File.06 -side:しぐれ- 『閉ざされた扉と、疑心の闇』
まつりが消えてから、世界はすべての色彩を失ったかのように、濁ったモノクロームの世界へと変貌していた。
警察の捜索は、最初から深い暗礁に乗り上げていた。夜の港へと続く細い路地の防犯カメラには、深夜、誰かに操られるようにどこか不自然にぎこちない足取りで例の廃屋へと向かうまつりの姿が記録されていたという。しかし、彼女がその敷地に足を踏み入れた瞬間を最後に、その痕跡は完全に途絶えていた。まるで、次元の裂け目に直接呑み込まれてしまったかのように。
学校の教室は、底知れぬ重苦しい沈黙に支配されていた。私たちの間には、以前のような他愛のない冗談や弾むような笑い声は一欠片も残っていない。言葉に出せない不信感という名の冷たい澱みが、腐敗した根のように静かに広がっていた。
とりわけ、ういの精神状態は完全に限界を超えていた。
「もう嫌……嫌だよ……! 次は私かもしれないじゃん……!」
彼女が残したその悲鳴は、呪いのように耳元で反響し、私たちの心を縛り付ける。
まつりが消えた翌日から、ういは学校に来なくなった。ただの体調不良ではない。自室に閉じこもり、この世のすべて、そして私たちの存在そのものを拒絶し続けているらしかった。
これ以上仲間を失うわけにはいかない。そう強く祈るようにして、私とみと、ゆめの三人は放課後にういの自宅を訪ねた。
◇
静まり返った住宅街の一角。
緊張を押し殺しながら階段を上がり、二階にあるういの部屋の前に立った。鍵はかかっていない。ドアノブを回せば、いつでも中に入れる状態だった。
けれど、ドアの向こうから漏れ聞こえる荒い息遣いと、異様な怯えようが、私たちの足をすくませていた。
「うい、入るぞ……? 話をするだけでいいんだ。顔を見せてくれ」
みとが意を決して声を張り上げ、ドアノブに手をかけた。
しかし、その瞬間——耳を劈くような絶叫が上がった。
「入ってこないで!! 近づかないで……あっちに行って……!」
ドア越しに激しく響く叫び声に、みとの手がピタリと止まった。
「ういちゃん……私達だよ? ゆめだよ? お願い、ドアを開けて……」
ゆめが泣きそうな声で呼びかけるが、ういの混乱は収まらない。パニックに陥った声は、すでに理性を失っていた。
「来ないで! 何か知ってるんでしょ! だって……あの時、しぐれちゃんだけ平気な顔をしてたじゃん……!」
唐突に投げつけられた刃のような言葉に、私の心臓が痛みを伴って跳ね上がった。
「え……?」
「廃屋で……みんながまつりを探してる時……しぐれちゃんだけ、何か別の事を気にしてた……! 本当は何か知ってるんじゃないの……!? まつりちゃんが消えたのも……しぐれちゃんが何か隠してるからじゃないの……!?」
「違う! 私は何も隠してない……!」
弁解しようと、思わず一歩踏み出そうとした瞬間だった。ういの口から、何かを壊すような悲鳴が響き渡った。
「入ってこないで!! 私を見ないで!!」
ドアの隙間から伺える部屋の中は、昼間だというのに厚手のカーテンが完全に閉め切られ、外からの光を一切拒む漆黒の闇に包まれていた。
ういはその暗闇の底で小さく丸まり、開いているはずのドアの向こう側を必死に拒絶していた。その狂気に気圧され、私たちは足を踏み入れることがどうしてもできなかった。
「来ないで……誰も入ってこないで……! 見えなきゃいいんだ……目を閉じれば……見たくない……もう何も見たくないんだよ……!」
暗闇の底から漏れ出る、あまりにも悲痛な呟き。
自分が廃屋で何を見たのか、なぜ仲間から疑われるのか分からない恐怖。そして、大切な存在から「何か隠している」と疑われ、突き放される絶望。私の喉は完全に乾ききり、釈明の言葉すら一言も出てこなかった。
廊下の隅では、変わり果てた娘と混乱する私たちを前にして、どう接していいか分からず途方に暮れたういのお母さんが、膝を抱えて泣き崩れていた。
「……引き返そう」
みとが、苦痛に満ちた表情で呟いた。
「今無理やり入ったら、ういが何を言い出すか分からない……これ以上、あの子を追い詰めたくない」
私たちは、ドアノブに手をかけたまま力なく手を離した。
ドアを開けることすらできないまま、私たちはその場から引き下がるしかなかった。
——それが、私たちがういと生きた人間として、まともに言葉を交わした最後の機会になるとも知らずに。
◇
ういの家を後にした帰り道、足取りは鉛のように重かった。
空はどんよりと曇り、いつ雨が降ってもおかしくない湿った風が吹き抜ける。
翌日からも、学校は耐え難い苦痛の場所となっていた。
まつりが消え、ういが拒絶し、残された私とみと、ゆめの間にも目に見えない深い溝が刻まれていく。かつての温かな友情など影もなく、冷たい沈黙と互いに対する疑心暗鬼だけが漂っていた。
隣の空席、そしてういの空席を見るたびに、胸の奥が締め付けられる。
(私は……本当に何も知らなかったのだろうか……?)
ふと、あの日の記憶が蘇る。
廃屋の二階の窓。私だけが見た、あの血に染まった悪夢のような幻覚。
もしあの時、見たものをみんなに打ち明けていたら、違った結末があったのだろうか。いや、そんなことを言えば、それこそ私は「狂人」として隔離されていただろう。
放課後、誰もいない教室で一人机に突っ伏していた。
スマホの画面は真っ暗なまま。通知は来ない。グループチャットはもう動かない。
私たちが求めていたのは、ただの穏やかな日常だったはずだ。
転校生としての孤独を埋めてくれた、あの温かい笑顔たち。
それを取り戻したかっただけなのに、なぜこんなことになってしまったのか。
窓の外では、夕暮れの赤みが徐々に濁った闇へと溶けていく。
私は知っていた。この街の澱みは、まだ何も終わらせてはいない。
ういが怯えていた「暗闇」は、今も確実に、私たちの足元へと忍び寄っているのだ——。
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