第11話
「あ……あぁ……女神様。どうか私に、その清らかな御手を……」
「いや、だから違うって! 私はただ風呂に入りに来ただけの……」
王立聖女学院の大浴場。
黄金に輝くお湯の中で、全裸の美少女(学園首席のアリア)に拝み倒されている全裸の俺(中身は三十八歳のオッサン)。
あまりのカオスな状況に、俺の処理能力は完全に限界を迎えていた。
その時だった。
『ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!!』
突然、学園中にけたたましい魔導サイレンが鳴り響いた。
「な、なんだ!?」
「……っ! 結界警報です! 大浴場から発生した規格外の聖気が、学園の魔力センサーを振り切ったんだわ!」
アリアがハッとして立ち上がる。
「え、それってつまり……」
「学園長が来ます。それも、全教師を連れて。あの人は『鉄の処女』と呼ばれるほど厳格な大魔女。もし女神様がここで見つかれば、どんな無礼な扱いを受けるか……!」
「マズい! 超マズい! 見つかったら俺、不法侵入で教会に突き出される!」
俺はパニックになり、湯船から飛び出した。
だが、ここは敵地(女子校)のど真ん中。しかも俺は一糸まとわぬ姿だ。武器もなければ服もない。
「女神様! こちらへ!」
アリアは俺の手を引くと、脱衣所の隅にある『使用済みタオル回収ボックス(特大の藤カゴ)』の蓋を開けた。
「とりあえずこの中に! 私がなんとか誤魔化しますから、隙を見て逃げてください!」
「お、おう! 恩に着るぜ嬢ちゃん!」
俺はバスタオルを一枚だけ引っ掴み、素っ裸のまま藤カゴの中にダイブした。
直後、『ドバーンッ!』という凄まじい音と共に、大浴場の扉が吹き飛ばされるように開いた。
「何事ですか! この異常な魔力数値は……っ!?」
隙間から覗き見ると、そこには黒いローブを着た、いかにもおっかない雰囲気の初老の女性――学園長が、十人ほどの教師たちを引き連れて立っていた。
「が、学園長先生! これは……その……」
アリアが必死に立ち塞がろうとするが、学園長たちの視線は、アリアの後ろ……黄金に光り輝き、純白の蓮が咲き乱れる湯船に釘付けになっていた。
「な、なんだこのお湯は……! 信じられん、湯そのものが極上の『聖水』へと変異しているだと!?」
学園長は震える手で、黄金のお湯をすくい上げた。
そのお湯が、彼女のシワだらけの手に触れた瞬間である。
ピカーッ!
「……え?」
学園長の手が、まばゆい光に包まれた。
光が収まると、そこにあったはずの深いシワやシミが完全に消え去り、まるで二十代の娘のような、白く瑞々しい肌に生まれ変わっていたのだ。
「ウソ……私の、長年の悩みだった手荒れとシワが……一瞬で……?」
学園長は信じられないという顔で自分の手を見つめた。
「が、学園長! 私の顔を見てください! お湯の湯気を浴びただけで、ほうれい線が消えましたわ!」
「私なんて、三十年来の酷い肩こりと腰痛が、嘘のように軽くなりました! 体が羽のように軽いです!」
後ろにいた教師たちも、自分の体の劇的な変化に気づき、悲鳴のような歓声を上げ始めた。
俺の無意識の【超・浄化】が溶け込んだお湯は、中高年の女性たちにとって、どんな魔法薬よりも価値のある『究極のアンチエイジングの霊泉』と化していたのだ。
「こ……これは、神が我々の日々の激務を労い、遣わしてくださった奇跡の温泉……!」
厳格だったはずの学園長の目に、ギラギラとした欲望の炎が宿った。
「全員、服を脱ぎなさい! 今すぐこの奇跡のお湯を全身に浴びるのです! 一滴たりとも無駄にしてはなりません!!」
「「「はいっ、学園長!!」」」
なんと、お堅い教師陣が我先にとローブを脱ぎ捨て、黄金の湯船へとダイブし始めたではないか。
「あぁぁ……お肌が、お肌が若返っていくわぁ……」
「腰痛が治った……これでまだ戦える……!」
「もっと! もっとお湯を顔に当てなさい!」
大浴場は一瞬にして、若返りの喜びに狂喜乱舞する中年女性たちのカオスな宴会場と化してしまった。
アリアは「えぇ……」と完全にドン引きして立ち尽くしている。
(……今だ!)
カゴの中に潜んでいた俺は、この千載一遇のチャンスを見逃さなかった。
教師たちの意識が完全に『アンチエイジング』に向いている今しかない。
俺はバスタオルを胸の前にキュッと巻きつけ(オッサンの心としては屈辱の巻き方だが)、藤カゴから音もなく這い出した。
三十八年間、辺境の最前線で培った『隠密行動』の技術。
気配を完全に殺し、足音を消し、死角から死角へと滑るように移動する。
外見はタオル一枚の華奢な美少女だが、その動きは完全に歴戦の特殊工作員のそれだった。
「すぅ……はぁ……」
呼吸を極限まで浅くする。
脱衣所のロッカーの陰に身を潜め、教師の一人が振り返った瞬間に、湯気を利用して次の柱の陰へ。
オッサンの経験値と、この異常に軽い美少女の身体能力が奇跡の噛み合いを見せ、俺は誰にも気づかれることなく、脱衣所の出口へと到達した。
(よし、抜けたっ!)
俺は振り返り、アリアに向かって無言で『サムズアップ(親指を立てるサイン)』を送った。
アリアは頬を赤らめ、両手を胸の前で組んで祈るようなポーズで俺を見送ってくれた。(絶対まだ女神だと思われてるな、これ)。
大浴場を脱出した俺は、誰もいない夜の廊下を全力で駆け抜けた。
タオルがはだけそうになるのを必死に押さえながら、転移の鏡がある物置部屋を目指す。
「ハァッ、ハァッ……! 急げ、一時間経っちまう!」
物置部屋の扉を開けると、そこにはまだ青白い光を放つ転移の鏡があった。
しかし、その光は今にも消え入りそうに明滅している。
「間に合えええええっ!」
俺は床を蹴り、鏡の面に向かって頭から飛び込んだ。
――バチィッ!
空間が弾ける音と共に、視界がぐるぐると反転する。
次に目を開けた時、俺は辺境砦の医療テントの固い床の上に、盛大に顔から突っ伏していた。
「いっっっっっっっっっっっっっっっっっっっったぁ!!」
鼻を強打し、涙目で顔を上げる。
そこには、呆れ果てた顔で見下ろしてくるゲラン爺さんがいた。
「……なんじゃお前さん、その格好は。風呂に入りに行ったのか、戦場に行ってきたのかわからんぞ」
「ぜぇ、ぜぇ……爺さん……二度と、あんな危ねえ風呂……行か、ない……」
俺はタオル一枚の姿のまま、力尽きて床に大の字に倒れ込んだ。
結局、風呂で癒やされるどころか、かつてないほどのプレッシャーとスリルを味わうハメになってしまった。
だが、あの狂乱する教師たちを見る限り、学園に俺の正体がバレることはなかっただろう。なんとか危機は去ったのだ。
「はぁ……ひどい目に遭った……」
俺は安堵のため息を吐いた。
しかし俺はこの時、まだ気づいていなかった。
俺が転移の鏡に飛び込む直前、慌てていたせいで、俺の『銀髪の長い髪の毛が数本』、学園の物置部屋の床に落ちてしまっていたことに……。




