69話 さよなら、泣きたくなるほど惜しい悪夢よ
目が覚めた。
悪い夢が、覚めて、冗談のような現実が流れ込んでくる。
蒙は啓かれた。もはや後戻りはできない。
そして両目を開く。
「おはよう、世界」
酷くほっとして崩れ落ちそうな顔をしているベルフェゴールが目の前に立っている。
心配をかけたようだ。だが俺が彼女を労う事は出来ないだろうな。
彼女の体はもう限界だ。魂が砕けて死ぬわけじゃないが、短くない休眠期間を強いられる事になる。
おそらくあと一秒もすれば彼女の体は砕けてしまうだろう。
きっと俺と彼女が言葉を交わす前に別れは訪れてしまう。
そして今にも俺の首を斬り落としそうな眼差しでこちらを見ている爺。
久しぶりにあったというのにコレが感動の再会とは血腥い俺の先祖らしいというかなんというか。
俺が正気じゃなきゃあ、すぐに斬り殺すつもりなのだろうなあ。
瓦礫に半分埋もれながら捨てられた幼子のようにこちらを見ている零摩。
困ってるなら助けたいと思ってたのが……この世界での俺の始まりだったんだが、あんなずたぼろになっちまって。
だが最後の最後で良い結末にたどり着いた。
「おいおい、何全部終わった気でいるのさ。君は僕を倒さなきゃ目覚めを迎える事は出来ないのだから」
全てが止まった世界の中でその声だけが響いている。
星も、光も、空気も、何一つ動いていない。時間が止まってるというのはこんなにも味気ないモノなのかと言わざるを得ない。
そちらを見れば俺がいる。少し幼い俺は刀を片手に持って立っている。
「なるほど、時間が止まってるのはお前の仕業か」
「おかげって言ってほしいけどなぁ。さて、才賀。君はどれほど今の状況を把握している?」
「お前はあの時斬り落とされた俺の一部で、いわば別人格。そんでもって席は一つってところか」
「自分ながら理解が早くて助かるね。で、どうだい? 面倒だから席を譲ってくれないかなぁ」
「やーだね。お前この世界とおまけに前の世界も壊す気だろ? そんなクソガキにハンドルは譲ってやれねぇな」
剣を抜く、この世界で使い続けた剣だ。酷く手になじむ。
もう一人の俺も持っている刀を抜き、鞘を捨てる。
「良いのか? 捨てて」
「負けたら消え去るんだ。同じことだろう」
彼の表情はどうにも暗い。そしてため息と共に返事をした。
「一人でじゃんけんをするよりも虚しい行為だね。決着なんてつくはずもないのに」
横なぎの刀が首に迫る。だが俺はその動きを見えているし、知っている。もはや俺は爺に教わっていたころの記憶を全て思い出しており、技量で劣るはずもない。
それを剣で受け止めることはしない、恐らく剣がいかれる。防ぐという選択は最悪手だ。
恐ろしい速さだが、見えているし射程もわかるのだから一歩後ろに下がって回避した。
刀が通過した瞬間に剣を縦に振るが、当たり前のように彼も回避した。
まだ一瞬だけ隙があった。
踏み込んで彼の足を踏み回避を封じると、剣を持っている利き手を掴まれるう。刀を持っていない、故に両手を使って止められた。片手じゃ分が悪く、剣を振れなかった。
刀は何処……上か。歯で受け止める。口の端が少しだけ斬れたが気にするほどのものじゃない。
だが上を向いた瞬間に鳩尾を蹴られた。骨を折られる前に後ろに跳んだが一瞬だけ呼吸が止まる痛みを感じる。
うぅん、攻めすぎた。
「良い剣だ。良い腕をしている」
彼は俺の持っていた剣を見て、その剣の出来を褒めている。
後ろに下がろうとした瞬間彼の手は俺の腕から剣の柄へと移動していた。剣を手放さなければ回避が出来ない。だから仕方なく手放した。
こちらは歯で受け止めた刀を使うとしよう。昔爺に貰った刀じゃねぇか。
そりゃ少し素振りをしただけで手になじむはずだ。
「君と僕は同一人物だ。……決着が付くと思ってる?」
「いんや」
「永遠にこの時の狭間で一人遊びをする気?」
「ただ話し合うってのも味気ないだろうて」
「良いだろう、受けて立つよ」
刀を振るう、剣を振られる、避ける、手で刃を逸らす。
我らながら器用だとは思うが得物を数度交換しながら刃を振りあっていた。それで服や毛髪が斬られることは合っても、皮膚に金属が食い込むことは一度たりともない。
演武のようなものにすら見えるかもしれないが、両者とも殺意はある。実力が拮抗しているからこそ起こっている事だった。
「僕らは所詮化け物だ。今が夢の覚める時だという事をどうして受け入れられないんだ」
「人間の夢を胡蝶が見ているかもしれないだろう?」
「夢は夢だ。君が何と言おうと、僕らがあの無限の極彩色を放つシャボンの中に埋もれる化け物であることに変わりはない」
彼の刀が同時に首と胴に迫る。筆は一つしかないというのに二という文字を全く同時に書こうとしているかのような不条理がそこにはある。
当然俺もそれを知ってる。爺が数百年費やして至った異常現象。一本の刀で同時に二撃を繰り出す奇術。
俺は後ろに倒れる。微塵の躊躇もなく、少しの体の強張りも無く。
全くの自然、重力という偉大な力によって動かされるその上半身は、下手に力を入れるよりも素早く倒れる。
足首が体に対して垂直になっている体勢……そこまで無理な姿勢ではないが、映画で見たなこの避け方。
立夏がどうにも気に入ったのか数度ほど見せられたのを思い出す。
両手を地面につき、全身の力を使って体を回転させ、蹴りをお見舞いする。
彼はそれに対して柄で受けた。勿論俺はそのまま蹴りぬいて刀を蹴り飛ばす。
奴は武器を手放し、俺は武器を持っている。つまりは絶対的優位状況だ。
「夢だとしても、胡蝶は人間の中に内包されていると思うが」
「だから、なんだというんだよ。胡蝶の夢を見た男が、虫の死骸に悲しみを覚えると言うのか」
「言うんだよ」
「瞬きほどで死に絶える存在に悲しみを覚える事が幸いだと?」
「そうだとも。お前が怒っているのがその何よりの証拠だろう」
一歩踏み出す間に数度剣を振り回す。一撃で完結するのではなく、攻撃と攻撃の間をぼやけさせるかのように数度の攻撃を繋げるように、続けていく。
一歩、二歩三歩と彼を追い詰めていくが、当たり前のように当たらない。蛇が水を泳ぐようにぬるりと避けられている。
全く自分の事ながら厭になってくるよ。
そう思ったせいか、一瞬の隙が生まれたのか、手首を殴られ力の緩んだ隙に剣を蹴り飛ばされる。剣がくるりと回りながら地面に突き刺さった。
徒手空拳対決……か。
そして残念ながら爺にそれも習っている。故に俺たちは全てを防ぎ、有効打が産まれることがない。
「すべては悪夢だ。悪夢の後はイラつきもする」
「そう思えているという事が俺たちに人間性があるという証拠だろう」
「だとしても、なら何故君は怒らない」
「何に?」
「僕らは両親を殺され、唯一の友を手にかけ、今まさに新しき友人の魂を利用された。君が怒るには十分だろう」
「それ……それは」
受け答えに躊躇した。その硬直が仇となる。
その隙に彼は刀を取りに走った。数秒遅れて俺も剣を取りに走る。
彼は刀を構え、俺は剣を構える。
全て最初の構図に戻った。
「代わりに応えてあげよう。君は人に、法に、縛られている。化け物であるというのならその全ては塵芥にも満たないものだ」
「それが人であるというなら」
「君が指を動かすというたった一つの細やかな動きだとしても、それが殺意や怒りをもって為されたモノならばどれだけの人が死ぬだろうか。世界が揺らぎ、屍の山が築き上げられる。國崎サイガ、人の法で生きるのは止めろ。そこじゃ僕らは生きられないんだ」
俺と彼は刃を振るうのをやめ、目を合わせ対話し始めた。
彼の言葉は全て道理だった。道理に合わないという道理だった。
俺と彼の本体は人の道理で生きるには強大すぎた。小指ほどの力であっても世界は飴細工のように壊れるだろう。
「だが、それでも俺は人として」
「ふざけるなよ國崎サイガッ!」
眼を大きく開き、彼が叫ぶ。
刀を強く握りしめ、走る。それに技というモノはなく、斬るというより叩くという行為であり、教えもない。
それを俺は剣で受け止めた。ここに来て初めて鍔迫り合いが発生した。
森羅万象の全てを斬り裂く技はなく、三千世界の命を奪う教えもない。
ただの餓鬼の力の押し合いでしかなかった。
「お前が僕だというなら怒って見せろ。僕らの中に人間性があるというなら、あの頃の僕が中にいるというのなら、彼女の死に怒って見せろ。彼女の死を悼まず生きるのならばソレを化け物によこせ」
「良いじゃねぇか。やっと化け物らしくなってきた」
けたたましい金属音が強い力を表す。
剣と刀を交わしながら、叫びあっている。
「あの頃を忘れたというのか。國崎サイガ。僕らが人らしく生きられたのは彼女のおかげだろう」
「忘れちゃいないさ。國崎才賀。だとしても全てを壊す理由にはならねぇんだ」
「人の法で生きるというのなら、僕らは怒りに拳を震わせる自由もない。なら化け物として怒りを叫ぶ、怨嗟を叫ぶ」
「ああならないように生きるんだろう」
「僕らに過去も未来も現在でさえもイコールだというのに?」
「あぁ、過去は変えない。だから人の法で生きるんだ」
その言葉で才賀の力が緩んだ。彼が驚いている隙に刀を力のままに飛ばす。
刀が床に突き刺さった。
「最後は化け物らしく決めようじゃねぇの」
俺は剣を後ろに投げ、拳を握る。
剣が後ろで刺さり、才賀も拳を握った。
「忘れてる訳ねぇだろうが、このタコ!」
叫んで才賀を殴りつける。
握り拳が彼の頬に刺さり、彼の頬、歯、歯茎、舌までも抉って飛ばす。
血飛沫が上がるが彼は痛む素振りすら見せない。
そしてスライムのように頬の肉を蠢かせながら、彼の拳が俺の頭を打ち抜いた。
「だらねぇんばよ、ぼへ!」
俺の頭はおもちゃを壊したようにぐるんぐるんとまわり、首の骨と筋肉、神経や肉を破壊された。
頭を千切り、血肉が再生するのを待つ。
噴水の様に血が出ているのは見てて少し面白い。少し安めのスプラッター映画みたいで。
「お前も俺みたいに生きればわかるよ。お前は昔の俺から分かたれて、化け物になったから」
肩を殴れば腕が飛んだ。殴った方の手の骨が砕けて変に刺さったのか血が噴き出た。
「分かった。……分かったよ。席は譲ってやる。だが、殴らせろ。僕の怒りを発散させないというなら、少しくらい殴らなきゃ収まらない」
もう殴っているだろうというツッコミをする暇もなく彼は俺の頬を殴った。
俺は頬の肉を削るくらいで手加減してやったというのにこいつは俺の頭ごと頬を打ち抜いた。
頭を完全に飛ばされた俺は文句の一つも言いたくなるが、コイツの気持ちも分かる。
俺が俺として生きている間、こいつは怒りの化身として化け物として生きてきた。
それを捨てろと言うのだから怒りもするだろうさ。
だがそれはそれとしてぶん殴る。
今の俺はアイツの事も、母さんと父さんの事も思い出している。
俺に向かって忘れたのか、だぁ?
上等だ喧嘩だコノヤロー。
「は、ははは。自分自身と喧嘩するなんて経験、そうないからな。思う存分やってやるよ」
胸に手を突っ込んで、心臓と背骨を同時に引き抜いた。
彼の目の前で握り砕いてやると、心臓の中にあった血と背骨の欠片が散乱する。
背骨を抜いてやったと言うのに倒れた彼はすぐに立ち上がり、拳を作る。
「人間風情がァ……!」
「化け物風情が言うじゃねぇか……!」
ノーガードの殴り合いは時間の止まった世界で何度も、何度も何度も行われた。
血やら骨やら脳髄やらでとてもお茶の間に見せられない光景で辺りが染まった頃、彼は気が済んだのか拳を握ることを止めた。
「良いよ。持っていきな」
「気は済んだか?」
「済んでないよ。こんな自傷行為で気が済むくらいならとっくの昔にやってるさ。……まぁ、でも納得したんだよ」
「そうかい。じゃあ、お別れだな」
「お別れ? いつでも鏡で会えるさ。……ようこそ、人間。帰れないからって泣くんじゃないぞ」
「おかえり、化け物。もう、夢を想って泣く歳じゃないさ」
目の前の國崎才賀が消えていく。それと同時に血肉も。
俺たちが戦った跡が消えていく。まるで全てが夢だったかのように全てが。
そして少しずつ現実の色が返ってくる。
夢が、覚めるのか。
「おはよう、みんな」
胡蝶の夢
中国のある思想家の語った説話。
昔、ある男が胡蝶になった夢を見た。その夢から覚めた時、人間の己が胡蝶の夢を見ていたのか、胡蝶の己が人間の夢を見ているのか分からなくなったという話である。
どれだけ考えようと答えは出ないのだから、今見えている曖昧な現実を生きればよいと賢人は謳う。
しかし指先に停まる虫けらを人間である男はどうするのだろうか。人として払いのけるのか、虫として笑いかけるのか。




