70話 大人な気分
ベルフェゴールの体が砕け散る。
俺を起こすために魔法を使いすぎたんだ。罅の入った魂が耐えきれなかったんだろう。次に彼女が目覚めるのは一体何時になるのか。
少なくとも長い間眠り続けることは確かだろう。
俺は彼女が砕けようとする間、ただ見ていた。
俺を起こすためにそうなった故に、どういう顔をして見送れば良いのか分からなかった。
言葉を交わす、表情を交わす、そう言った事も出来ずにただ俺とベルフェゴールは目を合わせていた。
ほんの数秒、表情を変える時間も、言葉を紡ぐ時間も無く、彼女はガラスの様に砕け霧のように消えていく。
「随分と重役出勤じゃねぇの」
「や、久しぶりだな爺。相も変わらず規格外なようで。どうやって来たんだよココ。それを障子破るみたいな気軽さで来やがって」
「知らんわ。俺も初めての経験だ」
「まぁ……その、なんだ。ありがとう、助かった。昔の事もそうだが……止めてくれて」
「餓鬼の癇癪だ。それを収めるのが大人の役目というモノ」
それだけ言うと爺は刀を納め、踵を返す。
恐らく会話で俺がもう暴走していないことを確信したのだろう。変わらず面倒見がいい。
両親をなくした俺の面倒を見てくれたのもそうだが、この人は何だかんだ口では乱暴な事を言うのだが助けてくれる。
干渉を嫌い、町から離れた爺が俺の事を面倒見切れたのも、色んな人間が彼に恩を感じ助けてくれたからだろう。それが何時の恩なのかははかり知れんが。
「なぁ、爺」
俺は爺を引き留める。
爺は振り返ることも無くただ歩みを止めた。
無言が話せという意思を伝えてくる。
遠慮なく話させてもらうが。
「殺そうか? 今ならやれるかもよ」
「逆に問おう。今だけだ。俺がお前を楽に殺してやれるのは。きっと明日には楽に殺してやれん。今ならお前が辿ることになる無限の旅を終わらせてやれる」
俺の質問に爺はそう答えた。
そして刀が抜かれる音がした。だが殺意はなかった。彼が今抱いているのは殺意のない純粋な慈悲なのだろうと思う。
きっと俺が今首を晒し、目を閉じれば死が俺を迎えに来るのだろう、とも思った。
だが俺はそれに薄い笑みで返す。
「國崎サイガを生かすために命を賭けてくれた人たちがいるんだ。死ねないよ」
「ふん。お前は相変わらず友達には恵まれる。……俺も、弟子を殺したくはない。だがお前が死にたくなったのなら話は別だ。その時は殺し合いをしよう。どちらが死に損なっても文句を言わん、殺し合いを」
俺が一人暮らしし始めてから会ってなかった爺だが、それなりに大事に思ってくれているらしい。
ま、そうじゃなきゃこんなところまで来ねぇか。
「生きずらそうだな」
「オメェに言われたくねぇ」
「皆に挨拶してったら?」
「帰る」
「減るもんじゃなし、会って行けって」
折角なんだから挨拶の一つや二つやればいいのに。
そう思っているとこちらを振り向かずに 話し始めた。
「そうだ。お前にこれをやろう」
爺の手が降られると銀色の光と共に刃が飛んできた。両の手で真剣白刃取りをして止めてみれば、それは昔使っていた刀だった。
爺に師事する時俺が借りていた刀。
「良いのか? コレ、一応アンタの刀だろう」
「馬鹿言え。お前に貸した時点でお前の刀でしかないわ。それに、お前も強くなった。なればこそ、大の名を名乗る事を許す。名乗るかどうかは好きにしろ」
「え、それって」
見覚えのある刀の唯一違うところは大の一文字が刻まれている事だった。
大と書き人殺しと読むのは爺の代名詞のようなもので、爺の流派を意味するものですらある。
つまり、それを名乗る事を許すというのは。
「認めてくれたのか? ……ってもういないし」
刀が振られる音と共に爺の姿は無くなっていた。とんだツンデレ爺が。
きっともう帰ったのだろう。
来るときもパッと現れたんだろうなぁ。パッと現れてパッと消えたんだろう。
……サプライズニンジャ理論というのがあるが、こういうのはサプライズ侍とでも言えばいいのだろうか。侍ってか人斬りか。
まぁサプライズ忍者理論ってあのとんでもニンジャ小説が影響してそうだけど。
零摩と立夏が好きだったんだよなぁ。二人がアレにはまってた時は殆ど小説の引用で話していたことがあった。
地味に意味が分かるものだから詳しく聞いてみたらアニメ見せられたんだよなぁ。
「なぁ零摩。アレほとんどサプライズ忍者理論じゃないか?」
無造作に置かれている鞘に刀を収めながら、零摩に話しかけるが返事がない。
やべっ、ほっときすぎて死んだか? とも思ったがどうやら気絶しちゃったみたいだ。
道理で動いてないと思ったが。
近くによって見てみると地面の瓦礫で少し頬を斬っている。
よくもまぁこんな状況で穏やかに目を瞑っているものだ。……と思ったのだが、すぐに寝ちまって起きないってのは俺が言う事じゃなかったか。
「まぁ、治そうと思えば治せるが……少しぐらい傷があった方が良いか。気付けだ気付け」
零摩を背負って歩き始める。
崩れた壁の間から橙色の光が漏れている。夕陽だ、ふと思った事なのだがこうやって夕陽をまじまじと見るのは初めての事かもしれない。夕方に起きていたとしても、うつらうつらとしていて上を向く事なんてなかった。
朝や昼とは違った暖かな、それでいて物悲しいような冷たい光だ。
「こんな夕陽を浴びながら思う事じゃないかもしれないが、気持ちの良い目覚めだ」
背負われている零摩が答えると良いシーンになるのだろうが、彼は眠りこけている。
この世界に来てから悪夢の様な事ばかりだっただろうから彼が安らかに寝ているのは良い事なのだろう。
さて、みんなの所に帰ろう。
城から出るとルシファー、アスモデウス、ラオ、ブライの四人が迎えてくれた。
四人とも俺が顔を出した瞬間に明るく表情を変えた。警戒したような顔から安堵したような顔に。
なんとなく何があったのかは予想が出来るが、全員死んではいないようだからよかった。
「やぁサイガ。夢見はどうだった?」
「散々だったよ。でも……まぁ、目覚めは悪くはなかった。四人ともありがとうよ。助かった、おかげでこうやって面と向かって礼を言える。迷惑をかけたな」
「僕は僕としての役割を果たしただけさ。褒めるならブライを褒めておやり。彼は今回一つ殻を破った」
ブライに目をやると、少し照れ臭そうに笑っている。そして彼の事を見てみると、俺の知っているブライの命の規模と違ったことに気が付いた。
逆にいえば俺の眼で見ても分かるほどに彼の命の数は減っていた。
「ありがとうブライ。助かったよ」
「僕の方こそありがとう。友の為に、自分がやりたいからって理由で初めて動けた。君の存在が僕を進めさせてくれたんだ」
命の数は減ってるというのにブライから感じる恐ろしさは逆に増えているとも感じる。
今でこそ俺の眼は人の領域を超えた。故に分かったことなのだが、ブライの中にある全ての命の足並みが揃っている。今までは群体に過ぎなかったのだが、一つの生命体に近くなっていた。
吸血鬼の事はよくわからないが、良い状態になっているのだろう。
「ラオも……大丈夫か? 一番顔色が悪いが」
「大丈夫だ。鬼がこの程度で音を上げるわけにはいかん。それにしても眠気は大丈夫なのか? もうすぐ夜だが」
「寝起きだからなぁ。ま、諸々大丈夫になったと思ってくれ。今思えば、ラオには長い間迷惑かけたな。旅をしている時間よりも寝ている時間の方が長かっただろうし」
「大変な面もあったが楽しかった。気にするな」
「それならおまけ程度に零摩……あー、俺の友達を任せても? ほら、寝起きでここまで背負ってきたから疲れちまって」
「構わんが……もう終わったんだろう? 馬車に乗せれば済むことだろうに」
零摩をラオに任せると慣れたように背負い始めた。
顔色の悪い彼に任せるのは少し気が引けるが、ラオならきっと大丈夫だろう。
大罪の中で他者の心が一番わかるのは彼だろうし、面倒見がいいのは旅の中で知っていた。
「終わってないよ。終わるには後片付けが終わってない。俺の友達の一人がろくでもない事になったままだし、俺にもまだ一つやることがある」
「待てサイガ。君も知っているとは思うが恐らくそれは僕は手伝うことが出来ないよ?」
「ルシファーはそうだろうなぁ。別にラオやブライに手伝ってもらおうなんて思っちゃいないぜ? そりゃ手伝ってもらったら助かるだろうけど。アスモデウスなんて手伝う義理はないだろうしなぁ。そもそも零摩がやることだから」
異形になってしまった俺のもう一人の友達、立夏を戻すのは零摩の仕事だ。
俺がやってもいい。やってもいいのだが、それにやれるとは思うのだが高確率で良くないことが起きるし、零摩がやった方が良い。
化け物がやるよりも人間がやる方が遥かに良い。
「ま、そこらへんは零摩に説明するし、助力をするかどうかは零摩に話を聞いて判断してくれれば良い。ブライとラオなんて友達の友達でちょっと気まずい所だろうし」
それでいうとブライとラオもその関係であるのだがソレは置いておこう。
俺を助けるという一つの目的をもって助け合っていたのだろうし、そこから仲良くなるのとフラットな状態から仲良くなるのでは差があるだろうしな。
「アスモデウスもありがとう。こんなところまで付き合ってもらって」
「それであなたが良き目覚めを迎えられたのなら、良かった」
「は、かっこいいね」
「かっこつけるのは私の数少ない特技ですからね」
実際アスモデウスにここまで戦う義理があったのかと言われると俺は無いと思う。
だが戦ってくれた彼には感謝しかない。
さて……聞かなければならないことを聞かないとなぁ。
分かっちゃいるが聞かねばならないだろう。きっとそれが道理なのだ。
「ペネトは?」
「死んだ」
ルシファーはそう言った。
此処にいないのだから予想はしていたのだが、やはりそうだったか。
つまり俺はこの世界で師匠と呼んだ二人共を失ったことになる。
一人は俺を助けるために、一人は俺を止めるために。
「そう、か。……そうか」
「サイガ、彼女は僕の知る限り人類の最高点に達した。そして彼女は後悔もせず死んでいった。だろう? ラオ」
「俺が保証する。あの人の終わりに怒りも後悔も無かった」
「それでも、寂しいよ」
俺はあの人にこの世界の魔法と魔術を教わった。
決して長い時間を過ごしたとは言えないが、確かに師であったし確かに友人だった。
もう会えないのだと思えば寂しくもなる。
「もうすぐ夜が来る。話がある人は会いに来てくれよ」
「どこに行く気だ?」
「焚火にでも当たろうかなと思ってさ。門を出てすぐそばにいるだろうから。……あぁ、そうだ。零摩が起きたら来させてくれ。積もる話もある事だし」
四人を残して歩きだし、背中越しに手を振りながら国を出た。
夕陽の作る影が闇になり、夜になる。
紫に似た闇が街を彩っていた。
実は俺はその中で胸を躍らせてしまう。初めての事だったんだ、不謹慎だろうが許してくれ。幼い頃は夜に出歩かなかったから。アレが起きてからは夜は寝る時間だったから。
夜の街を歩くのは初めての経験で、そんな場合ではないというのに俺はこの体験を楽しんでいた。
「夜に外を出歩くのって、悪いことをしているような気がするんだなぁ」
そしてそんな子供心が未だ俺の胸にあると知って安堵した。
大の刻印
才賀の刀に刻まれている大の一文字。
それはある化け物が人も妖も神も、そして国さえも切り裂いた逸話から呼ばれ始めた畏怖の形。
人の文字に横一文字を引き、人殺し。
鬼も仏も斬り殺し、ただ強くなる為だけに刀を振るったその先には、何もなく。
何もないが故にその果てに己が立たねばならぬと自覚した。




