File.EX -side:うい-『憂い(うい)の闇に溺れて』
まつりちゃんがいなくなった。
信じられない。信じたくない。でも、現実の教室を見回しても、彼女が座っていた席はただの空っぽの空間になっていて、そこには冷たい空気だけが残されていた。
なんで? なんでこんなことになってしまったんだろう。
あの時、ゆめちゃんにあんな不気味な廃屋へ行こうなんて言い出さなければ……まつりちゃんにあんな動画さえ回させなければ……!
あの日、私は嫌だと言った。あんな得体の知れない場所に行くのは絶対に嫌だと、何度も、何度も拒絶したはずだった。
なのに、消えたのはまつりちゃんで——あの日から、私の頭からは一瞬たりとも離れない、おぞましい光景があった。
肝試しの廃屋。あの暗い空間の中で、みんながまつりを探してパニックになっていた時、私にだけ見えてしまったものがあった。
みんなの真ん中にぽつんと立って、冷たく、ねっとりとした笑みを浮かべていた「あれ」。
もしかしたら、あの時わたしがもっと強く止めていれば。もしかしたら、わたしのせいでまつりはあんな目に遭ったんじゃないのだろうか……?
そんな恐ろしい推測、絶対に口に出せるわけがなかった。私が犯人だと疑われるのが怖くて、自分が狂ってしまうのが怖くて、私はその記憶を必死に心の奥底に押し込めようとした。
◇
もうダメだ。誰の顔も見たくない。誰の声も聞きたくない。
私は自室に戻ると分厚い遮光カーテンを隙間なく閉ざし、明かりを消して、漆黒の闇の中に膝を抱えてうずくまった。
「どうしたの、ういちゃん……? 学校も休んで、ご飯も食べてないじゃない……」
心配したお母さんが、何度もドア越しに声をかけてくれる。
本当は縋りたい。全部話して楽になりたい。でも、「わたしがみんなを殺す夢を見た」「まつりを殺したのは私かもしれない」なんて口が裂けても言えなかった。言えばすべてが現実になり、家族からも見放される——そんな恐怖が私を縛り付けていた。
スマホが、静寂を切り裂くようにピコンと鳴る。
心臓が跳ね上がり、冷たい汗が背中を伝う。画面なんて見たくない。恐ろしくて直視すらできない。
だって、画面を見なくても分かってしまうから。閉め切った部屋の扉の向こうから、そして暗闇の隅から、あの真っ黒な女の影がじっとこちらを見据えているのが、肌の感触で分かってしまうから。
(怖い……こっちに来ないで……! 私をひとりにしてよ……!)
外から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。みとやゆめたちの声だ。
みんなが心配して来てくれたのは痛いほど分かる。でも、ダメだ。ドアを開けたら、みんなにもあの「女」が見えてしまうかもしれない。引き返して、お願いだから私を一人にして——!
「うい、入るぞ……? 話をするだけでいいんだ。顔を見せてくれ」
みとがドアノブに手をかける。その瞬間、私は理性を失って絶叫した。
「入ってこないで!! 近づかないでよ……!」
ドア越しに響いた私の鬼気迫る叫び声に、みとの手はピタリと止まった。
「ういちゃん……私達だよ? ゆめだよ? お願い、ドアを開けて……!」
ゆめが泣きそうな声で必死に呼びかけてくれるのに、私の頭の中は恐怖と疑念でぐにゃぐにゃに歪んでいた。
「来ないで……! あなたたち、何か知ってるんでしょ!? だって……あの時、しぐれちゃんだけがあの場所で、妙に平気な顔をしてたじゃん……!」
自分の口から飛び出した言葉にぞっとした。でも、誰かを疑わなければ、誰かのせいにしなければ、私は自分の正気を保てなかったのだ。
私の狂ったような絶望的な絶叫に、ドアの外してみとたちは踏み込むことができず、ただ途方に暮れて引き返していった。
これでよかったんだ。誰も巻き込みたくない。これ以上みんなを呪いに引きずり込みたくない。
それが正解だったはずなのに——部屋の隅にいる女の影は、前よりも一歩、また一歩と少しずつ近づいてくる。私が彼女たちを拒絶したことで、その影はさらに濃く、黒く、私を覆い尽くそうとしていた。
嫌だ、嫌だ、嫌だ……こんなの、耐えられない……!
見えなければいいんだ。こんな気味の悪い化け物、最初から何も見えなければ、こんなに怖いはずがない。
そうだ、目を潰しちゃえばいいんだ。この視界さえ奪ってしまえば、もうあんなものを見なくてすむ——!
私は狂ったように机の引き出しからハサミを掴み取り、震える手でそれを自分の目に突き立てた。
「痛いっ……!!」
熱い血が、生温かい感触とともに頬を伝う。これで、もう二度とあんな気味の悪いものは見えないはずなのに。
なのに——。
なんで……なんでまだそこに立っているの!? 消えない、消えないよ! 痛い、痛い、痛いよ……!
視界が真っ赤に染まる中で叫び声を上げ、分厚い毛布を頭から被ってベッドの隅に丸まった。
でも、毛布を突き抜けて、凍てつくような冷たい気配がすぐ背中までぴったりと迫ってくる。
怖い、怖い、怖い! 誰か助けて! みと、助けてよ……!
みんな、ごめんね。ごめんね……!
頭がだんだんぼんやりとしてきた。
自分の体が、ドロドロとした底なしの黒い水の中に、ゆっくりと沈んでいくみたいに重い。
あぁ、そうだ。私、ひどいこと言っちゃったんだ。
しぐれちゃんが何か隠しているなんて疑って、あの子は何も悪くなかったのに。ただ私が怖くて、誰かのせいにしたくて、あんな最低な疑い方をして……。
しぐれちゃん、ごめんね。
ちゃんと謝らなきゃ。こんな最悪な形で、みんなとお別れなんて嫌だよ。
戻りたいよ……あの廃屋に行く前のみんなで笑い合っていた、あたたかいあの頃に。
私は最後の力を振り絞り、震える指でグループチャットを開いた。
謝らなきゃ……その一心で画面を叩く。
『ごめんなさい』
真っ赤に染まった視界で打った、たった一言のメッセージ。
それを送信した瞬間、私の意志とは無関係に、勝手に1枚の画像が私のアカウントからグループチャットへ送信された。
自分の部屋の隅で、血にまみれながら膝を抱えて丸まっている私の後ろ姿。
その視線の先、閉め切ったカーテンの隙間から差し込む街灯の冷たい光と同化するように、あの真っ黒な女の影が直立し、ぞっとするほど長い細い手を伸ばして、私の傷ついた目に、そっと触れようとしていた。
『うい!! 逃げろ!!』
スマホが激しく震え、みとの絶叫するようなメッセージが飛び込んでくる。
『今すぐ部屋から出ろ!! うい、頼むから……!!』
続けざまにしぐれからのコールが鳴り響く。私は反射的に、震える手でカチャリと通話ボタンを押した。
「ういちゃん!? 頼むから逃げて! 今すぐその部屋を出て——」
スピーカーの向こうから聞こえる、しぐれの必死な声。
私は、冷たくなった手でスマホを耳に押し当て、掠れた小さな声でつぶやいた。
『……痛いよ』
『……あいつが来たの……だから……見ないように……見たくなくて……目を……したのに……まだ見えるの……痛いよ……っ』
「ういちゃん!? いったい何をしたの……!?」
『……しぐれちゃん……私……怖かったんだ……ごめんね……っ』
視界が完全に真っ黒な闇に塗りつぶされていく。
背中と目に触れた冷たい指先が、私の存在のすべてをこの世界から削り取っていくのが分かった。
みんな、ごめんね……。
さようなら……。
『群青の嘘 ~港の廃屋と消えた少女~』EXエピソード【うい編】をお読みいただきありがとうございます。
本編のあと、少しだけ覗き見た少女たちの裏側や日常、いかがでしたでしょうか。
廃屋を巡る夏の悲劇から始まり、本編、そしてこのEXに至るまで長くお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
彼女たちの物語がどこへ向かうのか、最後の一幕までぜひ見届けていただければ幸いです。
もし「この物語に出会えてよかった」「最後まで楽しかった」と思っていただけましたら、ぜひ画面下の【ブックマーク登録】や、評価【⭐⭐⭐⭐⭐】をポチッと残していただけると、この物語がずっと心に残る宝物になります……!
感想や、「ここが好きだった」「あのあとどうなったの!?」といったコメントなども、ぜひ自由に書いていってくだされば幸いです。




