61話 慈悲と平等
才賀たちの目の前に最後の門番が立ちはだかった。扉の前に二人の男女が立っている。
一人は枢機卿であり、一人は教皇である。二人を通り過ぎる事は不可能であると才賀とベルフェゴールは確信した。
慈悲の枢機卿であるクンシラがT字の剣を振るう。それに反応してベルフェゴールと才賀が動く。
一瞬剣を抜くことを躊躇する才賀、その体が硬直した才賀を突き飛ばし己も退避するベルフェゴール。
才賀は転がされ、勢いで抜けた剣を見る。剣を見ればそこには彼自身が映っている。研ぎ澄まされた鋼は才賀を映し出していた。
「随分なご挨拶じゃないか。アンタがいるって事はその扉の先が私たちの目的地って事で間違いはなさそうだね」
教皇は敵を目の前にしても動じることなく、落ち着き払ってその言葉を受け止めた。彼は襲撃を受けているというのに微笑みを携えている。外では煙があがり、建物が壊され信徒の命が散らされているというのに彼は汗一つかいてはいない。
クンシラは彼の横に立ち、二人の動きを注視している。
「でなくても、ここまで侵入し、ここまでこの国を荒らしまわったテロリストたちに攻撃するのは当然の事だと思うのですが。罪人の常識はそうでないと?」
「そりゃ順序が違うってもんよ。私らは幼気な子供達を誘拐して良からぬことをしようとしている邪な野郎どもの本拠地を襲撃してるだけなんだから」
「見方の問題でしょうに。話し合いをしないのは賊のやる事では」
「知ってる? 賊相手に交渉をする馬鹿はいない。それに話し合いで解決するような精神してるなら誤解してたから今のうちに言っておいてくれ。次に生かすから」
「同じ言葉を返しましょう。賊相手に交渉はしません。信仰を持たない野蛮な人には殊更」
「信仰と妄執を履き違えた奴に言われたかないね。サイガ、いけるかい」
ベルフェゴールが突き飛ばした先を見るとゆらりと才賀は立ちあがってる。
彼女はそれに何処か不安を覚えたのだが、それを鑑みる時間を今彼女は持ちえていなかった。
才賀は抜き放った剣を一度振るい空を裂いて体の感覚を確かめると、持っていた剣からベルフェゴールへと視線を移す。
目が合った瞬間才賀を攻撃しそうになった反射的な感覚に混乱しながらも彼女は彼を見つめ返した。
「教皇相手に時間稼ぎするとしたら何秒出来る?」
「一分。それ以上はダメージを抑えらんない。再起不能になってもいいなら二分」
「充分だ。一分時間を稼いでくれ」
彼らが話している間教皇たちは何もせず見ていた。彼らの目的は時間稼ぎであり、才賀たちの殲滅ではない。つまり話し込んで時間が経つという状況は教皇にとって好ましかった。
だがその沈黙も才賀が彼らに話しかけたことで破られることになった。
「クンシラ、お前を殺してやる。だから、さっさと来い」
「私が殺してあげるのではなくって?」
「力不足だろ」
嘲笑の籠ったその言葉にクンシラは飛び出した。教皇が呼び止めるも彼女は止まることはない。
彼女も挑発であると理解していたのだが、挑発であると切り捨てるにはその言葉に込められた見下す感情は本物すぎた。
クンシラは腹を立てた訳ではなかったが、その挑発に乗った。彼女の眼には彼が哀れに映ったからだった。
「ベルフェゴール頼んだぞ。二人はだりぃ」
それだけ言って彼はベルフェゴールから距離を取る。後ろに下がりながらも、クンシラの攻撃を的確に避けている。
時間を稼ぐ、という目的が奇しくも揃ってしまった両者であるが、平和な解決はあり得なかった。
クンシラという戦力を減らしてしまった以上教皇としても動かざるを得ない状況になり、目の前の怠惰の悪魔ベルフェゴールを打ち取らんと動き始める。
そしてクンシラは感情の昂ぶりに任せて剣を振るう。才賀は最小の動きでそれを避けていた。ゆるゆると避ける彼に彼女は煩わしさすら感じていた。
不可視の斬撃であるのに彼が避けれているのは彼の眼が一秒たりとも彼女の動きを見逃さなかったからであり、勘でもある。
一歩間違えれば首が飛ぶという状況であるにもかかわらず彼は脈拍一つ、体温一つ変わることはなく落ち着き払っている。
ただぼんやりとクンシラの事を見つめていた。
「貴方、誰? 私の知ってる人ではなさそうけど」
「そりゃ勘違いじゃないか? 俺は才賀以外の何者でもないが」
「そう。じゃあ見ない間に異常者になったのね。可哀そうに、速やかに死なせてあげないと」
「あげないと……何だ?」
「哀れじゃない。貴方みたいな突出した人間にとってこの世は苦しみしかないのだから」
クンシラはそう言い切った。死ぬ事が幸福だ、という意思が彼女の斬撃を防御不可能のものとして迫っていく。
才賀はだらりと脱力して、彼女が剣を振るのを見ていた。回避する様子はない。
昏い瞳で見ている。
「面倒だ」
誰に聞かせるでもなく彼はそう呟いた。
そして一振り。剣を振るう。彼女の斬撃を、慈悲の防御不可能である斬撃を避けるまでもなく、ただただ、剣を振った。
剣でそれが防げるはずもない。剣は切れて、彼の体が分かたれ、臓腑をまき散らすのが道理だった。
けれどその道理は覆された。
「何をしたの?」
「まぁ、理解しないまま死んでくれ」
激しく動揺して問うクンシラに対し、ガシガシと頭をかいてそう返す才賀。
いくら待っても彼女の斬撃が才賀を傷つける事は無かった。
「何をしたのって言ってるの!」
錯乱したように斬撃を放つクンシラに対し、才賀は剣を振りながらゆっくりと歩き近づいていく。
彼女はその慈悲を拒否されたことが無い。あるはずもなかった。故に突如彼女の慈悲である殺意を跳ねのける彼の存在を認める事が出来なかった。
けれど斬撃を斬りながら歩く才賀に何も変わりはなかった。
暴れる彼女を目の前にしても、彼の瞳には何も映っていない。
「在るというなら斬れるのが道理だろう」
「え?」
「理解したなら……それでいいか?」
クンシラの、剣を握っていた右腕が落ちた。
彼女の目の前で絵空事のようなことを言う才賀は剣を振り上げ、見下ろしていた。
クンシラはそれを見て錯乱するわけでも、怒るわけでもなく、恐怖などするはずもなく。
彼女はただ落ち着いている。心に一つのさざ波も無くなっていた。生涯を殺人という人に理解されない慈悲に捧げてきた彼女は目の前に死が立っている今、心底安心していた。
劣等を罪とし、死を救いとした彼女は今己が劣等であるという事を理解し、死を受け入れた。
クンシラが微笑む。
「やっと、死ねるのね」
「そうだな」
クンシラの首を剣が通り過ぎた。
彼女の首は飛ばず、ズレず、それでも彼女は息を引き取った。
崩れ落ちる彼女を確認することも無く才賀は踵を返していた。一分はもうすぐ経とうとしていて彼は帰っていた。
倒れ伏すクンシラは穏やかな顔のままだ。彼女の断末魔が全くの静かなものだったのを表すかのように。
慈悲の枢機卿クンシラはその人生を終えた。
才賀が戻ろうとしている時ベルフェゴールは傷だらけになりながらも逃げまわっていた。
彼女は大きな傷でなければ治すこともせず、血を滲ませている。
「雑に枢機卿の力全部盛りって卑怯じゃない?」
「平等ですよ。彼らが出来ることは私にもできないと平等ではないでしょう」
「クソ野郎」
教皇の体は傷がつかず、攻撃を防ぐ事は出来ず、そして攻撃を当てようとぴくりとも動かない。
ベルフェゴールは彼を倒す手段を持っていない。勝つ手段がない彼女はそれでも諦めることはなく、才賀につなげるためだけに逃げ続けていた。
「止まれ」
彼女は舌に怠惰の魔力を纏わせてそう言葉を発した。
一瞬だけベルフェゴールの目の前全てが止まる。怠惰の魔力の力であっても一瞬が限界だったが、その一瞬は彼女の命を救った。彼女が横に跳んだ瞬間に元居た場所が燃え盛る。単なる魔法であるからして怠惰魔法で止める事は出来たが、多くの魔力を含んだそれはもし当たれば小さくない傷を負うだろう。
その間も教皇の感情に波が起こることはない。ベルフェゴールを倒すことが出来ていないにもかかわらず。
教皇は自分が与えられた力を信頼していた。彼の主から与えられた力を心の底から信頼している彼は不安というモノとは無縁の人生を送っている。
己が負けることなどあり得ることはなく、使命を果たさずに倒れる事は想像もしていなかった。
だからこそ、ベルフェゴールを無理に倒そうとする事は無く、時間が過ぎるのを待っている。
故に彼が来た。
「サイガ!」
才賀が戻ってきた。
教皇の前に立ち、じっと彼を見ている。
「戻ってきましたか」
「死ぬか、退くか」
才賀の声は冷たかった。そこに感情は込められておらず、機械的な問いかけだった。
「私を殺せると?」
才賀の返事は剣の一振りで、それは教皇の首を捉えている。けれど彼の首が切り裂かれる事は無かった。
鉄の塊が喉に当てられたというのに教皇は少しも動くことなく才賀を見据えている。
必殺の感覚があったというのに死んでいない教皇の姿を見ても、才賀は疑問を抱いてはいなかった。間違い探しのように剣を振った後と振る前とでは違いを見出す事は出来ない。
首を斬られようとしている教皇も、首を斬ろうとしている才賀も感情の揺らぎが無い奇妙な光景だった。
一撃を入れ、距離を取っている才賀は二度三度と空気で剣を斬り感触を確認している。
「気を付けろサイガ、慈悲の奴の能力も使ってくるぞ」
「あぁ……成程。変な感覚だと思ったらそういう事か」
ベルフェゴールの言葉を聞いて才賀の眼が細められる。首を傾け見上げるように見ている才賀の前で、彼は杖を振り上げた。
その杖には刃はついていない、鋭さのカケラもない。だがベルフェゴールは身体の節々に切り傷を付けている。だというのに彼は刃物を持っていない。故にその殺傷能力を示している。
「死に」
「給えよ」
教皇が杖を振るったが、何も起こらなかった。初めて教皇の顔に驚きが現れ、感情に波紋が起きた。
殺意を込めて、杖を振ったというのに才賀の身体には傷一つ付いていない。その事実が教皇を酷く驚かせた。
教皇が攻撃をしたというのに才賀は避けようともしていない。
ただ、剣を一度振っただけだ。
「何を……した?」
教皇の信頼は揺るがされた。慈悲の力を防ぐ事は出来ない。大罪の力をもってしても止める事は出来ても、受けて耐える事は出来ない。防ぐことが出来るのは同じ平等教の主から齎された忍耐の力でなければならないはずだった。それが教皇の認識であり、それはベルフェゴールも同じように思っている。
しかし才賀は剣をたった一回振るだけで防いで見せた。
「説明はしない」
才賀はそう言っているが、ベルフェゴールは説明してほしい気持ちで一杯であった。
彼女には教皇が何を言ったのかも分からず、急に彼が錯乱したようにすら見えている。彼女が何が起こったのかを考える、彼の放った言葉は二つあった。誰もその言葉の間に声を発していないというのに彼女の中でどうにもその言葉が繋がらない。
才賀は教皇の声を斬っていた。斬るというのは二つに分ける事である。彼の話した文章は二つに分けられてしまっていた。二つに切り分けられた文章はその意味を破綻させてしまったが為に、彼女に正しい意味を届けることが出来ない。
死に、と給えよ、では意味が宿らない。意味のない言葉を口に出しながら杖を振ったところでそれではただの奇行になってしまう。慈悲は善意をもって慈悲とされる、善意が伝わらなければ受け取る事も出来ない。
「平等」
「教に」
「下れ」
「異世」
「界人」
「の異教」
「徒よ」
「時間が無いんだ。死なないならそこで転がっていてくれ」
信仰心を送り付ける救恤の力も切り刻まれて落ちた。
そして教皇の腕も足も同様に。
「う、うあああ!」
教皇は叫んだ。穏やかな顔は崩れ去り、恐怖に染められた顔は長く敵対してきたベルフェゴールであっても同情を禁じえないもので、ガラスを割るように響くその悲鳴は彼の人生で初めての絶叫だった。
忍耐の力が破られた、己の主である神の力が絶対のモノでなくなった絶望もその悲鳴には込められていたのだが、恐怖の根源はそれだけではない。
ばらばらに倒れ、己の体を支えなくなった足に。やたらめったらに己の体から離れていく己の腕に。彼は恐怖した。
そしてそこには未だ己の感覚があった。斬られた足の指が動かせる、落ちた腕の指の震えが伝わってくる。
未だ体から離れたはずのその体がピクピクと動く、否。滑らかに動いている。
教皇が己の体を芋虫のように動かし、見てみれば血液も出ていなかった。離れた体に己の血液は供給され、帰ってきていた。血管が見えているのに、血液が漏れ出ず接続されていた
彼にはこの状況の何一つでさえも理解できない。
ただ一言、黒く塗りたくられた思考から言葉が出た。
「悪夢だ」
教皇の口から出たそれは悲鳴であり、恐怖であり、絶叫だった。
「ベルフェゴール、急ごう」
才賀はそう言った。勝ちの喜びも、すぐそこに目的が達成されようとしている期待も無い。
ベルフェゴールは教皇の感覚も恐怖も分からない。彼女はただ頷いた。
転がっている教皇に彼らを妨害することが出来るはずもなく、才賀たちは最後の扉に手をかけた。
だが恐怖に染まった教皇の脳内に一つ希望が芽生える。
ずっと発動していた能力が解除された。ただそれだけの事実だった。
「はは、悪魔め。儀式は終わった。もはや手遅れ。たった今勤勉の能力が解除されたぞ。この私の目的は達成されたんだ」
才賀の眼が教皇に向けられる。真っ黒なその目を向けられて、彼は脂汗がにじみ出る。
勤勉の能力とは一つの仕事を終えるまで死なない、ただそれだけの能力だった。
だがその能力が解除されたという事は、彼の仕事は終わったという事である。それは教皇の恐怖に染まった精神に希望の光を齎した。
「悪魔よ、主の裁きを受けよ」
からから、からから。狂ったように教皇は笑っている。
主への信仰の揺らぎ、悪夢のような体の変化は彼の精神には衝撃的すぎた。
もはや彼は正気を手放していた。
「惜しいな。俺は悪魔じゃない。ただの化け物だ」
才賀はそう彼に言うと扉を開けた。
夜明けは近い。
慈悲の剣
慈悲の枢機卿クンシラが使っていたT字の剣。
幾つもの命をその慈悲をもって散らしてきた細い剣。剣としての質は度外視であり、ただ早く振るためだけに作られたモノ。まともに剣として使えばすぐに折れてしまう欠陥品。
クンシラの思想は完璧に平等教の理念と合致していた。故に平等教に抗うもの、つまりは何かを進歩させようとする者を全くの善意で殺してきた。それが最善であると彼女は信じて疑わなかったから。
ただその慈悲を受ける順番が、彼女に回ってきただけの事。




