29話 世界が壊れた日
互いに見つめ合いながら、僕が言う。
「この世界はループしてないんだ。時間は一方通行なんだ。それは、朽木静香が証明している。彼女は過去から未来にきた。なに食わぬ顔をしてね。しっかり大人になっていたから時間は進んでいる。それと同じことを朝霧くんはしたんだ。彼はこの世界にやって来て、僕たちの世界を書き換えた」
と、そこまで言ってから考え直した。
「違う、自分の理想を上書きしたんだ」
「上書き? 世界を?」
「うん。この世界をすべて、自分の都合のいいように上書きして、未来の自分の名前まで変えて」
彼は完璧に成し遂げた。
はずだった。
「それでも、イレギュラーは起きた」
「大晦日、太郎は私の言いつけを守らなかった」
「正解。未来が微妙にズレ始めた。繰り返す斎藤先生が居たり、居ないはずの藤井先生が現れたり、記憶をなくした笠井ばあちゃんだったり。世界は、少しずつズレ始めたんだ」
彼女はふっと息を吐き、ソファにへたり込んだ。
あるべき前提が間違えていたんだ。
すべての前提が。
疲れるのも無理はない。
説明している僕ですら、息苦しいのだから。
「結局、私は? 私は朽木琴音なの? それとも笠井淳子?」
「これは僕の完全な憶測、というか僕なら、こうすると思う」
そう言って、ノートを見た。
1989年 笠井淳子 鋼鉄の爪切り(リスポーン)
1993年 奇数の四周期 赤の爪切り 過去
1997年 〃 白の爪切り 現在
2002年 偶数の四周期 加藤健太
2006年 〃 木村朱里
2012年 〃 前川結衣
2016年 〃 山田紗倉
2022年 偶数の四周期 朝霧めぐみ 金属の爪切り 未来
(真鍮の爪切り)
2023年 継承 朽木静香
2024年 継承 朽木琴音
2025年 継承 〃
2026年 偶数の四周期 相沢太郎
「彼は——朝霧くんは、朽木静香に継承し、そして未来の爪切りを使った。ここまではいいよね?」
「うん」
「そして、朽木琴音に引き継ぐはずが、静香は未来に行ってしまった。継承が途切れることになる。それを恐れた彼は、繰り返す世界の住人——笠井淳子を朽木琴音に、入れ替えた。ううん、違う。笠井淳子を救ったのかもしれない」
「救った? わたしを?」
「きっと、世界のズレは直せないんだと思う。だとしたら継承は終わる、そんな未来しか見えなかったのかもしれない。それでも、笠井淳子は繰り返す。1−B組の中だけで。他は変化するのに、笠井淳子だけはこの閉じた世界の中で生き続ける。それが、耐えられなかったんだと思う。あいつは、そういう奴だから」
僕だったらと思うと、答えはこれしかないような気がした。
「……うん」
「彼は、この世界を上書きして、この世界の中で、笠井淳子は生きて欲しかった。それが、彼の望む、君の幸せだと思ったんじゃないかな」
彼女は何も言わなかった。
僕が言った言葉の意味と重み。
複雑に絡み合う、感情の連鎖。
軽い話じゃない。
「わかった……。私はそれでも……何もできない」
「それで良いんだよ、淳子さんは何もしなくても」
「うん。ありがとう……」
感謝の言葉。
彼に言ったのか、それとも僕なのか。
「今の君は、おそらく朽木琴音だと思う。本当は、笠井淳子として、僕に接するはずだった。朽木静香から継承されるのは、琴音ではなく、淳子にしたかった。でも、何かが変わった。それは僕のせいなのか、他の要因かは知らない。ただ記憶の上書きをして、この世界に君を送り出した」
「わかった」
「ううん。全然、わかってないね」
僕の言葉に、彼女は顔を上げる。
否定の言葉。
彼女の視線が僕を射抜く。
「なにが分かってないって言うのよ! ちゃんと聞いて理解したわよ」
「じゃあ、質問。本当の朽木琴音はどこに行ったでしょう」
「え?」
彼女はポカンと口を開けた。
目まぐるしく表情を変える彼女を見ていると、随分変わったな、と思う。
これも世界がズレたせいなのか。
そもそも、彼女の性格だったのか。
女性は、この謎より深い気がする。




