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群青の嘘 ~港の廃屋と消えた少女~  作者: 空気人形


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File.02 -side:しぐれ-『明滅する画面と沈黙の誓い』

ファミレスを後にした私たちの背後には、すっかり冷え切った夜の闇が広がっていた。

自動ドアが閉まる乾いた音が、やけに大きく耳に残る。


「じゃあ、また明日ね!」


まつりがいつもの高めの声を上げて手を振る。けれど、街灯のオレンジ色に照らされた横顔はどことなく硬く、まるで見えない糸で操られる人形のようにぎこちなかった。気のせいだと思いたかった。あんなに美味しかったはずのポテトの油が、夏の湿った夜気と相まって、胃のあたりで重く冷たく固まっている。


「うん、また明日。気をつけて帰ってね」


私も負けじと笑顔を作り、ぎこちなく手を振り返した。

みとも、ゆめも、ういも、それぞれ小さく手を上げると、まるでこれ以上一緒にいると何か取り返しのつかない秘密がこぼれ落ちてしまうのを恐れるように、足早に散っていく。誰も「今日のあのこと」を口にしない。口にすれば、いま保っている脆い均衡が粉々に砕け散ってしまうことを、全員が本能で察知していた。


静まり返った夜の住宅街。夏のむっとした湿気の中、遠くで聞こえるはずの波音が、今夜は獲物を探す獣の足音のように低く、不気味に耳の奥へとしがみついてくる。


電柱の街灯にジジジと細いノイズを立てて群がる虫たちの羽音。

後ろを振り返る。誰もいない。路面電車の線路もすでに静まり返り、冷たい鉄のレールが闇夜に鈍く光っているだけだ。なのに、背後から誰かが湿ったアスファルトをひたひたとかかとを鳴らしてついてきているような、言い知れぬ気配が離れない。


自分の足音だけが不自然なほど大きく響いていた。

早足になりたい衝動を抑え、鍵穴に汗ばんだ指先を差し込んで、ようやくの思いで自分の部屋へと滑り込んだ。


パチリと部屋の明かりをつけても、肌にまとわりつく嫌な汗と震えは収まらなかった。

制服のままベッドの上に腰を下ろす。目を閉じると、あの廃屋の二階、黒々とした窓の奥で見た「血の海」の光景がまぶたの裏に蘇る。冷たくなった4人の友人たち。その中心で一人だけ立ち尽くしていた私の姿。


――あれは、本当にただの幻覚だったのだろうか?

もし私だけでなく、あそこにいた全員が同じものを見ていたとしたら?


「……考えすぎだ。ただの、くだらない都市伝説のせいで、疲れてるだけ……」


小声で自分に言い聞かせる。

父の転勤で友達もいないままこの街に流れ着いた私に、まつりは最初に声をかけてくれた。ゆめの冗談に笑い、みとの優しさに救われ、ういの怯えに寄り添った。あの温かな居場所がなければ、私はきっと今でも殻に閉じこもったまま息を潜めていたはずだ。


だからこそ、失うわけにはいかない。

あんな気味の悪い幻覚のせいで、この大切でかけがえのない日常を手放すなんて絶対に嫌だ。

何もなかったことにするんだ。みんなもきっと、そうやってあの恐怖を心の奥底に押し込んでいる——。


そう自分に言い聞かせた、まさにその時だった。


枕元のスマホが、突如として激しく震えだした。

静まり返った夜の部屋に響く、電子のバイブレーション。眠っていた何かを無理やり叩き起こすような不吉な警報だった。


「っ……!」


反射的に体が跳ねる。

画面を見下ろすと、グループチャットにまつりからの新しいメッセージが届いていた。

添付されていたのは、あの廃屋の前で撮影した「5秒間チャレンジ」の動画ファイルだった。


唾を飲み込み、震える指で再生ボタンをタップする。


画面の中に、夏の夕暮れの風景が映し出される。

潮風に揺れる雑草、剥げかけた木造建築、そしてカメラに向かって「はい、スタート!」と無邪気に笑う楽しげな5人の私達。


何もおかしなところはない。

ふざけ合って笑い合う、何気ない青春の一コマ。


(ほら、やっぱり何とも……)


安堵のため息をつきかけた、その瞬間だった。動画が終わる直前。

画面の端——あの二階の、ぽっかりと口を開けた黒い窓枠の最奥。

そこに、最初はそこになかったはずの「何か」が、ぼんやりと浮かび上がっていた。


それは、人の形をした黒い影だった。

関節が異常な方向にねじ曲がった姿勢で、窓枠にしがみつくようにして、画面のこちら側——つまりスマホを見つめている「私」を、じっと見下ろしている。


そして——その影の顔の部分が、メリメリと音を立てるような角度で、ゆっくりとこちらを向いた。


「ひっ……!」


私は思わず悲鳴を漏らし、スマホを床へ投げつけた。

カタンと鈍い音がして、液晶画面が冷たい床の上でむなしく光を放っている。


震える手でスマホを拾い上げると、恐怖に駆られるまま電源を完全に落とし、視界に入らないよう鞄の底へと押し込んだ。


音のない暗闇の部屋に、遠くの波音だけが低く響いていた。

冷や汗が背中を伝い、夏の夜の熱気とは違う凍てつくような寒気が肌を粟立たせる。

動画に写っていたのは、ただの光の反射などではない。あれは確実に「あちら側」の何かが、私たちの日常に爪を立てて割り込んできた証拠だ。


呪いなんて嘘だという理性が、音を立てて崩れ去っていく。

私たちはあの5秒間で、開けてはならない「扉」を開けてしまったのだ。


「どうしよう……みんなに、言ったほうがいいのかな……」


震える体を抱え、ベッドの隅で小さく丸まった。

もしこれをみんなに伝えたらどうなるだろう。

「何言ってるの、そんなの映ってないよ」と笑われるだろうか。それとも、みんなも同じ恐怖に怯えていて、触れた瞬間に私達の日常がガラガラと崩壊してしまうのだろうか。


「……言わないでおこう」


震える声で、私は誰にともなく呟いた。

ようやく手に入れた私の居場所。

それを守るためには、もう二度とあの窓のことも、今日の動画のことも、口にしてはいけない。

みんなが「何でもなかった」フリをし続ける限り、私もそれにしがみついて、何事もなかったかのように笑い続けなければならないのだ。


それが、私たちの日常を守るための唯一のルールなのだと、その時の私は信じ込んでいた。


——それが、自分たちの首を締めるロープを、より強く結び直している行為だとも知らずに。


生温い夜風に沈む部屋の中。

電源を落としたはずのスマホの画面が、なぜか微かに、青白い明滅を繰り返していた。

『群青の嘘 ~港の廃屋と消えた少女~』をお読みいただきありがとうございます!

毎日21時に更新しておりますので、明日もぜひお越しください。


また、別作品の1分で読めるショートホラー『隙間奇談 ~日常の「すきま」に潜む、奇妙な短編集~』も連載中です。


『群青の嘘』とは一味違う、サクッと読めるホラーとなっておりますので、こちらもあわせてお楽しみいただけたら幸いです!



▼『隙間奇談』はこちらから

https://ncode.syosetu.com/n5264mo/


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