第四話 つわものの剣
前後編にはしていませんが、第五話と対のお話です。ひとまずこちらからどうぞ。
何十人が周りを囲うように座っても、まだ余分のある広々とした屋内訓練場。湿気た空気の漂うそこに集められた兵士達は、そこで思いがけないものを見ることになった。
「お、おいあれ……」
「あぁ、騎士団長だ……!」
驚きと興奮が入りまじった囁きがあちこちで起こり、俺も中央に立つ鎧の男が誰なのかを知った。
「マジかよ」
歳は30半ばから40過ぎくらいか。いかにもがっしりとした体躯をしている。茶の髪を肩に散らし、髭を生やしているのが渋い。
鎧の胸にはファタリア王国の象徴である太陽を模した紋章が掘りこまれていた。あれを身に纏えるのは、それなりの地位にいるものだけだ。
「ファタリア王国騎士団長・オーラルだね」
そう言うキーマもやや声が上ずっている。今は平和とは言え、この国は幾つもの国に囲まれた立地ゆえ、これまで周辺国とたびたび剣を交えてきたと聞く。その先頭に立ち、勝利をもぎ取ってきたのがオーラルだ。
かつて国境に設けられた騎士団の長であったオーラルは、ひとたび争いになれば数千を超える兵士を率いて出陣し、類まれなる剣技と知恵で幾度となく敵を打ち破って本国を守った。
その功績が認められ、王都の守護役に任じられたのが10年ほど前――と王都に着いたばかりの頃にココが教えてくれた。俺はその話に目を輝かせたが、まさかこんな近くでその姿を目に出来るとは思っていなかった。
「びっくりですね」
隣でココが言う。何故これほど驚き興奮するのか。祖国ユニラテラの騎士団長でさえ、遠くでしか見たことがなかったからだ。
ユニラテラ王都にいた頃、見習いが解けて間もない俺達は最下層に近かった。兵士と騎士の訓練はほとんど交わることがなく、遠くから時折眺めるくらいしか出来なかったのである。
「やっぱ格好良いよなぁ」
いつかもっと近づきたいと思っていた。もちろんウチの師範は尊敬しているが、騎士団への憧れはそれとは全く違う感情だ。え、師匠? そこは思い出したくない。
とにかく、そんな「生きた伝説」が数歩先に立っている。ああ、光っている。視界にきらきらお星さまが見える……!
「やば。鼻血吹いて気絶しそう」
「それは血と時間が勿体ないから頑張りなよ」
「お、おう」
どよめきがさざめきに変わり、やがて静けさが辺りを支配する。最初の興奮は未だ冷めやらないが、騎士団長の発するオーラに気圧されて言葉が出なくなった、というのが正しいかもしれない。
「私が騎士団長のオーラルだ。覚えてもらおう」
穏やかな水面を打つような響き。わざわざ言われなくとも、忘れるはずがないと思わせる存在感。
「我が君の御言葉の通り、この城にいる間は我らの同胞だ。騎士団としても正式に迎えよう」
うおお、ぞくぞくと背筋に何かが走るぜ。寒気か武者震いか? オーラルは太い両腕を広げてにやりと不敵に笑った。それだけで体を真っ二つにされそうで怖くなる。
「今回こうして集まって貰ったのは、そなた達の師から要請を受けたからだ。ぜひ、つわものの剣を味わわせてやって欲しいと」
どよどよっ! 一度は落ち着いたはずの場が再び高揚する。オーラルの肉厚の手のひらが動く先に目をやると、言い出した師範は訓練場の入口で沈黙し、オーラルに軽く頭を下げていた。
「そ、それってつまり……」
「騎士団長と試合をする、ということでしょうか?」
「リーゼイ師、無茶言うねぇ」
ひそひそと囁きかわし、ありえない展開に戸惑った。間近で見ることすら滅多にない騎士団長といきなり切り合えだなんて無理過ぎる。絶対、瞬殺コースじゃねぇか。
完全に及び腰の俺達を見て、オーラルははっはっはっと豪快に笑った。
「そう怯える必要はない。戦場ではあるまいに、別にとって喰おうとは言わぬさ。同胞だと言ったばかりだろうに」
どちらにしても試合うのは剣士だろうから、魔導士にとっては他人事なのだが、それでも仲間がまるで生贄にでも捧げられるような心地だった。……オーラルが更にとんでもないことを言い出すまでは。
髭をなでる仕草が師匠に似ている彼は、まるでちょっとした買い忘れでも思い出したみたいに「おっと」とおどけた。
「そうそう。魔導士諸君にもぜひこの場を見ていって欲しいものだが、退屈させるつもりはないから安心すると良い。あとで我が右腕にしてファタリア最強の魔導師・ルイーズに相手を頼んであるのでな」
「!?」
げげっ、そんな気配り要りませんからー!
「たああっ!」
鈍い剣戟の音が鼓膜を震わせる。
使っているのが、切れないように刃の部分を潰してある訓練用のものだからだが、一回一回の重みは真剣となんら変わりがない。
はっ、ふっ、と小刻みに浅い呼吸が聞こえ、飛び散る汗が床を濡らす。
「グッ」
目にも止まらぬ速さだった。
真ん中に立つ騎士団長・オーラルを囲うようにして立っていた幾人の剣士達が、なけなしの気合いを発して突撃するたび、その一瞬後には倒れている、という光景が幾度も繰り返された。
「さぁ、どこからでもかかってくると良い。二人でも三人でも!」
オーラルに煽られ、炎に誘われる蛾の如く一人また一人と地を蹴るも、決まって固い木の床に口づけをすることになる。これほど「やけくそ」がぴったりくる場面もない。
やがて立っているのも数人のみになり、その中にキーマの姿も混じっていた。
「いつ打ちだせば良いんだっての。こりゃ、隙を探そうって方が馬鹿だな」
外野で見学しながら呟く。剣の初心者にも、強さの違いは一目瞭然だったろう。
何が凄いって、一人で数人相手にこれだけ打ち合っておいて、オーラルが初期位置からほとんど移動していない点だ。前へ出るでも後ろへ下がるでもなく、ひらりと避けて切り伏せる。人間かよ?
「皆さん、頑張ってくださ~い」
ココが叫ぶ。けれど、他の時なら嬉しいはずの女子の声援も、届いているかも怪しかった。届いていたとしても、勝利の女神の囁きどころか、死神の笑い声に聞こえていても不思議じゃない。
好人物らしいオーラルも、剣を握れば騎士団長の本領発揮だ。ここぞとばかりに語気を強め始め、あちこちに頽れた敗者にさえ容赦はない。
「這いつくばってでも勝つくらいの根性を見せんか! それでも強国の兵か? そんなことでは、彼の国は平和ボケして剣も鈍ったと謗られようぞ!」
騎士団を率いる猛将の言葉だからか、はたまた普段は寡黙なリーゼイ師範に教わっているせいか、一言一言が腹にずしりとくる。
実際に稽古をつけてもらっている剣士も同じなのだろう、やられっ放しでいられるものかと己を鼓舞し、立ち上がった。
「そうだ。まだまだ火は消えておらぬだろう? 命の取り合いの場になれば、背後からでも卑怯とは言わぬ。今日まで鍛えてきた腕、存分に振るわれよ!」
大地を揺るがす、何百頭もの馬の蹄の音が聞こえてくる気がした。強い熱風、轟く怒声、あちらこちらで火花を散らす勇猛果敢な戦士達。全てはオーラルの流れるような剣技の見せる幻か。
「あっ」
後方で戦況を見守っていたキーマがついに走り出した。そのままたった五歩で相手の間合いに入り込み、下段から素早く切り上げる。これまでのどの兵士より鋭い一撃だった。
ぎぃんと鈍い音が響く。それは、今日何度となく聞いたどの音とも違っていた。
「うむ、良い筋だ」
これまで全ての攻撃を軽くいなしてきたオーラルが、初めて真正面で受けたのだ。しかし、もしやと思えたのは一秒にも満たない時間だった。
くるりと刃先を誘導された剣が宙を舞って落ちる前に、キーマ自身が床に叩き付けられていた。
「ッ」
肺が圧迫され、息が漏れる。当然といえば当然の結果だが、あぁという残念なため息が零れるのもまた自然だった。
そして、それが場の最高潮だったのだろう。一度は奮起してみせた他の者も気概を殺がれ、あとはどこか緊張の糸が切れたような運びとなった。
試合は死屍累々と横たわる若い剣士達と、その中でただ一人涼しい顔をして佇むオーラルという光景で終わった。
『ありがとうございましたっ!』
精根尽き果てて、声を出すのもやっとのキーマ達が、なんとか部屋の壁際に並んで座り込むと、代わりに師範が進み出て礼を述べた。
「ご指南、心よりお礼申し上げます」
「いや、なかなか根性がある。さすがはユニラテラの将来有望な若者達ですな。我が隊の騎士にも見習わせたいところです」
「とんでもない。まだまだ修行が必要であることを、身を以て実感したことでしょう」
うわぁ、久しぶりに師範がたくさん喋ってるのを見たぜ。そう思っているのは俺だけじゃないらしく、皆一様に口をぽかんと開けて事態を見詰めている。半分くらいは疲れ切っての馬鹿面の可能性もあるが。
「ところで、リーゼイ殿はユニラテラでも屈指の剣の使い手であると伺っているのだが」
おっ、やっぱり。いつも師匠ばっかり目立ってるけど、師範だってめちゃめちゃ強そうだもんな。そりゃ噂にだってなっているはずだ。
「根も葉もない噂に過ぎません。隣の国と言っても遠方のこと。伝わる間に尾ひれが幾重にも付くものです」
オーラルは再びにやりと笑った。それも、先ほどよりもぐっと深く、まるで獲物を前に舌なめずりする獅子を思わせる凄絶な笑みだ。一度は収められた剣がすらりと抜かれ、閃き、一同がぎょっとする。
「真偽のほど、自分で試してみなければ気の済まない性分でしてな」
「……承知しました。それで弟子達を鍛えて頂いた礼となるなら」
心の読めない、いつもの無表情のまま、師範も剣士から訓練用の剣を受け取って軽く構える。ぴんと空気が張り詰め、二人が本気なのだと悟った。
先程行われた兵士相手の訓練とは緊張感の度合いが全く違う。呼吸さえ邪魔になりそうで、誰もが息を詰めていた。
「……!」
やがて、先に動いたのがどちらかも分からない間に斬り合いが始まった。
片方が下に切り込めば下で受け、上から振りかぶれば薙ぎ払い、突けば避け、体を捻って横から一撃を加えようとして受け止められ――いっさいの無駄がない、剣舞のような動きに瞬きを忘れる。
剣の質など関係ない。これが本物の戦いなのだ。
両者から飛び散る汗が床を幾重にも濡らす。どれくらい続いたか。さすがに互いに息が上がり始め、最初より動きのキレが鈍ってきた頃、唐突に決着はついた。
ふらり、と師範の肩が揺れる。全員が声に出さず「あぁ!」と叫んだ。
それでも軸足でなんとか態勢を戻したものの、長い試合でスタミナは限界ギリギリ。追撃するオーラルの一撃に床へと押しやられ、なおも反撃しようとしたところで剣を首筋に突き付けられた。
「そこまで!」
朗々と響いたのは師匠の声だった。ちょ、いつの間にそこに!?
師範は差し伸べられた団長の手を取って立ち上がり、二人は正式な握手を交わした。……くうぅ、かっこよ過ぎる!
「やはり、私如きの剣では太刀打ちできませんでした」
「謙遜を。こんなに没頭できたのは数年ぶりです。まさに噂通り」
「いえ、手加減をして頂いた上でのこと。戦場ならば命はなかったでしょう」
「戦場に確かな物などありませぬよ。そちらこそ、手の内の全てはお見せ下さらなかったでしょう?」
おいおい。何この会話。二人とも本気じゃなかったってこと? あれで!?
「なんか眩暈がしてきた」
集中し過ぎて高血圧でぶっ倒れそうだ。しかもこれで終わりじゃない。次には魔導士の試合が待っているのだ。
「頑張れー」
くたくたで顔も上げられなくなっているキーマが平たい声援を送ってきた。
キーマが動いているシーンは久しぶりですね。いつもぼーっとしている子ですが、動こうと思えば動けるんです。思わないだけで。
最小限の動きしかしないところは師範にそっくりな気がしてきました。
さて、それでは第五話に続きます。主人公がんばれ。




