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西郷隆盛が江戸総攻撃を強行したので、勝は江戸を焼き払い、最後の将軍とイギリスへ亡命します  作者: ローナ


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3/6

駿府の決裂

山岡鉄舟が江戸へ舞い戻ったのは、総攻撃指定日のわずか五日前、三月十日の夜のことであった。


馬を三頭乗り潰し、東海道を文字通り死に物狂いで駆け抜けた鉄舟は、勝海舟の官邸へ滑り込むと同時に、その場へ崩れ落ちた。泥と汗、そして馬の返り血で黒く汚れた体を震わせ、鉄舟は出迎えた勝の袴の裾を掴む。


「……勝先生、申し訳、ございませぬ……!」

「落ち着け、鉄舟。まずは水を飲め」


勝は表情一つ変えず、懐から手拭いを出して鉄舟の泥まみれの顔を拭った。だが、勝の指先は微かに震えている。鉄舟のその姿だけで、駿府で行われた談判の結果がどのようなものであったか、察するに余りあったからだ。


鉄舟は差し出された白湯を一気に飲み干すと、喉を鳴らしながら言った。


「西郷は……西郷吉之助は、鬼に成り果てておりました。上様の恭順など、端から信じる気はございませぬ。徳川の息根を止めねば新しき国は開けぬと、そう言い放ちました。三月十五日、百万の江戸市民もろとも、大砲で叩き潰す構えにございます!」


室内に、重苦しい沈黙が降りた。

勝はゆっくりと立ち上がり、腕を組んで窓の外を見つめた。江戸の夜は、嵐の前の静けさのように暗く、冷たい。


「そうかい。あの西郷サイゴどんが、そこまで腹をくくっちまったかい」

勝の口調は、驚くほど淡々としていた。しかし、その目は冷徹な職人のそれへと変わっていく。

「大久保や長州の狐どもに後ろから突っつかれたか、それとも最初からその気だったか……。まあ、いいさ。理屈が通じねえなら、こっちも役者を変えなきゃならねえ」


勝は机の引き出しから、一通の密書を取り出した。表書きには、流麗な英語の文字が踊っている。


「鉄舟、よく休め。おめえの命がけの報せのおかげで、俺も完全に踏ん切りがついた。これより俺は、横浜へ向かう」


「横浜……? 英国公使館にございますか」


「ああ。ハリー・パークスって国籍不明の化け物に、極上の『日本の手土産』を売りにいくのさ」


勝はそれだけ言い残すと、夜闇に紛れて官邸を後にした。西郷が引かぬのなら、歴史を力ずくでねじ曲げるしかない。勝の頭脳は、すでに「江戸を焼いた後の盤面」へと向かっていた。


翌々日、三月十二日。横浜の英国公使館。


暖炉の火が赤々と燃える応接室で、英国公使ハリー・パークスは、運ばれてきた紅茶の湯気の向こうから、目の前の小柄な日本人の男を値踏みするように見つめていた。

勝の横には、通訳であり、勝の良き理解者でもあるアーネスト・サトウが緊張した面持ちで控えている。


「カツ、君の言いたいことは分かった」

パークスはパイプを燻らせ、尊大な態度で椅子に深く寄りかかった。

「だが、我が大英帝国はすでに新政府を日本の正統な権力と認めつつある。今さら敗色濃厚な徳川の、しかも寛永寺に籠っている老人に手を差し伸べるメリットがどこにある?」


勝は不敵に笑い、サトウを介さず、不器用な英語と鋭い日本語を交えて真っ直ぐに言い返した。


「パークスさん、あんた商売人だろう。薩長が江戸に入って大砲をぶっ放せば、この横浜の居留地だってタダじゃ済まねえ。それに、江戸の町が灰になれば、英国がこれまで幕府と結んできた生糸や茶の商売はすべてパーだ。おまけに、大人しくなった幕府の隙を突いて、フランスのロッシュが何を企むか分かったもんじゃねえ」


パークスの眉が、フランスの名が出た瞬間にピクリと動いた。当時の世界情勢において、英国とフランスの覇権争いは一触即発の局面にあった。


勝はその隙を逃さない。畳みかけるように声を低くした。


「俺は十五日に江戸を焼く。西郷の足場を奪うために、百万の街をな。だが、ただ燃やすんじゃねえ。徳川慶喜という、世界が認めた『日ノ本の前元首』の身柄を、あんたの国の軍艦で保護してほしいのさ。万国公法ってやつだろう? 朝敵だろうが何だろうが、異国の船に逃げ込んじまえば、西郷だって手は出せねえ」


「……ロンドンへ亡命させる、というのか」

サトウが息を呑み、パークスに視線を送った。


パークスはパイプを机に置くと、獰猛な肉食獣のような笑みを浮かべた。

「面白い。徳川慶喜がロンドンに生き延びていれば、それは将来、新政府が我が国の言うことを聞かなくなった時の、最高の『首輪』になる。万国公法上も、亡命政府の受け入れは拒む理由がない」


パークスは立ち上がり、勝に右手を差し出した。

「品川沖に、我が国の最新鋭巡洋艦『アイロンジック号』を待機させる。十五日の夜、火の手が上がると同時に、徳川慶喜を船に乗せろ。……ただしカツ、これは大英帝国の公式な軍事介入ではない。サツマの銃弾に当たって死んでも、文句は言わないことだ」


「へっ、上等だ。お互い、タヌキの化かし合いってわけだ」


勝はパークスの手を力強く握り返した。

ついに、最後の将軍を異国へ逃がす「密約」が成立した。しかしそれは、日本が欧州列強の代理戦争の舞台へと引きずり込まれる、危険すぎる引き金でもあった。


(第4話へ続く)

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