09話 慈悲は平等に降り注ぐ
目が覚ました。
眠る前に感じていた気が滅入りそうなほどの血の匂いや体にまとわりつく脂の感触が無くなっている。
服も覚えがない物に変わっていた。
ベルフェゴールが処理をしてくれたのだろう。
オークとの戦いで酷く負傷していた俺の体は今、骨折の痛みや息の吸いにくさは消え、筋肉痛のみがじくじくと痛んでいる。
魔力で骨折も怪我も治せたのだろう。あまりに便利な力だと言うことを痛感する。
けれど筋肉痛だけは残っているのは何故だろう。俺が治すべき異常だと認識していないからなのかそれとも欠損ではないからなのか。
筋肉が軋み痛む体を起こし、少し伸ばす。
周りを見渡すといつもの教会で俺は寝ていたようだった。
元々着ていた服はオークとの戦闘でズタボロになっていたし血と脂でぐっちょぐちょになっていた。
あんなんで寝ていたらどんな病気になるか分かったもんじゃないからなぁ。
新しい服を着せてくれたベルフェゴールには感謝しなければならない。
そう彼女への感謝を再確認していると当人が教会に入ってきた。
「起きた? てっきりそのまま死ぬかと」
「体質でな。後始末は大変だったろう?」
「そりゃ大変も大変よ。あの量を燃やすのはさすがに私でも魔力が尽きるかと思った」
「すまんな。でも結果的に戦いに参加しなくて正解だったな」
「さっさと逃げた方が良かった気もするけどね」
「経験だよ、経験。あんな真似は二度としたくはないけど。そういえば俺ってどのくらい寝てたよ」
「五日くらいかな。呪いでもかけられたのかと思ったよ。どれだけアンタの体を調べても呪いは出てこなかったけど」
「そりゃただの体質だからな」
それにしても俺は五日も寝ていたのか。
やはり疲労することで睡眠時間が増えたのだろうか。にしても長い睡眠時間だ。
難儀な体質をしているとは自分でも思っているが、恐らく地球のころのような一日で生活するために睡眠時間を削って仕舞えば著しく俺の思考能力は錆びついてしまうだろう。
実際地球の頃俺はほぼ頭動いてなかったし。
毎日動くには知能を犠牲にしなきゃならなかった。
知能を劣化せずに保持したい場合は睡眠時間により隔日でしか動くことが出来ない。
その点で言えばこの世界に来て良かったことなのかもな。
「さて今日は剣を取りに行かねぇと」
「オーダーメイドでもしていたのかい」
「偏屈な爺が時間をくれって言ってきてな。もうそろそろ出来たんじゃ」
ベルフェゴールと雑談をし今日の予定について話そうとした瞬間血の匂いが漂ってきた。
俺はすぐさま教会の瓦礫を伝い、屋上に登ると周りを見た。
すると風向きから俺がいつも行っていた国から血の匂いが漂ってきているのだという事がわかった。つまりは我が友人零摩と立夏のいるあの国だ。
しかもこの臭い……一人や二人の匂いじゃない。
なにかあったか。
煙が見えない事からぱっと見じゃ何が起きてるかわかんねぇ。
「どうやら何か良くない事が起こってるみたいね」
いつの間にか後ろにいたベルフェゴールが言う。
「火薬のにおいも声も何も聞こえない。襲撃や戦いの気配がしない。……不気味だ。」
「んーこれまっずいなぁ」
「なんか知っているのか」
「この手口……平等教の連中が来てるのかも」
「宗教か。……俺は行く。爺の処に剣を取りに行かなきゃいけないんだ」
「良いの? 私も行くとはいえ死ぬかもよ」
「あそこには俺の友達もいるかもしれねぇんだ。友達が死んじまったら悲しくて夜も眠れない」
教会から飛び降りる。
教会ほどの高さからならば俺は飛び降りることが出来るというのは検証し終えたことだ。
立夏、零摩。無事だといいが。
国につく。
いつも昼には活気の溢れていたこの国が、今日は不気味なほどに静かだった。
人気は少しもなく、人であったものの匂いはどこからか漂ってくる。
だが一つだけおかしいのは臓物の匂いがしない事だった。
臭うのは血、それと腐敗。
襲撃があったにしてはあまりにも異質な世界だった。
「あら? あらあらあら? 御機嫌よう。大罪人」
そして道のど真ん中に一人の女が立っていた。
金色の髪を軽やかに振りながら、彼女は俺の事を見つけると心の底から嬉しそうに笑みを浮かべた。
目に天秤の紋章を浮かべ狂信に眼を濁らせている。
手には……一瞬刀かと思うほどの細い剣を持っている。
アレは何だ? 刺突に特化しているように見えないし、反りも付いてない為に斬る事に特化しているようにも見えない。
「よう妙ちきりんなシスターさん。ちと罪人判定が早いんじゃないか?」
「いえいえ、遅いくらいでございますわ。だってこんなにも罪の匂いが濃いんですもの」
彼女はその剣を振った。
俺はその攻撃の直線上に入ってはいる。だが入ってあるだけだ。間合いが全く違う。素っ頓狂な攻撃だった。
何をした?
「あっぶない!」
ベルフェゴールが俺を押し、横に飛ばされる。
すると少しだけ遅れていた俺の左手が斬られた。
全く剣は届いていなかった。これは断言できる。だが何の道理か俺の左手は綺麗に斬られて落ちてしまった。
痛みが脳をショートし始める。指を切られると感覚器官が集まってるからいてぇとは聞いてはいたが手を丸ごと斬られるのも中々に、効く物だ。
「いってぇ……! な、何だありゃ」
「あいつが剣を振った直線上に入らないで。斬られるよ。魔力を左手に集めな。アンタの魔力量ならくっ付けられる」
まじかよ。
奴の攻撃もそうだが指生やせんのか人間って。
どうやらあいさつ代わりであったようで女は微笑みながら俺らのことを見ている。
血が溢れる断面にくっ付けてやると、少しずつ出血が収まっていく。
俺は左手に魔力を集めながら、女のことを右目で見る。
情報が俺の視界に浮かび上がった。
あんの……くそ野郎。わざと情報絞りやがった。
それでいて欲しい情報はあるのがむかつく。
アバドンは俺の人生に明確に干渉する気はないらしい。
「魔力の操作教えとけばよかったかな……時間はかかったけど治ったみたいね」
「ああ。変な感覚でもう味わいたくねぇ」
左手の断面に魔力を集めるようなイメージでさすっていると、ある時回路が繋がったような妙ちきりんな感触と共に俺の左手は治った。全くあり得ない感覚に脳が拡張されたような吐き気を覚えた。
魔力の操作がもっとうまかったら早くできるのだろうか。
「大罪人に悪魔。私の名はクンシラ。それでは、私の慈悲を執行します」
その極細の剣を彼女は振りはじめた。
つまりそれは不可視の斬撃を放ち始める事に等しい。
避けられているが、近付けん。
そして何故彼女の持っている剣があんなにも細いのか、それが分かった。
斬る為でも貫く為でもない、ただ速く振るための武器なのだアレは。
「おたくの宗教平等を謳ってんだろ? なんでそうなる」
「罪人がこれ以上罪を重ねないうちに殺して差し上げるのは慈悲でしょう? ……あら?」
「後ろから切りかかったのに気付くかね。よう坊主」
クンシラは急に後ろを振り向くと剣で辺りを払った。おそらく後ろから不意打ちを狙っていた男は一時撤退を余儀なくされたのだろう。そしてその男はこちらへと寄ってくる。
その男はギルドマスターだった。
「何が起こった」
「平等教から刺客が来やがった。ほぼ全滅だよ。俺はスキルのおかげで生き残った。惨めに逃げてな」
「そうか。あの爺はどうなった」
スキルってなんだよ。
だが今は聞いている場合でもねぇ。
その言葉の意味を予想することは出来っから今の所は無視だ無視。
異能のようなものと今のところは解釈しておく。
「このザマだ。想像に難くないだろ。だがコイツらの目的は粛清で略奪じゃない。……それにあの爺さんは性格に難があったが仕事はやり遂げる奴だった」
「成程。……時間稼ぎを頼んで良いか?」
「俺は大丈夫だ。それが俺にとっての最善だって見えてる。アンタの連れはどうかしらんが」
「さっさと行ってきな」
「助かる」
俺はクンシラのことを背に向けて走り出す。
クンシラは俺のことを斬ろうとする。
だがそれをベルフェゴールに防がれた。いつの間にか距離を詰めていた彼女に剣を振る前に腕を掴まれたのだ。
「逃がしませんよ」
「よっと。君の対処は知ってるよ。振らせなければ切られることもない」
「邪魔をするのですね」
「当然。働け、怠惰。さぁ年季の違いを見せてあげるよ小娘」
「代理捕縛権限要求。罪の重さは充分だ」
「おや、ルシファーの手下じゃない」
「そっちこそ悪魔かよ」
「ああ……主よ。また一人知恵あるものを殺せる、感謝致します」
慈悲の枢機卿
平等教の教皇により力を与えられた枢機卿の一人。
慈悲は上の者から下の者へ与えられる。そこに下の者の意思が関わる事は無い。
故に善意というモノは酷く恐ろしい。




