File.12 -side:しぐれ-『半焼の灰、ふたりの呪縛』
まつり、うい、ゆめ、そしてみと。
真相も理由も分からないまま、恐怖に呑み込まれて打ち明けるのが遅れ、消えてしまった全員。
なんでこうなってしまったのだろう。ただ仲間と楽しく過ごしていただけなのに。ちょっとした噂や、あの廃屋への好奇心に心を引きずられてしまったばかりに……。
静まり返った家の中で、私はただ一人、膝を抱えて暗い床に座り込んでいた。
廊下の隅。タンスの陰。夜の静けさを映す冷たい窓ガラス。
そのあらゆる暗がりから、あの生臭い潮の匂いとともに、あの真っ黒な女の影がじわり、じわりと滲み出してくる。
『……生き残ってくれ、しぐれーーッ!!』
耳の奥で、みとが消え際に叫んだ切痛な声が、まるで呪文のように何度も何度もリフレインしていた。
(生きて……? 私一人だけで……これからどうやって生きていけばいいの……?)
明日、学校へ行けば、最初から私一人だったかのように誰もが何食わぬ顔で振る舞うのだろう。
写真からも、学校のアルバムからも、私の記憶の底の思い出のどこにも、まつりも、ういも、ゆめも、みとも存在しないことになってしまう。
私だけが彼女たちの温もりを覚えていて、私だけが『秘密』という残酷な十字架を背負わされて、永遠に追いたてられるように生きていく。
そんなの、生きていると言えるのだろうか。それは生存ではなく、終わりなき拷問でしかなかった。
「私……誰も助けられなかった……」
最初から本当のことを打ち明けていれば。
みとが一人で抱え込んでしまう前に、もっと強く手を引いていれば。
みんなを守るどころか、私だけが生臭い生き残りとして逃げ延び、みんなの存在がこの世界から削り取られていくのをただ指をくわえて見ていることしかできなかった。
胸を押し潰すような激しい後悔と、底なしの絶望が、私の心を完全に粉々に打ち砕いた。
「……終わらせなきゃ。この場所も、この呪いも……全部、私が終わらせるんだ」
私は固く口を結ぶと、みとの家のガレージにあった灯油の缶とライターを手に取り、冷たい雨の降る夜の闇の中へ飛び出した。
向かったのは——あの、すべての元凶である港の廃屋。
雨に濡れた黒い木造の屋敷が、暗闇の中で巨大な獣のように息をひそめて佇んでいた。
ギギ……と、凍てつくような軋む音を立てて錆びたドアを押し開き、中に足を踏み入れる。
鼻を突くカビと潮の臭い。あの日、私たちが好奇心から足を踏み入れ、すべての恐怖の歯車が狂い出した忌まわしい場所。
私はためらうことなく、持ち込んだ灯油を荒れた廊下に、柱に、そしてあの日みんなで恐怖に震えながら立ち尽くした部屋の中央へと撒き散らした。
強烈な油の匂いが、閉め切られた部屋の空気を満たしていく。
その時、ポケットの中でスマホが小さく、しかし鋭く震えた。
見たくないと拒絶する脳を無視して画面を見ると、呪われたグループチャットに、新しい1枚の画像が自動で届いていた。
暗闇の中、灯油を撒いている私のすぐ後ろに、あの真っ黒な女の影が直立し、ぞっとするほど長い細い手を、私の首筋へとまるで愛おしむように伸ばしている写真だった。
「……もう、遅いよ。みんな……見ていて……」
私は振り向きもせず、乾いた声でポツリと呟いた。
カチ、とライターの火を点ける。
小さなオレンジ色の炎が、漆黒の闇の中で不気味に揺らめいた。
「みんな……ごめんね。私もすぐに行くから……」
私は火のついたライターを、床の灯油へと落とした。
ボッ……!!
一瞬で轟音とともに激しい炎が燃え上がり、剥き出しの壁や古い柱を一気に駆け上がっていく。
凄まじい熱気と黒煙が狭い部屋を満たし、乾燥した木材がパチパチと悲鳴を上げて弾けた。
燃え盛る炎と熱気の中で、私のすぐ後ろからぬらりと伸びてきた黒い腕が、冷たく、しかし優しく私を抱きすくめてくる。
(あぁ……これで、私もみんなのところへ行ける……また、みんなと一緒に……)
そう思って、私はすべての苦しみから逃れるように目を閉じた。
——その時だった。
どさりと、雨を吸い重くなった古い天井が崩れ落ち、外から冷たい雨が激しく部屋の中へと吹き込んできた。
さらに、床に広がっていた灯油が激しく燃え尽きると同時に、窓の隙間から吹き込んだ強い潮風が、一気に炎を吹き消していく。
炎は廃屋全体を全焼させるには至らず、柱や床を黒く焦がしただけで、あまりにもあっけなく鎮火してしまったのだ。
「え……?」
もうもうと立ちこめていた黒煙が薄れていく室内。
半焼し、黒く煤けただけの廃屋の中に、再び不気味な静寂が戻る。
ふと、自分の背後にあったはずの「あの冷たい気配」が、ピタリと消えていることに気づいた。
おそるおそる振り返る。そこには、もうあの真っ黒な女の姿はどこにもなかった。
恐れおののきながら、自分の身体を両手でまさぐるように触れる。
激しい煙を吸ったはずなのに肺は痛まず、炎に包まれたはずの肌には、一筋の火傷すら残っていなかった。震える手でポケットからスマホを取り出すと、画面は嘘のように正常に点灯し、外への電波もしっかりと立っていた。
「……え……? 消えた……?」
心臓が激しく、狂ったように脈打つ。
私は絶望の果てにここで全てを終わらせ、みんなのところへ逝くつもりだった。それなのに、火は無情にも消え、私の命だけが奇跡的に助かってしまった。
「うそ……どうして……? なんで私だけ……」
生き残りたいなんて、これっぽっちも思っていなかった。
みんながいない世界で一人だけ取り残され、この呪いの秘密を抱えたまま生き続けるなんて、そんな罰ゲームのような現実から逃げ出したかっただけなのに。神様は私に死すら許してくれないのかと、胸が張り裂けそうな絶望感が押し寄せる。
「……っ、もう、こんなところにいられない……帰らなきゃ……!」
足元をフラフラとさせながら、崩れかけた廃屋の出口へと足を向けようとした、その時——。
私の足が、ピタリと止まった。
古びた床の間に映る、私自身の影。
その輪郭が、ありえないほどに不自然で、おぞましいまでに細長く、ぐにゃりと歪んでいた。
「……え?」
震える手で、自分の顔や首筋に触れる。
生きている人間が持つべき温かいはずの皮膚の感触が、そこにはまったくなかった。あるのは、凍てつくような冷たさと、ねっとりと湿った異質な気配だけだった。
違う。
私は助かったのではない。
あの女が消えたのではない。
私を飲み込もうとした呪いは消え失せたのではなく、私がその呪いそのものにすり替わってしまったのだ。
すべてを終わらせて仲間たちのところへ行くことすら拒絶され、私はこの廃屋に縛り付けられる「次の主」として、永遠に固定されてしまったのだった。
「あ……あぁ……っ!」
声を上げようと必死に喉を震わせたが、そこから漏れたのは自分のものではない、湿った低い、底なしの声だけだった。
カチャリ、と床に落ちていたスマホが勝手に起動した。
レンズの青白い光が妖しく点滅し、私の意志とは完全に無関係に、カシャリ、と見覚えのある不気味なシャッター音が鳴り響く。
グループチャットの画面が勝手に開き、新しい写真が自動で送信されていく。
そこに映っていたのは——半焼した部屋の真ん中で、虚ろな目でこちらを見つめる私の後ろ姿。そして、私の足元から湧き出した黒い影の手が、スマホの画面を突き破るように、次の犠牲者を招くべくゆっくりと蠢いていた。
『……怖がらないで……すぐ、迎えに行くから……』
雨の降る、寂れた港町。
私はもう、二度と人間としてあの場所から帰ることはできない。
すべてを終わらせたかったはずの私は、半焼した廃屋の中で新たな「あの女」となり、静かに次の訪問者がやってくるのを、暗闇のなかで待ち続けている——。
『群青の嘘 ~港の廃屋と消えた少女~』をお読みいただきありがとうございます!
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また、別作品の1分で読めるショートホラー『隙間奇談 ~日常の「すきま」に潜む、奇妙な短編集~』も連載中です。
『群青の嘘』とは一味違う、サクッと読めるホラーとなっておりますので、こちらもあわせてお楽しみいただけたら幸いです!
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