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第12話


「……ふわぁ。よく寝た」


翌朝。

医療テントの簡易ベッドで目を覚ました俺は、久しぶりに清々しい気分で大きく伸びをした。

昨夜の女子校(王立聖女学院)大浴場スニーキングミッションは寿命が縮む思いだったが、結果的に最高のお湯に浸かれたおかげで、ここ数日のオッサン的な疲労感はすっかり抜け落ちていた。肌なんか無駄にツヤツヤのプルプルである。


「やっぱ風呂は命の洗濯だな。……さて、今日も気合入れて姪っ子のフリをするか」


俺がベッドから降りて着替えようとした、その時だった。


「おはようございます、我が至高の聖女様。本日の朝食をお持ちしま――」


優雅な足取りでテントに入ってきた特務執行官ユリウス。

だが、彼が挨拶を言い終えることはなかった。


ピタリ、と。

ユリウスの足が止まった。

手にした銀のトレイ(高級な果実水と白パンが乗っている)が、カチャリと微かに揺れる。


「……ユリウス?」


俺が首を傾げた瞬間、ユリウスの美しいアイスブルーの瞳が、スゥッと細められた。

氷点下の冷気が、テント内に充満する。


「……ヴァル嬢。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」

「え、な、なに?」


ユリウスはトレイを机に置くと、音もなく俺の目の前まで歩み寄り、顔を近づけてきた。

あまりの近さにビクッとする。整いすぎたイケメンの顔が至近距離にあるのも怖いが、何より、その目が完全に『獲物の痕跡を見つけた猟犬』のそれだったのだ。


スンッ、と。

ユリウスが、俺の首元で小さく鼻を鳴らした。


「ひゃっ!?」

「……おかしいですね。昨夜まであなたから漂っていたのは、自然な白百合の香りだったはず。ですが今朝のあなたからは……王都の特権階級しか使えないはずの『高級魔力石鹸』の匂い。そして何より……」


ユリウスの手が、ガシッと俺の肩を掴んだ。

力が強い。三十八歳のオッサンの力でも振りほどけそうにない。


「あなた以外の、複数の『メス』の魔力の残り香がする。……それも、中途半端に魔力をかじったような、年増の女たちの匂いだ」


(ーーーッ!?)


俺の心臓が、早鐘のように打ち鳴らされた。

バレてる! 昨夜、聖女学院の教師陣(中年)が狂喜乱舞していたお湯の残り香が、完全に染み付いてる!!

こいつ、犬か!? どんだけ嗅覚鋭いんだよ!!


「そ、そそそ、それは……!」

「答えなさい、ヴァル嬢。昨夜、私がテントを離れていた間に、どこの馬の骨とも知れぬ輩と『密会』していたのですか? あなたのその清らかな肌に、不浄な者たちが触れたというのですか……っ!」


ユリウスの目が血走っている。

完全にヤンデレ彼氏か、過激派のトップオタクの詰め寄り方だ。

このままでは「私の聖女を汚した奴らを皆殺しにしてやる」とか言い出しかねない。


「ち、違う! 違うんだユリウス! これはその……ゲラン先生が!!」

「……ん? ワシか?」


奥の調剤スペースから呑気に出てきたゲラン爺さんに、俺は必死の目配せ(という名のSOS)を送った。


「そ、そう! ゲラン先生が、王都から取り寄せた特別な『若返りの入浴剤』をくれたの! それを使って体を拭いただけ! 他の女の匂いがするのは、きっとその入浴剤の成分のせいだよ!」

「お、おう! そうじゃ! ワシが特別に調合した秘薬でな! 決して夜中にどこぞの大浴場に忍び込んだりなどしておらん!」


(爺さん! 余計なこと言うな!!)


俺の心のツッコミも虚しく、ユリウスはゲラン爺さんを冷ややかに一瞥した。


「……なるほど。軍医殿の入浴剤、ですか。それなら合点がいく」

ユリウスはパッと俺から手を離し、柔和な笑顔に戻った。


「申し訳ありません、聖女様。あなたがあまりにも美しすぎるため、つい嫉妬に狂い、つまらぬ疑いをかけてしまいました。どうかこの愚かな下僕をお許しください」

「あ、あはは……気にしてないよ。ユリウスも心配性だなぁ」


俺は顔を引き攣らせながら乾いた笑いを浮かべた。

危なかった。本当に寿命が縮むかと思った。


だが、ホッとしたのも束の間。

今度はテントの外から、ゴルド小隊長の慌てふためく大声が聞こえてきた。


「ゲランの爺さん! 大変だ!! 王都から、とんでもない知らせを持った早馬が到着したぞ!!」


バンッ! と天幕が開かれ、息を切らしたゴルド小隊長が飛び込んできた。


「どうしたゴルド。また魔物の群れでも出たか?」

ゲラン爺さんが尋ねると、ゴルドは顔を真っ青にして首を横に振った。


「違う! 魔物よりヤバい! 王立聖女学院で、昨夜『真なる女神様』が降臨したらしいんだ!!」


「「……ぶっ」」

俺とゲラン爺さんは、同時に変な声を出して固まった。


「教会と魔術院のトップが深夜に叩き起こされて大騒ぎだ! なんでも、大浴場のお湯が一瞬にして『奇跡の霊泉』に変わり、居合わせた学園長たちが二十歳も若返ったらしい! そして、その場から逃げ去った女神様が残したという『一本の銀色の髪の毛』……これを手がかりに、国を挙げての大捜索が始まっちまったんだよ!!」


(落・と・し・て・たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!)


俺は頭を抱えてその場にしゃがみ込みたくなった。

最後に転移の鏡に飛び込む時、焦りすぎてどこかに髪の毛を引っ掛けてしまっていたらしい。


「しかもだ! その女神様の落とし物の銀髪からは、建国神話クラスの強烈な【聖気】が放たれていて、鑑定した教会の司教が気絶したらしい! 『この銀髪の持ち主を見つけた者には、国から莫大な報奨金と爵位を与える!』って手配書まで回ってきたんだ!!」


ゴルド小隊長が、一枚の羊皮紙をバサァッと広げた。

そこには、『探しています:規格外の聖気を放つ銀髪の女神様』というデカデカとした文字が躍っている。


「……ほぅ?」


その場にいた全員の視線が、一斉に一点に集中した。

俺の頭部。

肩から腰までサラサラと流れる、輝くような『銀髪』へと。


「…………」

「…………」


静寂が、医療テントを支配した。

ゴルド小隊長が、俺の顔と、手配書を交互に見比べる。


「あ、いや……ははは。ヴァ、ヴァルちゃんも銀髪だけど……まさかね? 王都の学園に出た女神様が、こんな辺境の砦にいるわけ……」

ゴルド小隊長が、冷や汗を流しながら自分に言い聞かせるように呟いた。


だが、俺のすぐ横に立つ特務執行官ユリウスの様子がおかしかった。

彼は肩をワナワナと震わせ、両手で顔を覆い隠している。


「……ああ。ああ……! やはり、私の目は狂っていなかった……!!」


ユリウスが、感極まったような、そしてどこか狂気を孕んだ声で天を仰いだ。


「王都の腐敗した連中も、ついに気付きおったか! この世界に降臨した、真なる奇跡の存在に! ですが遅い! 聖女様を見出したのは、この私だ!!」

「ユ、ユリウス……?」


ユリウスはバッと俺を振り返り、その手を取って熱烈な口付けを落とした。


「聖女様! このままでは、教会の強欲な連中があなたを王都へ連れ去り、鳥籠に閉じ込めてしまうでしょう! さあ、私と共にこの国を捨て、新天地へ逃避行を! 私が一生、あなたをその胸に抱いてお守りします!!」

「だ、誰がテメェみたいなヤバい奴と逃げるかぁぁぁっ!!」


俺はオッサンの地声で叫びながら、渾身の力でユリウスの顔面を突き飛ばした(華奢な腕なのでノーダメージだったが)。


「ま、待てユリウス! ヴァルちゃんを連れて行くなんて俺たちが許さねえ!!」

ゴルド小隊長が斧を構える。


「表へ出ろ野蛮人! 聖女様に群がる害虫どもめ、今日こそ塵一つ残さず浄化してやる!!」


再び勃発した、狂信者vs砦の兵士たちの血みどろの抗争。

その中心で、俺は完全に白目を剥いていた。


(……オワタ。俺の平穏なオッサンライフ、完全に詰んだ)


王都からの国を挙げた『シンデレラ捜索網』。

そして、目の前で殺し合いを始める過激派のファンたち。

絶対にバレてはいけない最強の聖女の隠蔽生活は、ここに来て、最悪の形でクライマックス(崩壊)を迎えようとしていたのだった。

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