16話 過去、未来、そして過去
団地に戻ってきた。
ダイニングのソファで天井を仰ぎ見る。
目をつぶれば、今日の出来事がスロー再生される。
ただ、それだけ。
何の考えも浮かばない。
諦めて、風呂に入ろうと体を起こしたときだった。
リビングの奥から、グレーのスウェットの上下に着替えた笠井淳子がやってきた。
手には一冊のノート。
そういえば、彼女が実家に帰って、同じようなノートを持ってかえってきていた。
「ちょっといい?」
前髪の奥にある二重瞼が、瞬く。
風呂は後回しにして、話を聞くことにした。
「うん、いいよ」
テーブルを回り込み、僕の隣に座る。
パーソナルスペースは、ない。
肘を伸ばせば当たる距離。
ノートに挟んであったシャーペンと消しゴムを取ると、そこには数字と名前が書いてあった。
「これって、僕が書いたやつ」
あの世界で、僕が謎解きに使った際に、書き込んだものだ。
「そうだよ。あのとき話さなかったことを言っておこうと思って」
彼女は、ページをぐっと押さえ、勝手に閉じないようにしてから話し始めた。
「未来の爪切りの話なんだけど、相沢くんが解いた話とは、ちょっと違うの」
シャーペンをノックして、年代の横に、何かを書き込んだ。
手元が邪魔で見えなかったが、彼女が顔を上げるとすぐ分かった。
以前僕が書いた表に、新たな文字が付け加えられていた。
1990年代 (1989笠井淳子)
2000年代 2002 加藤健太 2006 木村朱里
2010年代 2012 前川結衣 2016 山田紗倉
2020年代 2022 朝霧めぐみ 2026 相沢太郎
「私の始まりと終わりの年、1989年が起点だった」
彼女は呟くように言った。
何も言えなかった。
彼女にとって始まりとは、絵を描いた年。
そして、終わりとは、自殺した年でもあった。
「分かってもらえないかもしれないけど、自殺した日。私はクラスにいて、自分の席に座っていたの。湯船に浸かっていたのに……」
彼女は黙って手首を裏返した。
一瞬だったが、初めて見せる傷の跡。
すぐにスウェットの袖で隠した。
「今思えば、それが始まりだった。絵を描く前の時間に戻っていたの。それから、同じ時間が流れて、
同じように絵を描いたわ。でも、違ったことがひとつあったの。それは、誰も私を責めなかった。役場にも飾られて、皆が称賛してくれた」
「そうだったんだ」
良かったね、とは続けられなかった。
僕は黙って彼女が口を開くのを待つ。
「うれしかったな。自分の絵が認められて。そして一年が過ぎたの。私が自殺した日は、11月31日。その日に、なると私は、また一年生から始まっていた」
ん?
31?
11月の終わりは偶数のはず。
「30日の間違いじゃないの?」
思わず口を挟む。
彼女は静かに首を振った。
「私も最初はそう思ったんだ。でも、私のカレンダーには毎年、11月31日があるの。なぜかはわからないけど」
そう言って、彼女のスマホを見せてくれた。
僕は目を疑い、すぐに自分のスマホの日付と見比べた。
「ほ、ホントだ……31日がある」
「うん。だから、きっとおかしくなったんだよ。理由はわからない。でも、たぶんそのせいで私はずっと繰り返しているの」
最初は、彼女が原因でこの円環が始まったと思っていた。
それは僕の勘違いだった。
ことの始まりは、彼女が起点だったのかもしれない。
それでも、繰り返される世界を作ったのは、彼女ではないのかもしれない。
そうなると、僕の推理したあの世界の話が、根底から覆される。
僕は深く深呼吸をする。
もう一度、最初から考え直すしかないのかもしれない。




