71話 さらば友よ。また会う日まで
ぱちぱちと軽い音を鳴らしながら、火の粉が夜空に消えていく。
月明かりがあるとはいえ、夜は暗い。そんな中、温かい光を放っているのは焚火だった。
枯れ木を探して焚火を作った。山で過ごすことは少なくなかったために慣れている。あの頃は昼だろうと、獣がよってこないように焚火を作っていた。
その前で俺は、ただ座っている。石のようであり、鉄のようである材質の椅子に座り、頬杖をついて見つめている。
「やぁサイガ。慣れない夜は良いものかい?」
「夜空の下、焚火に当たるなんて経験初めてなもんでなぁ。悪くない気持ちだよ」
ブライが闇の中から声を投げかけてきた。
焚火のぼんやりとした光に照らされ彼の姿が朧げに浮かぶ。
「まぁ、座りなよ。魔法で椅子を作ろうか?」
「大丈夫だ」
ブライがゆっくりと闇に腰かけると、いつの間にか真っ黒の椅子が彼の体を支えている。
優雅だなぁ。俺がそれしようとするとよくわからないモノで構成された椅子が出来るからな。ソレに吸血鬼という名前もかっこいいし。
「それで、どうかしたか? 俺に会いに来たって事は……何か聞きたいことでもあるのか、それとも言いたいことでも?」
「友人に会いに来るのに理由は必要かい? あぁ、友人と言えば君の友達……レイマ、と言ったか。目が覚めたようだったよ。ラオが話している。きっと後で来るだろうさ」
「ラオには迷惑をかけてしまうな。……そうだ、気分はどうだ。今のお前なら俺やファセスの見えているものも何となくは分かるんじゃないか」
そういうとブライは腰の落ち着かないような、何とも体調の悪そうな顔を浮かべた。
吸血鬼特有の真っ白な顔色でそれをするものだから患者に相談される医者の気分になり少し笑みがこぼれてくる。
ブライは化け物か、そうでないかで言えば化け物寄りになっていた。
それは俺やファセスに近いモノであり、きっとブライはそうなった前とそうなった後では見えているものが違っている。
だって、俺がそうなのだから。
「君はいつもこんな気分だったのか」
「馬鹿言え。今日からだ。ファセスの奴はずっとコレだろうが」
「そうか……でも寂しくはないな。君がいるから」
「は、贅沢者め。その言葉を口にしたのなら簡単に死ぬんじゃないぞ、友よ」
「ははは、我が唯一の友よ。また会おう」
そう言うと彼は体を漆黒の蝙蝠に分解していき、闇に消えていった。
帰るのもかっこいいのは羨ましいことだ。
これが、ロマンって奴か。
俺はこの世界に来て初めて俺という存在の決着が一つ付いたのだが、彼も一つ決着がついたのだろう。
良きことだ。わだかまりが解消されたことは。
「お前がこうして焚火に当たっているなんて少し前の俺に言っても信じないだろうな」
「安心してくれ。俺もでさえ信じないだろうからな」
ラオがやってきた。
俺が椅子を作る前に地面に座り込んだ。膝を立てて火を見ている。
何度もこの状況を俺は経験しているんだろうが、初めて見る光景だ。
いつもラオが焚火を囲んでいる時には俺は既に眠りについていたからな。
「俺はお前が手伝ってほしいというなら、手伝うのだが……お前は言わないだろうな」
「言ったろ? 零摩と話し合って手伝いたいと思ったら手伝ってくれって。それで手伝う義理が無いと思うなら手伝わなくてもいい」
「俺はそれでも良いが、失敗したらお前は友達を一人失う事になるんじゃないのか?」
俺の心配か。
これがあのルシファーだったら、あの天使もどきがこの世界を闊歩することを心配するに違いないのに、相も変わらずこの男は優しいことだ。
きっとラオは俺がいなくとも零摩の事を手伝っていたに違いない。
優しく、見て見ぬ振りが出来ないからこそ、きっと憤怒の大罪に選ばれたのだから。
「大丈夫さ。きっとアイツがどれだけ苦労するか、でしかないんだから」
「それは……未来でも見えているのか」
「いいや? 零摩はそう言うやつだ。俺みたいな化け物じゃない、ああいうのこそを主人公って言うんだよ」
「付き合いの長さからくる信頼というやつか」
見ようと思えば見えるが、こればっかりは本当にそう思っているだけだ。
零摩はきっと立夏を救う事だろうという予想でしかない。
皆が協力してくれなければきっと苦労するだろうが、彼は成し遂げるだろう。
「そうか。ならもう心は決めた。最後までこのバカ騒ぎに付き合う事にしたよ」
「その心は?」
「確証は無いんだろう? 俺は全ての悲劇を許さない。手伝わないことに何かの意味があるなら考えないこともないが、俺は困ってる人間を見逃せない質でな」
「お前ならそう言うと思ったよ」
「それに、友達の友達だろうが、知り合いの知り合いだろうが、縁がある人間を助けられるなら助けたいもんだろ?」
「損する生き方だぜ、それ」
「別に、もう得はしてる。だろう」
ラオは手のひらに炎を宿してこちらに笑いかけた。
手のひらに載っている怒りの炎は彼の肉を焦がすことはなく、煌々と燃え上がっている。
良いなぁ。
やはり良い。
だからこそ価値があるというんだ。化け物だった俺たちにはない価値だ。
だからこそ俺は俺になったのだから。
「零摩の事よろしく頼むぜ、友よ。あぁ……そうだ。もう一人の友達は立夏って言うんだ。アイツも癖は強いが良い奴なんでな。よろしく頼むよ」
きっと立夏は助かる事だろう。
純粋な人に戻れるかはいささか疑問が残るが、あんなモノよりかは遥かにましだ。
「俺は何も言わんが……帰ってこいよ」
「何を心配してるんだか。俺が死にかけたのなんてただの一度も無かっただろう?」
「ふ……火の扱いがなっていない。俺の火を貸してやる」
焚火に指の火を移し、ラオは帰っていった。
火は少し勢いを増して光は強くなる。
ラオとも長い付き合いだったなぁ、と思い起こすには十分だった。
「意外と早く来たな。零摩」
「さ、才賀」
「なんつー顔してんだ。飯は?」
「パンとスープを貰ったよ」
「そりゃ良かった」
焚火の近くで座る零摩の顔は恐ろしく青い。なんなら今にも吐きそうな最悪の顔色をしていた。
無理はない。頭の認識を弄られていたとしても、きっと記憶は残っているはずだ。
立夏の体を抉り、生き物から物にしていった記憶は、感触は全て残っているだろう。
血の臭いも、肉を貫く感覚も、つんざくような悲鳴の大きさも。
それは常人には耐えがたいものだろう。俺も、よくわかる。
「色んなことがあったな。俺がお前らから離れて、いっぱい」
「うん」
「この世界に来て酷い目にあってばっかだったか?」
「うん」
「そして最後の最後にアレだものなぁ」
「う……ん」
「そうかぁ」
きっと零摩の心は限界なのだろうと思う。
異世界と言えば聞こえはいいが異郷の地に飛び込まされ、最後には友人を殺すことを強要された。
出来る事なら今すぐ背中をさすり、家に帰してやって何も心配は要らないと言ってあげたい。
だが、だが、だがなのだ。
「立夏を助けたいか?」
そんな彼にこんなことを言う俺はまさしく悪魔的なのだと思った。
だが俺も、零摩も立夏を助けたい。俺は零摩も。
ならばこうしなければならないし、彼は立ち上がらなければならない。
それが、どれだけ残酷なだろうとも。
「聞いたよ。才賀も強くなったんだろう? なら……助けてくれよ」
「駄目なんだよ零摩」
「なんでだよ……何で俺たちがこんな目に合わなくちゃいけないんだよ!」
「運命と言えば納得するか? それとも偶然猫がキーボードを叩きお前の名を導き出したと言えば? そうじゃねぇだろ佐藤零摩」
零摩は俺の言葉を聞いて目の力を強くする。
そうだ、怒れ怒れ。心が折れたくらいで泣き伏せる姿はお前にゃ似合わないよ。
お前はそんなんじゃないだろう。零摩。
化け物だった俺をまた人に引き戻したお前の手は。
「お前は何がしたいんだ。言ってみろよ」
「そりゃ……そりゃ助けたいよ」
零摩は叫んだ。
住宅街でも無いんだ好きに叫べばいいさ。それに若者は叫んでなんぼだろう。
叫んで、泣いて、それが力になるのなら、泣け。
「俺にそんな力があれば良かったよ。でも異世界に来てもそんな力は手に入らなかった。だからこうなってるんだろッ?」
「力を与えると言ったら?」
その言葉に彼は固まった。
俺は自分の口から犬歯を引き抜いた。その歯を二度ほど振れば、小ぶりな一つのナイフへと変貌する。
俺の、つまりは化け物の身体で作り出したナイフだ。これで刺し、斬れば分てぬものなど在りはしない。
「この手を取れ」
「なんで俺なんだ」
「人間を助け出すのは人間だ。決して、決して化け物なんかじゃあない」
立夏は今化け物と人間の狭間にいる。俺は化け物側に引き込む事は出来る。人間側に突き飛ばすことも出来る。だがそれでは立夏は無事では済まない。きっと何かがおかしくなってしまうだろう。
彼女の手を取り、人間へと連れ戻せるのは人間だけだ。そして立夏という個人を知り、人間であるのは零摩、君だけなんだよ。
「本当に立夏を助けられるのか」
「これを刺してアイツの事を思い浮かべればいい。それでアイツは帰ってくる」
一呼吸。零摩は深く息を吸い、そのまま長く吐いた。夜の霧のように薄く長いそれが終わると、零摩の瞳には強い意志が宿っていた。
そして俺の手にあるナイフを手に取った。
「わかった。待っててくれ、才賀。俺が立夏を連れ戻してくる。それがきっと……俺の責任なんだ」
「そう言えるお前ならきっと大丈夫だよ」
零摩の心は完全に回復していない。立夏を助け出してその時やっと彼は立ち直れるのだ。
逆にいえば今回失敗すれば今度こそ彼の心は塵の様に壊れてしまう。
だがそうなることはない。
俺はそう信じている。
「じゃあ俺は寝るよ。寝不足で失敗なんて、したくないし」
「おう。存分に体を休めてくれ」
「なぁ……また会えるよな」
「会えるさ。きっとな」
「またな、才賀」
「また」
頑張れ、零摩。
お前ならやれるよ。
コレまでブライ、ラオ、零摩。三人と話し合った。残りはルシファーとアスモデウスだが……彼らは来ないだろう。二人ともそういう悪魔だと俺は認識している。
焚火を一息に消してしまう。月明かりだけが地平を照らし、闇が底から這い出てくる。
そうして俺はゆっくりと目を閉じた。
だが、瞼に光を感じた。目を開けば消したはずの焚火に火が灯っている。
それは青く、この世の物ではない炎。冷たく輝くそれが俺の目の前にある。
「延長戦だよ? おはよう、化け物」
「そうだった。お前がいたな、化け物」
「忘れていたのかい? 酷いじゃないか」
「あまりにも見ないから死んだのかと思ったよ」
ファセスが岩に座っていた。元々そこに座るのに適したような岩があったかのように座っているが、彼女が座ろうとした瞬間に生えてきたのだろう。
彼女が座ろうと思えば、星が変わる。星に愛されているのだから。
「目が覚めた感想を聞いても?」
「変わりはしないさ。この世は一夜の夢のようなもの。夢の中であろうと現実の中であろうと。お前こそどうなんだ? お前と会ったときは俺と同じようなものだっただろうに」
「僕も変わりはしなかったよ。この世でただ一つの孤独の身だったのが、君と出会えて仲間を知った。それは今でも全く変わりはない。この世界で君以外の同胞はいない。君がいなければ、今も孤独だった」
「お前は人にはなれんだろうからなぁ」
俺は例え夢の中であったとしても人だった。だが、ファセスが人だったという過去は存在しない。ほんの一秒であろうと。
その点で言えば彼女は純粋に化け物なのだ。
俺と共鳴し、化け物としての力を増していったとはいえ元々化け物であった彼女は、ただの生き物である隣人を愛す事は出来ないだろう。
「それで? 何か俺に言いに来たんじゃないのか」
「僕の唯一の友達に会えて良かったよって言いに来たんだ」
「あん? そりゃ……嫉妬か?」
「僕の大罪を忘れた?」
「いやいや、健全な嫉妬で何よりだよ」
その言葉に笑みが抑えられない。
眼に太陽と暗黒を宿しているあの化け物が、一人の小娘のような嫉妬を抱いているのだ。笑わずにいられるか。
なんとも……なんとも健全で、喜ばしい事じゃないか。
あの孤独な化け物が。
「早く起きてこないと怒るよ?」
「俺たちの中で時間がそんなに大事かね」
「人として生きようとした奴が言う言葉とは思えないね」
「わかったよ。ちゃんと怒られてやるから」
「ちゃんと怒るからね。……じゃあ、またね。才賀」
「おう、また会おう。ファセス」
恐ろしい勢いで帳が下ろされたかのように、全てはパッと消えてしまった。
遺されたのは薄い煙を立ち昇らせている焚き木と椅子に座る俺だけだ。
もう月は天辺を超えている。
こんな夜中になるまで話し込むとは、全く人生とは分からないもんだな。
あの子を殺して化け物になった時も、何もかもを忘れて人として生きていた時も、思いもしなかった。
「良い夜だったな」
ゆっくりと目を閉じる。
けれども眠気は来なかった。
砕牙
才賀の歯から作られた象牙にも似た白い輝きを持ったナイフ。
鋭さは普通のナイフ程度しかないが、その真価は能力にある。
込められた存在的質量はこの世に存在する全てを切り裂くだろう。
例えそれがカクテルのように混ざりきった蛹を切り開いて出てきたジュースだったとしても、持ち主の眼が開いている限り突き刺さり、嚙み分ける。




