。
そりゃそうだろう。清楚で大人しいマドンナだと思っていた美少女が、ヤクザのようなポーズで安酒とゲテモノ肉を要求しているのだから。
「ヴァルちゃん……? 一体どうしたんだ……? もしかして、ユリウスの野郎に変な幻覚魔法でもかけられたんじゃ……」
「うるせえ! ゴチャゴチャ言ってねえで酒を持てこいっつってんだよ!!」
俺は近くのテーブルから、並々となみなみと注がれた誰かの木製の大ジョッキをひったくった。
「見てろお前ら! これが俺の正体だ!!」
俺はジョッキを両手で持ち上げ、一気に喉へと流し込んだ。
――ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ!!
(……あ、あれ?)
喉越しは完全に冷えたエールなのだが、口の中に広がるのは、アルコールのツンとした匂いではなく、まるで高級なハチミツを溶かしたような、甘くて清らかな湧き水の味だった。
そう、俺の無駄にハイスペックな体が、体内に入ってきた安酒を、喉を通る瞬間に『極上の甘露(聖水)』へと完全浄化してしまっていたのだ。
「ぷっ、はぁぁぁぁぁっ……!!」
一滴残らず飲み干し、ジョッキをテーブルに叩きつける。
味は甘い水だったが、俺は限界までオッサンの演技(いや本性なのだが)を続けた。
「クハハハハ! 効くぜぇ! やっぱ夜はこれに限るな! おいゴルド! お前この前、見回りの途中に腹壊して野グソしてただろ! バレてねえとでも思ったか!」
「なっ……!? なぜヴァルちゃんがそんなことを!」
「ルッツ! お前が王都の娼婦に貢いで貯金ゼロなのも知ってんだぞ! あと俺はな! 三日風呂に入らずにこの酒場で管を巻いてたバルドそのものなんだよ! 聖女でもなんでもねえ、ただの万年平騎士のオッサンなんだよぉぉぉっ!!」
俺は肩で息をしながら、男たちを睨みつけた。
さあ、どうだ。これで完全にドン引きだろう。
清らかな聖女様が、下品な言葉を喚き散らす狂人(しかも自らをオッサンだと自称する痛い女)に成り下がったのだ。
幻滅しろ。そして俺を普通の兵士(見習い)として扱って、エールを飲ませてくれ!
男たちは、ポカンと口を開けたまま、俺の顔と、俺が叩きつけた空のジョッキを見つめていた。
すると、ルッツが震える指でジョッキを指差した。
「おい、見ろよ……ジョッキの底に数滴残ってたエールが……光り輝く『聖水』に変わってるぞ……?」
「な、なんだと……!? 飲むだけで、あの安酒を奇跡の水に変えてしまったというのか……!?」
ゴルド小隊長がハッとして、信じられないものを見るような目で俺を見上げた。
その目には、幻滅どころか、かつてないほどの『感動の涙』が浮かんでいた。
「そうか……そういうことだったのか、ヴァルちゃん……いや、聖女様……!」
「え?」
ゴルドは感極まった様子で、俺の前に両膝をついた。
「俺たちのような粗野で下品な男たちを怖がらせないために……あえて! あえて自分から泥を被り、俺たちと同じ目線に立とうと、むさ苦しいオッサンの演技をしてくださっているんだな……!」
「は?」
「そうだ! 本物の聖女様が、野グソだの娼婦だのという穢れた言葉を知っているはずがない! 全部、俺たちをリラックスさせるための『慈愛の嘘』なんだ!」
ルッツまでボロボロと泣き始めた。
「ヴァルちゃん……俺たちのために、無理して不味いエールを……うぅっ、なんて優しくて、気取らない聖女様なんだ! やっぱり俺たちのマドンナだ!!」
「「「ヴァルちゃぁぁぁぁぁぁぁん!!(号泣)」」」
「ち、違う! 演技じゃない! 痛い女だと思えよ! 幻滅しろよお前ら!!」
俺の叫びも虚しく、酒場は「庶民派の聖女様万歳!」という謎の熱狂に包まれてしまった。
その時だった。
酒場の隅の暗がりから、ゆっくりと拍手をする音が響いた。
「――素晴らしい。これぞまさしく、神の愛」
そこに立っていたのは、純白の神官服を纏った特務執行官ユリウスだった。
彼は恍惚とした表情で、頬を紅潮させている。
「な、なんだお前、また気持ち悪い解釈を……」
「わかりますよ、聖女様。あなたは、この穢れた酒場に渦巻く兵士たちの『怠惰』や『色欲』といった罪を、自ら体内に取り込み、そして浄化しようとされているのですね?」
「違う!!」
ユリウスは俺の全否定を完全に無視し、うっとりと両手を組んだ。
「自らをオッサンという下等生物に貶めてまで、迷える子羊たちを救済しようとする自己犠牲……。ああ、そのギャップ、たまらない……! 泥に塗れてなお輝きを増す、なんという尊き魂! 私の信仰は、今、限界を突破しました!!」
「お前が一番限界だよ!! 話を聞け!!」
俺は絶望した。
自暴自棄のオッサンカミングアウトは、彼らの目に『庶民派を演じる健気な聖女』あるいは『罪を背負うギャップ萌えの女神』という、とんでもないフィルターを通して変換されてしまったのだ。
「もう嫌だ……なんで誰も信じてくれないんだ……」
俺はその場にへたり込み、両手で顔を覆った。
悲しみのあまり、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。エールを飲んでも酔えず、真実を叫んでも狂信の餌にされるだけ。
「おお……見ろ、聖女様が俺たちの罪を想って涙を流してくださっている……!」
「なんて美しい涙だ……俺、明日から真面目に生きるッス!」
俺の絶望の涙は、男たちの心をさらに浄化してしまった。
酒場中が謎の感動と一体感に包まれる中、俺は一人、静かに悟ったのだった。
このバグった最強の聖女ボディ(と、周囲の重すぎる思い込み)からは、もう一生逃れられないのだ、と――。




