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後始末のプロから言わせていただきますが、その嘘は穴だらけです  作者: 九葉(くずは)


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第4話

 ちりん、と真鍮の鈴が耳障りな勢いで鳴った。


 三口目のクロワッサンを飲み込んで、スープにスプーンを伸ばした時だった。木の扉が乱暴に押し開けられて、朝の静けさを踏み荒らすように、男が一人入ってきた。


 ラシャ織りの上着は上等だけれど、仕立てが粗く、色が派手すぎる。肥えた腹を揺らして、顔には脂汗が光っていた。片手に分厚い紙の束を握っている。


「おい、アルノ! 今月分の粉代を回収しに来たぞ。いつまで待たせる気だ!」


 カウンターの向こうで生地をこねていたアルノが、太い眉を寄せた。前掛けで手を拭って、ゆっくり出てくる。見上げるような体格から立ちのぼる無言の圧に、男は一瞬たじろいだが、すぐに横柄な笑みを作り直した。


「ベルク粉問屋の集金だ。今月分、上級小麦粉二十袋にライ麦十袋、締めて銀貨五枚と銅貨四十枚。耳を揃えて払ってもらおうか」


「待て」


 アルノの声が店に落ちた。灰色の目が細くなる。


「先月は同じ仕入れで、銀貨四枚もかからなかったはずだ。一月で半分近くも上がる道理がない。頼んだ覚えのない端数も乗ってる」


「はっ、相場を知らねえのか? 東の街道が雨でぬかるんで、運び賃が跳ね上がってんだよ。こっちも慈善事業じゃねえんだ。文句があるなら他所で買えばいい。ただ、この界隈で、看板も出さねえお前の店に粉を卸す問屋が、他にあると思うか?」


 あからさまな脅しだった。男は紙をカウンターに叩きつけて、せせら笑う。


 アルノの分厚い胸が、押し殺した息で上下した。言い返そうと口を開きかけて、視線を落とし、閉じる。カウンターの端には、先日見かけた粉まみれの伝票の山がある。どの粉がいつ何袋届いたのか、納品の控えを引っ張り出して、相手の請求書と突き合わせる。それが、彼にはできないのだ。


 職人としての腕は確かでも、書類の穴を突かれると、守りに回るしかない。おかしいと分かっているのに、覆す証拠をその場で出せない。握りしめた拳から、悔しさが痛いほど伝わってきた。


 またか、と思った。


 相手が反論できないと見て、弱みにつけ込む。ユリウスが私に後始末を押しつけていた時と、集金人の顔が重なった。


 私はスプーンを木皿の縁に置いた。冷めかけたバターの香りが、鼻先をかすめる。


「失礼ですが、その請求書と納品の控えを、拝見できますか」


 静かに口を挟むと、集金人がぎょっとして振り返った。客の女が割り込むとは思っていなかったらしい。露骨に顔をしかめて、私を上から下まで眺める。


「あぁ? 誰だお前は。ただの客が商談に口を出すんじゃねえ。引っ込んでパンでも食ってろ」


「商業ギルド公認の筆耕人です。取引書類に不審な点を見つけた場合、ギルドの査察窓口へ報告する義務があります」


 胸元から、一昨日交付されたばかりの木の登録札を出して、テーブルにことりと置いた。


 集金人の眉が跳ねた。王都商業ギルドの札は、下町の商人にとって、無視できるものではない。不正を報告されれば、問屋でも営業停止や罰金が待っている。


「アルノ様、控えをお借りします」


 カウンターへ歩み寄ると、アルノは驚いたように目を見張った。それでも黙って、埃をかぶった伝票の束を差し出してくれた。


 ばらばらの紙を、日付順に並べ直す。殴り書きの数字、掠れたインク、破れた角。三年間、ユリウスの嘘を辻褄の合う書類にし続けてきた私の目は、こんなものではごまかされない。


 一分で、仕組まれた歪みが浮かび上がった。


「ずいぶん器用な計算をなさるんですね、ベルク問屋さん」


 請求書の一行を、爪先でとん、と叩く。


「先週の木曜に納品された上級小麦粉五袋。これは、火曜に届いて品質不良で返品した分の、交換品ですよね。アルノ様の控えにも『交換品』と受領印があります。それがあなたの請求書では『新規納品』として、もう一度計上されています。一袋が銅貨十四枚ですから、五袋で七十枚の二重請求です」


「そ、それは手違いで」


「手違いにしては、日付のいじり方が巧妙ですね。次に、この輸送費の割増。ギルドの公示では、今週の月曜以降の出荷分から適用です。なのに先週納めた分にまでさかのぼって上乗せしている。これで銅貨九十枚。明白な規約違反です」


 携帯用の小さな帳面に鉛筆を走らせる。数字が行儀よく並んで、一つの正しい答えに収まっていった。


「最後に、端数の繰り上げが銅貨二十枚。全部戻した今月の正しい額は、銀貨三枚と銅貨六十枚です。あなたの請求より、銀貨一枚と銅貨八十枚も多いんですよ」


「ぐ、う」


 集金人の額から、脂汗が滴った。私は書類を揃えてカウンターに置き、まっすぐ見据える。


「納得いただけないなら、今からギルドの査察窓口へ参りましょうか。問屋側の帳簿の全面監査を、公認筆耕人の名で要請します」


「ひっ! い、いや、結構だ! 帳簿係の打ち間違いだった! 次は正しいのを持ってくる!」


 集金人は請求書をひったくって、逃げるように飛び出していった。扉が乱暴に閉まる。真鍮の鈴が、悲鳴みたいに鳴り響いた。


 店に、しんとした静けさが戻った。




 嵐が去ったあと、カウンターの上に広げた伝票と、私とアルノだけが残った。


 アルノは扉をにらんだまま、しばらく動かなかった。それから大きく息を吐いて、太い腕で後頭部を乱暴に掻いた。


「……すまん。見苦しいところを見せた」


 低い、ひどく恐縮した声だった。あの体格と厳めしい顔つきの男が、肩を丸めて居心地悪そうにしている。さっきまでの圧が嘘のようで、少し可笑しかった。


「いいえ。口を挟んでしまって、申し訳ありません。お店の方の領分だったかもしれませんけど、あんまり理不尽でしたので」


「余計なことなものか。助かった。礼を言う」


 アルノは深く頭を下げた。それから、散らばった伝票を揃えようとして、また一枚を床に落としそうになり、苦い溜め息をついた。


「昔からこれだ。粉をこねて、火を焚いて、釜の温度を見るのは、身体が勝手に動く。だが、紙の上に数字を並べて帳尻を合わせるのは、どうにも頭が受けつけない」


 自嘲気味に曲がった口元を見て、私は目を細めた。誰にだって得手不得手はある。この人の手は、お腹を空かせた人のためにパンを焼く手だ。


「全部ひとりで抱え込まなくていいと思います。ああいう問屋は、記録を取っていない店だと見ると、少しずつ上乗せしてくるんです」


「今までも、何度かあった。おかしいとは思ったが、証拠を出せと言われると何も言えなくなって、結局払ってた」


 アルノは悔しそうに拳を握る。自分のパンには一切妥協しないのに、他人の悪巧みには無防備にだまされてしまう。不器用で、実直すぎる人だ。


 私は席に戻って、冷めたスープをすくって口に運んだ。少し冷えても、野菜と豚の旨味は変わらず優しい。皿のクロワッサンも、表面のバターが落ち着いて、焼きたてとは別の深い香ばしさになっていた。


 冷めたものは出さない、と彼は言った。けれど冷めたバターの味も、悪くない。


「アルノ様のパンは、誠実でおいしいです。だから、その代金を不当に取られるのは、私も我慢できません」


 微笑みかけると、アルノはカウンター越しにじっと私を見た。灰色の目から、さっきまでの困惑と気後れが消えている。代わりに、何かを決めた人の、まっすぐな光があった。


「……セリア」


 名前を呼ばれて、心臓が小さく跳ねた。彼が私の名前を呼んだのは、これが初めてだった。


 アルノはカウンターに両手をついて、少し身を乗り出した。言いにくそうに、でも目は逸らさなかった。


「さっき、筆耕の仕事をしてると言ったな」


「ええ。書類の作成や、帳簿の清書を請け負っています」


「その。お前さえ良ければ、でいいんだが」


 大きな男が、珍しく視線を泳がせる。それから腹を決めたように、私の目を真正面から見た。


「うちの店の帳簿を、俺の代わりに見てくれないか」


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