07話 怠惰
人の気配がする。
その事実は浅い睡眠を漂っていた俺の意識を現実へと急浮上させる。上体を起こし、すぐさま剣を抜く。
周りを見渡すと教会の入口のところに一人の女性が見えた。
黒というよりも深い紫のように夜の空を思わせる髪色をした彼女は俺の方を見て少し驚いていた。
ほんの数秒前にはぐっすり眠っていた男が今にも剣を振らんとしている戦闘体勢を整えているからだろう。たまに夜中に爺さんが襲撃に来る事があって眠りが浅い時限定で反応できるように鍛えられたのだ。
手の届くところに置いておいた剣は今にもその体を振られ切り裂かんと鈍く輝いている。
「敵じゃない事だけは確かだから、その剣をおろしてくれないかな?」
「何者だ」
「ベルフェゴール。それか悪魔、最近じゃそう呼ばれている。あぁ、もしかして君はまだ気付いていないのか」
「何のことだ」
「大罪をその身に宿している事を。それも怠惰」
「身に宿す?」
やれ怠惰だ、やれ怠けだ、何ぞと言われたのは両の手のひらじゃ数えられない程だが、身に宿すときたか。
大罪というスキルのようなものだとでもいうのか。
それとも異能のように宿るもの?
「もしかして……君、この世界の人間じゃないな?」
「理由を聞いても?」
「根拠は二つ。一つ目は君の衣服、それは今のこの世界で作り出すのは難しいものだ。二つ目は魂。確信を得たのは君の魂を見た時だった。魂というのは根源であるが故に色々な種類などというモノは無い。だが僕は君のソレを見たことがない。私も長く、永く生きてきた筈なのにみた事がない、そうなれば答えはひとつだろう?」
なるほど魂。それには気が付かなかった。
確かに魂というものが、産まれた世界すら違う人間で同じという道理もない。
まぁ、それを言われてしまうと例え他の事象で判断していたとしても俺には確認する術がないんだがな。
今のところは魂を見られたと思っておこう。
それにしても魂か、魔力は異世界であるという点から考慮に入れていたが魂という概念を忘れていた。
「一つ聞いても?」
「なんだい」
「大罪とは?」
「権限。この世界において特殊な魔法を使うことが許される権限だ。行使する方法は簡単、世界に呼びかけるだけ。働け怠惰でもおはよう怠惰でも何だって良い」
「起きろ、怠惰」
俺の中で何かが切り替わるのを感じた。オーラというものがもしも俺に見えていたのなら色が変わったような何かが変わった感覚。
それは熱のようでそしてある情報を俺に齎した。脳に情報が迸る。
この熱の使い方。否、ベルフェゴールの言っていた特殊な魔法、それを使う方法。そしてその権限に宿るほんの少しの記憶。
知るというよりも知っていたことになったかのような気持ちの悪い一瞬の激しい酩酊感。
それはきっと一瞬の事だったと思う。だが俺には長い映画のような時間にさえ感じれた。
「これはどうやって戻せば……いや、分かった。とりあえず嘘がないと信じる。俺は才賀」
使う蛇口を変えるような、今まで生きてきた中で一回も感じたことがない感覚。尻尾や多腕のような全く新しい感覚器官でそれは切り替えることが出来た。
気付けば俺の周りからどす黒い瘴気のようなものが立ち上っていた。いや、たった今見えるようになったのだろう。
これが……魔力か。
この権限から得た情報の中に大罪に染まった魔力というものがあった。そして大罪の魔力から戻したコレは俺自身の魔力という事だろう。
初めて使ったという事もあり俺はこの魔力をうまく使い切れていない。ホースが水圧で暴れているような気分だ。
恐らく俺を襲っている生姜を食べたような熱量は制御できていない魔力のせいだろう。
これからは魔力の制御も意識して訓練せねばならないと思うと頭が痛い。
「驚いた。なんか変な感覚がするなと思っていたら、随分と使っていなかったようだね」
「こちとら魔法なんぞ寝物語の世界だったもんでね。んで、俺が選ばれた大罪の担当らしき悪魔のあんたは一体何しに来たんだ?」
「君が得た情報には無かっただろうけど現在悪魔は追放されててね。あんたたち大罪人がいないとこの世界に存在する事すら許されないもんでね。大罪のことを知らずに早死なんてされちゃまた僻地に叩き戻されるのさ」
「なるほどね。アンカーか。そうかぁ……遥々ここまで来たところ悪いが俺は今から寝るぞ」
「太陽はもう昇ってるよ?」
「朝からあんたに起こされて眠たいんだ。もう少し寝ていたかった」
それだけ言い放ち有無を言わさず俺はそのまま椅子に寝転んだ。
なんか言っているような気もしないでもないが知った事ではない。
朝方に来たお前が悪い。昼頃来い。
んぅ……意識が浮上した。
鳥の声は聞こえず肌から感じる外気温は少し高い。つまり昼なのだ。
朝に訪れた悪魔の来訪のせいで少し起床時間が遅れたようだ。
まぁ目の前にいるのに俺が起こされることがなかった事から待ってくれていたというのが分かり文句は言わないが。
「やっと起きたのかい」
「あー、おはよう。まだ用事あったのか」
「何も言わせてくれずに寝たのは君だろう。私は傲慢や暴食のようにやることがなくてね。基本的に大罪人についていくようにしているのさ」
「そうかい」
それだけ言うと俺は体を伸ばし動かす準備をする。
昨日少し動いたから筋肉痛を心配していたのだがそれもないようだ。
自分で言うのも何だが若いから後から来ることもないだろう。
教会を出ると予想通りに太陽が高く昇っていた。
気になるのは今度は何日眠っていたのか……だが確かめようがない。
考えても仕方がない、今日も森で働くとしようか。
国に行く道中ベルフェゴールが気になることを聞いてきた。
「君別の世界から来たと言って言ったけど召喚でもされたのかい?」
「恐らくな」
「恐らく……どうやってこの世界に来たのかわからないって事?」
「眠たくて仕方がない時に召喚されてなぁ……記憶があいまいなんだ」
「あぁ……付き合いは短いけど君ならあり得そうだと思ったよ。それにしても世界間を超えての召喚か。昔ろくでもない事があったからルシファーの奴が封印したとか何とか言ってたけどなぁ」
「昔何かあったのか」
「世界間を超えるとなるとそれこそ上手く指定が出来なくてね。君みたいな少し良くわかんない生物ならいいけど、化け物が来たら困るだろう。昔良くないモノを呼んじゃった子がいてね。大変だったよ。それに世界に穴をあけるような魔法だから環境にも良くないのさ」
世界間だからこそよくわからない化け物を呼んでしまう可能性が生まれる、か。
今回は俺と友人二人が召喚されたはずだ。だがもしかしたらクトゥルフみたいな化け物がやってくる可能性もあったのか。
恐らく召喚したのは俺が今向かっている国だ。
規模が大きいとは言えないあの国のはずだ。どこから召喚する術を手に入れた? そんなリスクを知らなかったのか?
それに戦争もしていないあの国は何故俺らを召喚したのだろうか。
魔王のような天敵への対処ならまだ分かるが……それなら勇者を召喚したのに話を聞かなすぎる。もしそうだったとしたら現代日本人の零摩と立夏とはいえ、士気を挙げる為にも情報が流れていてもおかしくない。
何故?
「お、あの国かい? 目的地は」
「あ……あぁ」
情報が少なすぎる。この事について考えるのは後にしよう。
今度情報を集めるてもいいな。
アイツらが心配だ。
悩み事は眠りにも良くない。早めに解決したいものだが。
「で、何も買わずに森に来たけど良いのかい?」
俺たちはそのまま国を通過していた。
汚れた時用の服を買おうかと悩んだが、まず店を知らない事に気が付いた。
今度ギルドマスターに店を教えてもらって買う事にしよう。
「まぁ、何も買わなくてもいいだろ」
「干し肉……はまだしも水とか必要だろう?」
「あぁ……確かに、忘れてた。まぁ時間がもったいない。今日は早めに切り上げて帰るとしよう」
そういえば必要だった。
それに今度干し肉を買っておくとしよう。興味もあるしな。折角異世界に来たのだから興味があるものを味わうのは大事だろう。それが例えありふれたものだとしても。
そうしてゴブリンでも接敵すればいい訓練が出来ると思いながら数分歩いた。
だがようやく見つかったゴブリンは今にもその命潰えようとしている瀕死の状態だった。
内臓が引きずり出されてぶちまけられ、ひどい匂いがする。
巨大な体躯につぶれて豚のようになっている鼻……なるほど、あれがオークか。
幹かと思うほどに太い木の棒を加工したこん棒のようなものを軽々と持っている。アレで叩かれれば骨は小枝のように粉砕されるだろう。
オークの怪力ぶりは今まさにゴブリンの腹を素手で貫いている事から怖いほど伝わってくる。
「オークじゃん。撤退した方が良いんじゃない?」
「いや、もう遅い」
「あらホント。手伝おうか?」
「いや、いいよ。死にそうになったら……いや、君には残念だろうが死んだらしょうがない。別に助けるなとは言わないが」
剣を抜き放つ。ずっしりとした重さは前よりも少しだけ手に馴染んでいる。
職人の爺に剣を頼んでるからベルトはまだ買ってないのだが、今日は幸運にも同行者がいる。
ベルフェゴールに鞘を預けると俺はこちらを見ていたオークに向き合う。襲い掛かってこないのは悪魔であるベルフェゴールを警戒しているのか、それとも単に俺をなめ腐っているだけなのか。
近くで見るとやはり大きい。3メートルに届かんとしているその巨体は分厚い脂肪に包まれており、二足で立ち今にも襲い掛からんとしている熊のような圧迫感を出している。
この体で体当たりでもされようものなら肋骨は無事じゃすまないだろうな。
これは気を引き締めてかからないと死んでしまうだろう。けれども俺は死ぬわけにはいかない。精一杯足掻いて生き延びなければならない。
オークは俺のことを舐め切っているようで剣を構えてもこちらを見て棍棒を構えようともしない。
恐らく俺の体が小さいこと、大きな傷跡も見えないことから冒険者にあまり襲われていない個体なのだろう。つまりは俺の事を敵だと認識していないのだ。
もしかして若い個体か……? この大きさで若い個体と言われるとさすがの俺も困っちまう。とんだ化け物が闊歩している恐ろしい世界という事になる。
力に任せて押しつぶそうとしているのか、それとも俺が恐怖で動けないと思っているのか、ゆっくりと棍棒を押し付けてくる。打撃というよりも受けさせて、そのまま武器ごと潰す気なのだろう。
こんな一撃で屠れると思われているなら相当侮られている。つまりは好都合ということだ。
こん棒を避ける事は簡単だった。遅いからだ。だが首を狙う事は難しかった。
ほぼ二倍ほどの高さになる首を斬るというのは難しい。突きならば届くだろうが、力が足りない。
うぅん……膝だな。
膝の関節に剣を差し込む。膝には筋肉や脂肪が少なかったようで容易に斬ることが出来た。
そして戦闘経験が浅そうという俺の予想は合っていたようで、棍棒を投げ出してまで膝を抱え込んでしまった。斬られたのだから痛みよりも怒りが勝ちそうなものだが、痛みに耐性が無かったのか防御も気にせずに膝をついている。
つまりは首が降りてきた、という事だ。
今度こそ昔のように斬ることが出来た。少しだけ厚い皮膚と脂肪が心配であったが、そのおかげか骨まで到達せず首の血管をきっちり切り裂くことが出来たようだ。
勢いよく頸から血液を吹き出すオーク。体が大きい為か死ぬのが遅い。人間だと体重量で失血死する血液の量が決まるんだったか。
死を感じ取って痛みを忘れたのか、俺へ向けて手を伸ばそうとしている。
だがそれを見てわざわざ掴まれに行く馬鹿でもない。それに例えもうすぐ死ぬとは言えオークの怪力は俺の命に届くと感じていた。
すぐさまオークの腕が届く範囲から飛びのいた。片方の膝と首の血管を斬られ、大量の血を流している奴には距離を取った俺を殺す術はもはやない。
「お見事。良い腕だね。だけど、詰めが甘い。それにコイツとの戦闘経験がないのも災いしたね。こいつはしぶとくて、面倒だ」
大きくオークが鳴いた。静かな森に叫び声が響き渡っている。
それを聞いて、まずいと思った。当然だ。仲間を呼ばれた。
まずい、まずい、まずい。戦闘経験が浅いこいつでコレだ。年齢も経験も増したオークを相手にするなんてゾッとする。
「しまった。すぐにここから……遅かったか」
大きな足音が聞こえる。目の前に居るオークの足を見ても分かるが、今走り出したとしても俺は必ず追いつかれる。
目の前のオークはもはや前すらも見えていないだろう、ゆっくりと倒れ伏した。
敵ながらこいつはよくやった。死を目の前にして泣くわけでも絶望するわけでもなく、仲間に危機を知らせたのだから。その結果外敵である俺は追いつめられているのだから。
「元々テリトリーが近かったんだろうねぇ」
「参ったな。夜までに帰れると良いんだが」
「どうする? 手を貸してやってもいいぜ」
「いや、もしもの時に俺を担いで逃げてくれ。どうにか出来たら、でいいが。俺は体質上突然倒れる可能性がある。そっちの方が生存率は高そうだろう?」
「ふむ……いいだろう。その代わり危険そうならすぐ回収するからね。死体運びなんてまっぴらごめんだから」
そう言うとベルフェゴールは巻き込まれないようになのか、浮くと空に逃げていった。
あれは……どうやって浮いてるんだ? 思わぬところでファンタジーを実感するものである。マジックでもないのに目の前で人が浮くというのはまこと目を疑うものだ。
まぁファンタジーらしいと言えばらしいデカブツが俺を取り囲んでいるという嬉しくもないファンタジーも目の前にあるのだが。
さっきの個体よりも体が大きく、ところどころに大きな古傷があり俺のことを大層警戒していることからどうやら冒険者との戦いを経験した個体が多くみられる。
これは……ピンチ、というやつか。
こん棒のような武器じゃなく石を研いだような剣……ありゃ鉄か? 服装が貧相である事から冒険者から剝ぎ取ったような武器も混ざっている。
はは、豚畜生が随分と良い武器を使うじゃねぇか。
こりゃ死ぬ……か? 死の匂いが心臓を強く脈打たせる。
「ぶっ殺してやんよ」
死の予感が俺の背筋を辿り首を撫でる。
体の震えをドーパミンで押し流す。
死ぬ訳にはいかない。
オーク
鼻が大きく脂肪が厚いことが特徴の魔物。
何でも食べるが、美食に拘るのか他の魔物に比べて大きな巣を作る事が多い。
だがだからこそ人類にとって要注意の魔物の一種である。
人を獲物としか見ていない隣人なのだから。




