65話 翁は語る
ベルフェゴールが目を覚ました。
体を起こそうとするが、ベッドを捉えるはずだった掌は空を搔く。その違和感は彼女の眠っていた脳の目を覚まし、目を見開きながら己の状況を再確認する。
「ここは」
「平等教が運営している宿屋の一室。昨日までは、だけどね」
ルシファーがそう答えた。彼はベッドの向かいにある壁に寄りかかりながら立っている。
ベルフェゴールが起きたことを確認すると彼は部屋のカーテンを開け、窓を開いた。
「らしくもない負傷じゃないか。ベルフェゴール」
「ルシファー、君がどんな印象を持っているのか知らないけどあえて聞いてあげるよ。私をどういう悪魔だと思ってんのさ」
ベルフェゴールは腕を使わず器用に体を起こす。
そして腕を再生させようとすると彼女の体に、神経という弦を使ったギターをかき鳴らすような痛みが響いた。驚きに彼女は腕を再生させようとしていた手を止めてしまう。
悪魔は人間と違い体を再生させる際少量の魔力で済む。悪魔という生命体にとって体というものは仮初の肉体でしかないために。だが、彼女は今体を再生することが出来なかった。
「最高効率さ。私は君の怠惰を最高効率による労力の最小化だと解釈していてね。ソレ、軽く見積もったとしても全治百年って所かな」
「残念賞、私だってやらなきゃいけない事を放棄して眠ってしまいたい時だってある。治るなら重畳。治らない気でいたから」
彼女は砕けたガラスのようになっている両腕の断面から土塊を魔力で生成し、簡易的な義手を作り出した。数度握り、感覚を確かめている。
座ろうと足を横に動かせば、その瞬間に危機感が彼女の脳を駆け抜けていった。
激しく動かす、つまり戦闘行動や激しい運動に使えば彼女の足は砕け散ってしまう事を確信する。彼女は己の身体がそれほどまでに破壊されてしまったことを悟った。
「死んでいたかもしれないよ」
「死なないでしょうに。私たちに死は用意されていない」
「いや、死んでいたさ。もう少しで君の魂は砕けていた。悪魔たちの中でも主の力を一番多く注がれた私がこう言っているんだ。間違いはない」
沈黙。ベルフェゴールがルシファーの眼を見る。彼の眼は真剣そのもので、ベルフェゴールは数秒見つめ、笑う。
笑い声に至極真面目のルシファーの顔がわずかに曇る。
その曇った顔を見て一層彼女は笑い声を大きくした。
「そうだね。ありゃ死んでた。びっくりさせないでおくれよ。そんなに笑ったら足が砕けちまうだろう」
「私が同胞の命を心配することがそんなにおかしいかい?」
「うん」
ルシファーの声には不機嫌そうな感情が乗っていた。
だがベルフェゴールは真っ向からそれに肯定を返す。
「全生命体への試練にして試験官、そのアンタが悪魔を心配するだなんて……主ですらおったまげて頭を撫でるだろうさ」
「私が変わったと?」
「確かに、確かに……昔のあんたを思い出せばハッキリしてきた。変わったさ。今さっきの顔をサタンの野郎に見せたいくらいにはね」
ベルフェゴールが笑い続け、ルシファーが呆ける不思議な空間は数十秒続いた。
ひとしきり笑い、落ち着いた彼女は一気に表情を強張らせ、一回だけ深く呼吸をした。
ルシファーは彼女が落ち着いた後も納得しないような顔を見せていたが、ため息を一つ付いて無表情に戻る。
「アレ、あんたの管轄?」
「違う。アレを見た時私は試練を見つけることが出来なかった。私の手に負えないものだと、感じたよ」
「傲慢のアンタが無理なら無理じゃないのさー」
「あぁ。三……体としておこうか。三体も止めて見せた君を称賛するよ」
「その結果がこの両腕と足だけどね。それで点数は足りる? 私人類じゃないけど生きてはいるでしょ」
「私に戦えと?」
「戦わないとこの世界が壊れるよ。主の愛した此処が」
「勝機はない。たとえ私が戦ったとしてもアレには勝てない」
否定するルシファーにベルフェゴールは指を一本立て、その人差し指を掲げるように彼の顔の前に突きつけた。
「あるよ、私には一つ」
「その腕のように泥船じゃないだろうな」
「化け物が潜んでる海ならたとえ泥船だろうと乗らざるを得ないだろうさ」
土でできた義手の指をルシファーは見つめている。
「本音を言うなら」
「うん」
「諦めていた。あんなものに勝てるはずがない、と。だが君の話を聞いてやってみようと思ったよ。点数としては少し足りないが、私を説得したという功績をもって君に手を貸そう」
「そりゃよかった」
ベルフェゴールは胸をなでおろした。
彼女が考えている作戦において、最も力を借りるのが難しいと考えていたのがルシファーだった。
例え彼が手を貸したいと思っても彼というシステムがそれを許さない状況になってしまえば、彼の手を借りる事は出来ない。
準備における最大の難関を突破したとすら彼女は思っていた。
「残ってる人員は?」
「嫉妬組のファセスとレヴィアタンは行方不明。色欲の大罪人ロルは撤退した。避難民達の護衛と統制の為にサタンもロルについていった」
「ファセスは何となく勘定に入れてなかったけど、ロルも?」
「妾は怯えてしまった。それにアレを我が母と認識している限り妾は戦力にならんだろう。と言っていたよ」
そしてロルには戦う理由が無かった。
才賀が彼女とした約束は平等教との戦いの協力だった。今の状況はその約束に含まれていない。
ロルにとっては彼女の子孫がいる己の国が大切だった。
「母、か。あの三体のどれかに幻覚作用か認識を弄る何かがいるって事?」
「恐らくはね。それに加えてとても正気に見えない国民を数百人ほど確認しているから、あれらはどうも精神によくないみたいだ」
二人に母という存在は無い。
故に二人は色欲の大罪人であるロルが言っているのだから相当なのだろうという極めてぼやけた危険度でしか認識できていなかった。
「それで、君の言う勝機というのはこの戦力でできるのかい?」
「細い剣を持ったお爺さん来なかった?」
「あぁ、彼なら門の外で焚火をしているはずだよ。サイガの親族を名乗っていた彼だろう」
「うん。それなら……多分何とかなるかもしれない」
「話を聞こうか。どうやってあの化け物三体を倒すって言うんだい?」
「必ずしも倒す必要はない。三体の中でもサイガ以外の二体を足止めしてくれれば、なんとかできるかもしれない」
ギシリと木が軋む音がした。
木造建築特有のその音が会話の小休止となった。
その小休止にベルフェゴールは水を要求し、ルシファーはテーブルに置かれている水差しからコップに水を注ぎ、彼女に渡した。
「アレ……敢えてサイガと呼ぼうか。サイガに一回怠惰の魔力を使って分かったんだけど彼は寝てる状態でもあるし起きてる状態でもあるみたいなんだよ」
「思考実験の話かい? それとも量子的な?」
「違うよ。正確には違うかもしれないけど、あの中に二つ人格がいるんだと思う」
「つまり……二重人格?」
「正確には違うだろうけどね。それこそ魂が二つあるに近しいと思う。そしてサイガは今眠っているんだ」
「成程」
「私ならサイガをたたき起こせる。サイガが起こせたなら、可能性はあると思わない?」
「だがサイガにたどり着くためにはあの二体の異形を止めなければならない。厳しい戦いになるね」
「そーれが問題なのよね」
「僕にやらせたまえ!」
宿の扉が蹴りあけられる。強盗が入ってきたかのような剛音を響かせながら姿を見せたのはペネトだった。
ペネトはずっと扉の前でひそかに会話を盗み聞いていた。そして盗人猛々しく会話に参加するためにこうして登場したのだった。
勿論ベルフェゴールとルシファーは分かっていた。
軋むような音がした瞬間に会話に熱中し、内側に向けられていた注意の線が外に向けられた時。あの時から二人は何者かが扉の前にいることが分かっていたが、無視していた。
ベルフェゴールは異形三体を完璧に閉じ込めたのを視認している為、敵対勢力がいないと分かっていたからである。そして今という緊急時であればたとえ平等教であろうと助力を乞う状況であったからだ。
ルシファーは生きてここにいる生命体を把握していた為だった。
「どうしたんだい、盗み聞きをしていたペネト」
「僕ならやれます」
ルシファーが棘の籠った言葉を放ってもペネトの眼差しは揺れる事すらない。
彼はいつになく真剣な彼女の姿に茶化すことを止めた。
ペネトの瞳にはルシファーの知らぬ熱量が宿っていた。ダンと競い合っていた時をも今の彼女の興奮は超えている。
「君のとっておきの事なら通じないよ。確かにあれはこの世にあるものなら貫くことが出来るだろう。でもあれはこの世ならざるモノだ。君の上司として犬死は許可できないが、何か秘策はあるのかい」
「私の魂を使った魔術なれば」
「待って、その言葉の意味ちゃんと分かって言ってんの?」
ベルフェゴールが話に割り込んだ。
彼女は信じられない物を見るような顔でペネトを見ている。ペネトは彼女の言葉を受けても欠片も陰る事なく前を見つめている。
「それをすれば死すらも許されることない、向かう先は無よ?」
「僕はそれでも……それでもこの魔術の完成を見たいんだ」
ベルフェゴールはペネトから少しの恐怖、そして狂気ともいえるほどの期待を感じ取った。
無に向き合いながらもこうまで期待に胸を膨らませることが出来るのかと、彼女は目の前に居るペネトと名付けられた人間が少し恐ろしくなった。
「分かったよ。許可しよう。魂を使った魔術ならばあの化け物にも通用するかもしれない」
「感謝します。必ず、完成させて見せます」
それだけ言ってペネトは部屋から出て行った。最後まで彼女は期待に胸を膨らませていた。
斧のように訪れ、傷跡を深く残していった彼女は残った二人の悪魔に驚きと尊敬を抱かせていた。
「中に入らないんですか、サイガのお爺さん」
「儂は才賀の祖父じゃない。それに敬語なんぞ使わんくて良い」
月と星の光だけが存在している平原の暗闇に、焚火が揺れて一人の男を照らしている。
その男は何処からか狩ってきたのか獣の肉を火で焼き、深く皴の刻まれたその口元に運んでいる。歯は一つもかけておらず、獣のように硬く鋭い。
調味料をかけずに齧るその肉は食べるのを楽しむという感情は発生しておらず、生きるためのものだった。野生動物のような食事である事がわかる。
「サイガはじいさんって言ってたけれど」
「俺は祖父じゃねえ。それよりアンタ、休まなくていいんか」
「覚悟の上なので」
翁は鼻を鳴らして骨を後ろに投げ捨てた。
ベルフェゴールは焚火のそばに座り、焼かれている肉を見つめた。
「サイガは一体何者なの?」
「知らん。アイツは産まれた時から特殊だった。汗もかかん、糞も出さん。……父親が体質を調べとったが、アイツの身体にはそもそも老廃物というものがないらしい。食った物は全てエネルギーに変えられるんだとよ。勿論表には出ておらんが、体質を知っておる限られた人間は完全生命体と呼んどったらしい」
ベルフェゴールはその言葉を聞いて記憶を漁る。
確かに彼女の記憶の中にサイガがトイレに行く場面はない。
四六時中彼女は才賀と一緒にいたわけではない為翁の言葉はとても信じられるものではなかったが、驚愕を齎した。
「才賀は食事をしてたか? アイツにとって食事は必要なものじゃない。本来なら餓死するような状況でもアイツは生きていただろう」
才賀はベルフェゴールが食物を渡した時しか口に食べ物を運んでいなかった。
彼女は長すぎる睡眠という体質に隠れて、食事をしていないという特異性に今の今まで気が付かなかったのだ。
才賀はもしかしたら食べ物を食べていないのではないかという疑問は、生命は食事をしなければ生きていられないという常識に塗りつぶされていた。
才賀は彼女の知る限り最長一か月眠っていたことがあるのだが、普通人間が一か月眠っていたら餓死する。そして彼女の知る限り怠惰の力には冬眠する力も、眠っている期間カロリーを消費しなくなる力も存在しない。あくまで怠惰の力とは休息するための力であるから、眠りをいたずらに長くする力など存在しないのだ。
ベルフェゴールは大きな驚きに包まれた。そして恐怖に。
彼女は長い時間生命に寄り添い導き続けたが、才賀という生命体はソレとは全くの別物であったことが知らされたのだ。
「ま、それだけなら隠れ住めばよかったんだ。疑似的にだがそれに近くなる方法も無くはない。俺も人の事言えたタマじゃあねぇ。だがそうじゃなかった。アレだよ。あの化け物は元の世界でも一回だけその力を振るってる」
「その時は、何が?」
「アイツが暴れ始めて、俺が来た。これ以上説明する必要はあるか」
「ええ。私は止めるためにも、深く知りたいので」
「アイツぁ一応俺の血筋でね。いたずらに知りてぇ出歯亀なら今切り捨ててやっても良いんだぜ」
「私はサイガの友人なので」
翁はその言葉を聞いて数瞬だけ思考した。
過去を聞くことを許したのか、いつの間にか抜かれていた刀を翁は鞘に収めた。
ベルフェゴールは少しでも自分に黒い好奇心があれば斬られていただろうと、筋肉が硬直し止まっていた大きく呼吸を再開した。
「才賀が五つになる前、才賀と両親が攫われた。俺はガキには関わらないようにしてた頃だった。俺ぁただの人斬りだ。娑婆にいる人間が関わった所でメリットはない。故に助けられなかった」
翁は肉を食べる手を止めて語り始めた。
パチパチと燃える炎を見ながら、翁は思い出している。才賀の過去を。
「人間の欲ってのは怖いもんで、才賀で実験をしたかったらしい。その内容なんざ知りたくもねぇし、俺も詳しくは知らん。奴らは最終的にサイガの感情に目を付けた。アイツの母親と父親はアイツの目の前で頭を爆発させて死んだ」
才賀の過去を知ろうとしているベルフェゴールは己が悪いことをしているような感情に襲われた。
長く人類史を見守っている彼女にとって決して驚く過去ではないのだが、当人の知らぬ場所で其の過去を知ろうとしている事が彼女の心を暗く染める。
人類史のリセットという人間の欲が巻き起こした歴史を知る、数少ない生命体であるベルフェゴールは人間の欲の凄惨さを知っている。
「異様なエネルギーを感じ取り始めて俺はその場所へと行った。計り知れないそのエネルギーを嬉々として記録し続ける奴らを切るのは簡単だったぜ。首をなくした死体とそれを見つめて涙を流し、絶叫する才賀を見ちまったら……アイツらを斬るのに慈悲の心すら生まれなかった」
「その時にアレが?」
「違う。あの化け物はまだ目を覚まさなかった。俺が行かなきゃ直に目を覚ましてたかも知らんがな。だがそれでも俺はその時才賀の中に鬼を見た。……鬼って言っても分かんねぇか。簡単に言やぁ化け物だよ、化け物。コレが目を覚ませば大変な事になる、そういう直感。俺も似たようなモンだからなぁ、分かんのよ」
「お爺さんも?」
「あー、そういや名前教えてなかったか。だが無いもんは無いからなぁ」
初めて動揺するような困った表情を見せた翁。
がしがしと頭を掻きながらどうしたものかと小声でつぶやいている。
「そうだ。名前じゃねぇが、國崎と組み合わせて……ほれ、こう書いて大國で良い」
「オオクニ……?」
「あぁ、読めねぇか。そりゃそうだ。コレがおおで、國崎の國を続けてオオクニで良い。本当はオオって読まないんだが最近は読むらしいからそれでいい」
大國崎と地面で足元に転がっていた骨で書くと、大國の部分をまるで囲ってベルフェゴールに見せている。
だがベルフェゴールは日本語を読むことが出来ずに、翁の言葉を繰り返すのみだ。
説明されてオオクニという文字を認識したベルフェゴールを見ながら、俺が神様の名前を名乗るとはな等と誰に聞かせるわけでもない小声で呟き自嘲する彼は話を続ける。
「俺が才賀の祖父じゃねぇって話はしただろう?」
「剣の師匠って意味かと受け取ったけれど」
「それも合ってるがな。俺はあいつの先祖よ。何代ほど離れてるのかとか、知ったこっちゃねぇがな」
「一体、何歳……?」
絞り出した言葉はその一言だけだった。
皴を刻み、肌は枯れ木の様に肉に張り付いてはいるが彼女の予想する年齢と翁の言葉は酷く乖離していた。
忍耐の枢機卿という長く生きる例外はいたものの、それは平等教の力を持って為したもので彼女は目の前の翁から特別な力を感じなかったからこそ驚いた。
「知らん。数えるのも面倒だ。ただの死ねない呪いでしかねぇ、それで納得しろ。俺はそのなっげぇー人生で蓄えた技術を才賀に教えた。なんでだかわかるか?」
「全く」
「あいつが自衛できるようになれば、化け物が目を覚ます必要もなくなる。アイツが自分の大切なもん自分で守れるようになれば失う事も無くなるだろうよ。ただ……一つ予想外だったのは悪意ってもんがそれを上回っちまったって事よ」
老人の顔が苦悶に歪む。
ベルフェゴールには彼の脳裏に浮かんでいるであろう記憶をはかり知る事は出来ないが、彼の顔のこわばりが感情を彼女に伝えていた。
「両親を殺された。それにあいつは体も特殊だ。それに加えて俺に鍛えられると来たらちったぁ擦れる。同年代の人間と馴染めるはずもねぇ。だが人間ってのは不思議なもんであんな薄気味悪い餓鬼によってくる奴もいた。それが良かったか悪かったかなんぞわかりゃしねぇが。お前も長く生きてるならわかるだろう?」
「まぁ、なんとなくは」
「案の定友達を人質に取られたあいつはまた捕まった。人質を取られちまったらどれだけ強くても無駄だったわけだな。そして両親を殺した奴らはその唯一の友人に目を付けた訳だ。俺も詳しくは知らん。結果しか、な。奴は友人を斬り殺した」
友人を斬り殺すというあまりにも才賀と繋がらない言葉にベルフェゴールは唖然とする。
友人を救うために東奔西走していた才賀が友人を殺すとは彼女は思えなかったのだが、翁の言葉に嘘を感じなかったが故に酷く動揺した。
「ぐちゃぐちゃのバラバラ。生き物も建物も全てそうだったのに例外は三つあった。アイツの友達の首、そして体。そんで細胞を暴走させたのか、キメラみてぇにツギハギしたのかは知らねぇがよく分からんことになってる正体不明の死体だけだった。その二つの生き物は才賀が斬った。教えた俺が見たんだ、それは間違いがない。俺が知ってんのはそれだけだ」
ベルフェゴールは先日見た変わり果てた女の姿を思い起こさざるを得ない。
あれこそが才賀のトラウマなのではないか、と思ったからだ。
友人を殺さなければならない状況、そして怪物の死体を残す理由、それらと先刻見たあの惨事とが噛み合った音を彼女は脳裏で聞いた。
「まぁ、あの化け物三体……あー、二体か。あの二体の化け物は出てきていなかったが、才賀一人で例外以外はごみのように殺されるだろうし、虫のように死んどった」
「それで、止めたのはどうやって?」
「奴は化け物だが、体は人間だった。アレはただの指先みたいなものだ。だからそこを斬り落とした。あそこまで深く繋がっちまった今、もうその手は通じないだろうが」
「じゃあどうする気で此処に?」
「俺はあいつを殺しに来た。アレはもう落ち着くのを待つか、殺すしか方法はない。そしてあの餓鬼の癇癪に耐えられるほどこの世界は強くない。世界の残骸に塗れて正気に戻ったアイツが耐えられるとは思えん。なら、俺はアイツを殺す」
才賀を殺すという言葉にベルフェゴールは緊張を覚えた。自分自身よりも遥かに才賀と親しいであろう翁の口から殺すという言葉が出たことは、彼女を戦慄させるに足りるものだった。
そして彼女は、翁の表情から本気だと感じている。彼を放っておけば本当に才賀を殺しに行くのだろうと悟った。
「私に考えがあります。上手くいけばサイガを止められる」
「やめとけ。失敗したらろくでもねぇ事になるぜ?」
「だとしても」
「アイツとそんな仲良くなったのかい」
「そこまで深くは関わってないけれど」
「だったらなんで」
「それでも、諦められない。出来るかもしれないのに殺すしかないなんて思いたくない」
銃口のような瞳孔を向けられているベルフェゴールは真っすぐ見つめてそう言った。翁に見つめられている間、縄が軋むような緊張を感じている。
刃のような鋭い沈黙の後翁は力を抜く。そうして一齧り、肉をほおばった。
ベルフェゴールはその瞬間に感じていた死ぬかもしれないという首筋に当てられた鋼のような怖気が引いていくのを感じていた。
「話を聞こう」
義手
土で作られた義手。
魔力を通された為に自由に動かすことが出来るが、感覚が無い為義手でしかない。
簡易的に魔力で義手を作る事は一般的であり、富裕層や手の感覚が大事な冒険者や武術家は魔力が通りやすい木を使って特注の義手を作る。
例え代替出来たとしても、腕を失ったという現実に変わりはないのだが。




