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群青の嘘 ~港の廃屋と消えた少女~  作者: 空気人形


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File.04 -side:しぐれ- 『画面の底から這い寄る足音』

翌日。学校へ向かう路面電車は、いつものように潮の匂いと朝露の混ざった独特の空気に満ちていた。

ガタゴトと単調な金属音を立てて鉄路を揺らす車内で、私は何度も昨夜見た動画の光景を思い出しては、胸の奥底にある嫌なざわめきを必死に押し殺していた。車窓の外を流れる海の色は、どこまでも青いはずなのに、今朝のそれは底の見えない鉛色の水塊のように暗く淀んでいる。


教室は、いつもと変わらない活気に包まれているはずだった。しかし、自分の席に座った瞬間、日常の皮膜が音を立てて破れ始めていることに気づく。


「なんで消えないの……」


自分の席のほうで、まつりが小さく、しかし切羽詰まった声で呟いていた。

いつもなら「おはよー!」と満面の笑みで駆け寄ってくる彼女が、今日はボサボサの髪のまま、生気のないうつろな目でスマホの画面を睨みつけている。その指先が、いやに激しく震えていた。


「まつり……? どうしたの、朝から」


心配になって声をかけると、まつりは弾かれたように顔を上げた。その瞳に一瞬走ったのは、あからさまな怯えの色だった。私と目が合った瞬間、彼女はビクッと肩を大きく跳ねさせ、咄嗟に視線を逸らしたのだ。


(私を……怖がってる……?)


背中に冷たい汗が伝う。

あの廃屋の前で同じものを見てしまった私たち。誰も口には出さないけれど、あの日から何かが決定的に狂い始めていた。この街にやってきたばかりの私を温かく受け入れてくれた、大切な居場所。そこに生じた亀裂の予感に、喉がカラカラに乾く。

『私を怖がらないで、何もしていないから』と縋り付きたい。けれど、『もしかしたら、私の存在そのものが変なものを呼び寄せているのかもしれない』という得体の知れない恐怖が足を引っ張り、私は制服の裾を強く握りしめることしかできなかった。


授業の開始を告げるチャイムが、冷たく鳴り響く。


午前中の授業は、終わりなき苦行のようだった。

黒板に書き殴られるチョークの音も、教科書をめくる乾いた音も、すべてが深い海の底から響いてくるようにぼんやりとしか届かない。私の脳裏を支配しているのは、昨夜ベッドの上で見た「黒い影」の異様なうねりと、一度も目を合わせてくれなかったまつりの冷たい横顔だけだった。


私たちは、あの5秒間という罠によって、もうすっかり「こちら側」から引き剥がされてしまっているのではないか。そんな耐え難い予感が、時間を追うごとに膨れ上がっていく。


◇


昼休み。私たちは学校の中庭にある、ベンチに集まっていた。

周囲には緑豊かな植え込みが広がり、遠くには穏やかな港が見えるはずなのに、私たちの周りだけは氷点下に切り取られたかのように冷気が漂っていた。周りに他の生徒がいないことを確認すると、まつりは青ざめた顔でスマホを取り出し、震える手で突き出した。


「昨日の動画……消したはずなのに、どうしても消えないの」


まつりの声は、掠れて擦り切れていた。

「昨日みんなと別れたあと、家で確認したら、削除したはずの動画が勝手に復元されててさ……。びっくりして、ゴミ箱からもキャッシュも全部消した。なのに今朝起きたら、また画面に残ってて……! 何度消しても、消えてくれないの……!」


まくし立てるまつりの目の下には、恐怖で一睡もできなかったことを物語る濃いクマが刻まれていた。

みとは眉間に深いシワを寄せ、腕を組んだまま画面を覗き込む。ゆめとういも不安そうにまつりの服の裾を掴み、一歩引いた位置で固唾を飲んでいた。


「貸してみろ、まつり」


みとがスマホを受け取る。落ち着いたトーンを作ろうとしていたが、差し出された手のひらは微かにこわばっていた。


画面には、あの日撮影した動画が再生されている。

しかし——昨日確認した動画とは、あきらかに、そして圧倒的に様子が異なっていた。


動画の背景、誰もいないはずの廃屋の二階。

ぽっかりと開いた黒い窓の奥に——あの漆黒の女のシルエットが、はっきりと立っていた。


それだけではない。動画が再生されるたび、わずか数秒の映像の中で、その女の影がじわり、じわりと、関節を歪な音で曲げながらカメラのこちら側へ向かって歩み寄ってくる。窓枠から濡れた上半身が乗り出し、指先が画面のフチへと伸びてくるような、異常な変化が起きていた。


「うそ……っ、なんで……昨日より……」


ゆめが小さく悲鳴を上げ、へたり込みそうになる。ういは両手で耳を塞ぎ、「もうやめて……お願いだから……!」と半泣きで首を振った。


「近づいてるの……! 再生するたびに、あいつはどんどん窓から出てこようとしてるの……! 私のスマホから、這い出してきそうなの……!」


まつりが頭を抱えて叫ぶ。

画面から漂ってくるような焦げた肉の臭気と、湿った鉄錆の幻臭に、私たちは息を詰まらせた。


「落ち着け、まつり。周りに聞かれたら面倒だ」


みとは冷徹さを装っていたが、スマホを握る指先は白く強張っていた。彼女にとっても、この現象は理解の許容範囲を超えている。


「……初期化しよう。放課後、私が一緒にショップに行って見てもらう。それまで電源を切って、鞄の奥底に仕舞っておくんだ」


みとの判断に、まつりはすがるように頷いた。


「う、うん……わかった……そうする……」


電源が落ち、画面が黒く沈む。まつりはそれを怯えた手つきで鞄の奥深くへ押し込んだ。


けれど、電子機器の初期化などで、あの窓から覗いていた「何か」との繋がりが断ち切れるわけがない。私の胸の底では、冷たい泥のような不吉な予感が、ぐにゃりと形を変えて渦巻いていた。


その日の残りの時間、学校を包む空気はどこか狂っていた。

廊下をすれ違うクラスメイトたちの視線が、私やまつりを遠巻きに観察しているように感じる。伝染病の患者を見るかのような冷たい警戒心が、肌に痛く刺さった。


誰もが言葉にしない。けれど、足元にはすでに黒い泥が満ちてきていた。


放課後のチャイムが鳴り響く。

その金属音は、私たちの首を絞める絞首刑の鐘のように、重く、冷たく、放課後を切り裂いていった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

『群青の嘘 ~港の廃屋と消えた少女~』いかがでしたでしょうか?


本日は連続5話公開(21時から10分ごとに1話ずつ追加)、以後毎日21時に1話ずつ更新していく予定です。


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