57話 救恤
道を急げば敵に当たる。ここは敵地であるというのだから当然の因果だった。
マーフィーの法則というには強引すぎるかもしれない。
才賀たちは急ぎたい、そして相手はそれを止めたい。
故に彼らの目の前に男が立ちふさがったのは当然の結果だと言えるだろう。
男は純白の衣を身にまとい、開いていた本を横に控えていた信徒に渡す。
「私が死んだら、この本を参考に布教を行いなさい」
受け取った信徒は恭しく受け取ると下がった。
男は走ってきた才賀たちの道を塞ぐよう後ろに控えている信徒たちへ指示すると、優雅に礼をする。
白い服を着た信徒たちが並び、白き壁が築かれた。
「来ましたか。愚かな罪人たちよ。信仰を持ちな……」
「話させねぇ。黄色い目、貴族のような話し方。貴様を俺は知っているのだから!」
拳が振られた。嵐のような炎が男と才賀たちの間に吹き荒れて、信者たちは藁のように吹き飛ばされていく。
言葉は空気を伝達する。空気が燃えれば音も燃え尽きる。男の言葉は炎の轟音によって上書きされ、灰になって消えた。
「救恤の枢機卿カトルロット!」
「人の名前をそう叫ぶものではありませんよ。……私は貴方を知らないのですが、何処かでお会いしたのでしょうか?」
「俺も会ったのは初めてだ。だが、俺はお前によって壊された国を数々見てきた。お前によって生み出された悲しみを幾つも見てきた」
「あぁ、そうですか。愚かであるというのは大変なのですね。信仰という尊きものを持ちえない者は要らぬ悲しみを背負うことになる」
「貴様……!」
ラオの体から炎が立ち上った。怒りの炎が天を衝く。
才賀は目の前の枢機卿が何をしたのか知らない。知っているものも当然居たが、ラオの怒りはそれ以上に燃え上がり、彼に圧倒されていた。
「ラオ、任せても?」
「あぁ。それでサタンも良いか」
「異論はない」
「恩に着る」
才賀たちは走り出すのだが、それを目の前の男が許すはずもなかった。
目の前に立ちふさがり攻撃を仕掛けようとするが、目の前に炎が広がり彼は囚われた。
生物的恐怖により立ち止まる枢機卿カトルロット。彼の肌を目の前の炎が焦がしている。突っ込めば無傷で済まなかったであろう。
「お前の相手は俺だと言っただろう。救恤の枢機卿」
「火遊びとはまた危ない事を。残念です、奴を逃してしまいました。……まぁ、大罪人と悪魔を足止め出来ているのだから良いとしましょうか」
「貴様は何故あんなことできる。何故貴様は人の心を汚せる!」
「申し訳ないのですが……私は貴方がなぜそう怒りを持っているのかわからないのです。より良い心になるのですから私に感謝すべきなのでは?」
ラオはもはや限界であった。彼が気が付くと拳を振りぬいていた。
拳が的中したカトルロットの頭はいとも簡単に飛んでいき、壁に激突してごみのように落ちた。割れた骨の中から肉と血のはみ出たそれは湿った音を響かせる。
人であったなら致命傷。頭が熟れたトマトの様にぐじゅぐじゅになっているそれを治すには人の範疇を超えた魔力がいる。つまりは致命傷である事をラオは確信した。
だが、彼は立ち上がった。
彼の目の前で倒れた体から頭が生えて、嘘のように元の形に戻っている。
壁にはカトルロットであったものが未だ残っているが、彼は立っていた。
「どうやって生き返った?」
「神の指先である枢機卿の私の死を肩代わりできるというのは、きっと栄誉な事でしょう。そうは思いませんか?」
ラオは長い旅路の中でそういった魔法があるという事を知っていた。だがそれは肩代わりさせるものではなく、己の全てを使って大切な人を救うための自己犠牲の魔法。
美しき人の美徳を汚された気がして、ラオは歯を噛み砕かんとするほどに軋ませた。
ラオは怒りを感じ取れた。それは憤怒の大罪を授かった時に発言した能力である。故に彼は人の感情というものに敏感である。
嘘をつかれれば嘘だとわかり、悪意ある発言を聞けばその悪意を嗅ぎ取る。
今の発言から彼は悪意を感じ取ることはなかった。
本心で、純真で、親切心で彼は己の死を己の能力下にある作られた信徒に肩代わりさせたのだと、わかった。
「信徒たちよ、私に魔力を。信徒たちよ、私に武具を。信徒たちよ、私に全てを。捧げなさい、それこそが最善なのだから」
カトルロットの体から魔力が湧き出る。それは世界中にいる幾千もの信者が捧げた魔力で、それは無尽にも及ぶ。そしてその信者は全てカトルロットの力によって作られたものだった。
彼が手を前に突き出せば上等な剣がその手に握られる。一度瞬きをすれば彼の体は輝くほど白い鎧に包まれていた。
「お前は必ず殺す」
「愚かさは人間の眼を塞ぐ。嘆かわしい……私を殺すという事の意味を分からないのでしょうか」
「わかっているさ。例えどれだけの人間を殺すことになろうとも、お前は殺す。俺が俺であるためにお前は殺さなきゃならない」
ラオは憤怒の大罪人だ。彼は怒りによって自らの殻を突き破り、怒りを聞き続けた。
故に心を至上として生きている。
だが目の前の男は、救恤の枢機卿カトルロットは心を歪め、蒙を啓き続けてきた。
そしてそれを是と信じている。
分かり合う事のない二人だった。ラオは怒る事しかできず、カトルロットは愚かとしか思えない。
ラオは目の前の相手を殺さねば、これから起こる悲劇を見逃してしまった自分を焼いてしまう。
今でさえラオの体から迸る炎は彼の肌を焦がしていた。
これまでカトルロットを殺しに来ていなかった自分に、目の前の男をすぐに殺せていない状況に、怒りは燃え上がる。
今目の前に生きているカトルロットがいるという事実がラオには許せなかった。
不倶戴天の敵を前にラオは拳を握る。
「そうですか。貴方は信仰を拒否していて、大罪人です。同じ信仰を持てないのは残念ですが……今すぐ殺して差し上げるのが最善でしょう」
「カトルロット……!」
ラオの拳をカトルロットは岩を魔法で生み出し防いだ。拳は岩を砕くが、カトルロットの生み出す岩はいくら砕こうとも尽きる事は無かった。無尽蔵の魔力を使える彼だからできる事だった。
けれどもラオの歩みは止まらない。岩で彼は止められない。
光が歪むほどの魔力が込められた剣が振られたが、ラオの目の前で融けて落ちる。雫のようになった金属ではラオの肌を切り裂く事は出来なかった。
「水よ」
カトルロットが大量の水を空中に生み出した。
水は超高温の者に触れると爆発的に気化し、体積を爆発的に増加させる。爆弾にすら負けることはない威力を生み出した。
ラオの近くに生み出された水はその姿を現した瞬間全てが気化した。
瞬間的に生み出された水蒸気が辺りをなぎ倒していく。
「信徒の命を何だと思っている?」
「貴方を殺す為なのです。きっと私に感謝している事でしょう」
超高温の水蒸気によってカトルロットは死んだ。肉体が剥がれ、脳が弾けながらも熱によって破壊された。
だがすぐに信徒の命を使って生き返った。ぐずぐずになった皮膚が傷一つ無い柔らかな肌に戻ったのだ。
ラオは足をめり込ませ、踏ん張ることによって耐えていた。
「そうか、死ね」
ラオがカトルロットの頭を殴りつけて地面に叩きつける。
拳が頭を貫通し、纏っている炎によって肉は全て焼けた。炭化した肉体が崩れて頭蓋骨が露出する。
だがすぐにカトルロットの傷は癒えた。
拳が初めからあたっていなかったかのように、首を動かしてこぶしを避けてカトルロットは無傷だ。そしてラオのことを見ている。
「貴方に信徒たちの声を聞かせてあげましょう。さすればたとえ愚者であろうとも罪を自覚するでしょう」
ラオの頭に今わの際が流れ込んだ。
流れる涙、痛みに叫びながら虫のようにうごめく姿、達成感と恐怖に塗れた顔。死の際にあるその光景を彼は強制的に見せられていた。
ラオの体を包む炎がその勢いを増していく。彼の皮膚が炭化していく。すぐに魔力によって修復されるが治った皮膚もすぐに炭と化した。
「お前は、それを消費して生きながらえることに対し……何も思わないのか?」
「ええ。私が生き延びる方が多くの蒙を啓けます。つまり、善という事です。それに、大罪人を処することが出来るのならば、喜んで私に命を渡してくれるでしょう」
「もう、やめだ。ごちゃごちゃ言うのは。……今から俺は憤怒らしく怒りを以てお前を殺す」
口を開きかけたカトルロットの頭は拳で吹き飛ばされた。
だが瞬き一つでそれは消え失せ、カトルロットは剣をラオの頭へ向けて突いた。だがラオが一度息を吐けば剣はドロドロに溶けてしまい、そのまま高温の空気によりカトルロットは焼け焦げた。
その一瞬で二度カトルロットは死に、二人の信者の命を使って蘇った。
カトルロットは接近戦に分が悪いと感じたのか、距離を取り信者たちから徴収した魔力を使って一山ほどの土や石を作り出し、ラオのことを埋めた。
土や石が溶けていく。流れるソレにカトルロットが己を焼かれないように消そうとした瞬間、飛び出したラオに心臓を掴まれ、焼き肉にされて死んだ。
カトルロットは物質でラオにダメージを与えることを諦めた。魔力で強化した拳でラオに攻撃を与えようとする。それは確かに効果があったが、すぐに太陽へと近づいた彼は焼かれた。
ラオのことを一発殴るたびにカトルロットは肉体が一瞬で焼かれて炭になった。
だが彼は信徒の命を代償に生き返り、ラオにまた攻撃を与える。
肉体が一瞬で焼かれる痛みを感じているのにも関わらずカトルロットは止まる事は無かった。
それを何百ほど繰り返しても、数千もの命を消費しても、救恤の枢機卿カトルロット、その目は曇る事も無く、止まる事もない。
ラオは洗脳された無辜なる信徒の命を奪っているという己への怒りで身が焦がされていた。
魔力で癒していると言えど徐々に末端から灰になって崩れており、もはや彼の指は半分ほど無くなっていた。
されど彼は怒りを燃やすことを止めなかった。大罪の力を消してしまえば、炎を消してしまえば彼はすぐにでも楽に死ねた。カトルロットが手を下す間もなくラオの体は限界だった。
だが彼は怒っていた。怒り狂っていた。洗脳し望まぬ信徒を作り出し、果てにはその全てを徴収せんとする目の前の男に。
それを野放しにし、そして未だに殺すことの出来ていない己に。
「疲れてしまいましたか?」
ラオは気付けば膝を突いていた。
怒りの炎は未だ消えていなかったが、身体がもたなかったのだ。
一瞬彼の意識は途切れていた。
「一万と飛んで数百、でしょうか。あと数万ほどで私の命に届きますが……無理そうですね」
「無理……? 数えなおしてみろよ。見落としがあるかもしれないぜ」
力を振り絞って立ち上がったラオがそう言う。
カトルロットが怪訝な顔から少しずつ汗をかき、青くなっていく。
恐ろしい事実に気が付いたかのように眼を震わせ、動揺していた。
「何故……? そんなに私は、死んでいない」
「ここに残ったのは俺一人だったか?」
「……サタン! 奴はどこに…………そう言う事ですか」
ラオと一緒にこの場に残っていたはずのサタンは何処にもいなかった。
カトルロットは辺りを必死に見渡していたが、サタンの姿がどこにもないと分かると、動揺も収まり落ち着き払った。
「はは、一万と何回も殺しても汗一つかかなかったお前が焦っているのを見るのは気分が良いな。もっと動揺してくれても良いんだぜ?」
「確かに、驚きましたが……私の命を懸ける時が来たというだけです」
「安心したよ。その言い方じゃ、あと数百回もなさそうだな」
「ですがあなたも満身創痍では? もはや立っているのも奇跡でしょう。例えこの後来るサタンに殺されるとしても、貴方を私の命を懸けて倒しましょう」
ラオの体はもはや重度の火傷に包まれていた。治すほどの魔力も彼には残っていないのだ。
だが、彼は笑みを浮かべていた。
目の前の男の命に指がかかった。それがただ嬉しかった。
「長い事焼かれて、燃える火の中に身を置いて、見えるものがあったんだ。俺の中にある、たった一つの火が見えた」
「何を言って」
酩酊しているかのように心有らずのまま話すラオに、カトルロットは狼狽える。
ラオはそれに気づきもしていないかのように続けた。
「俺の中で何かが燃えていた。きっと、コレは魂というモノなんだろう。魂は炎で魔力は灰、それをようやく実感できた。……確かに俺の魔力はすっからかんだよ。このままじゃお前の命を一回減らすことも難しいだろう。だからこそ、魂に火をつけよう」
ラオから今までとは比べ物にならないほどの炎が上がる。
憤怒の炎と魂からくる炎、それが混ざり合い勢いを増していた。
ただ彼が立っているというだけで、床が少し溶け始めている。
「魂を燃やすことの意味を知らぬわけではないでしょうに。愚か者が……!」
「そうでもしなけりゃ怒りが収まらねぇんだよ。第二ラウンドと行こうか。勿論逃げられると思うな」
カトルロットの魔力によって包まれた拳がラオに届く前に魔力ごと炭にされた。
火力が上がったことにより保護に必要な魔力が段違いに上がったのである。カトルロットがそれに気づき、魔力を増やす前に拳が焼け落ちたのだ。
そして腕が炭になり、落ちるのと同時にカトルロットは火に包まれて死んだ。
彼から距離を取ろうとカトルロットが足に力を入れた瞬間に、足の感覚が無くなりそのまま炭になった。
魔法を使おうと思考した瞬間には脳は焼かれていた。
魔力を振り絞りこぶしを握るが、ラオに受け止められ骨の髄まで焼き尽くされた。
カトルロットは焼かれて死んだ。
「あと何人だ? それとも……もう終わったか?」
カトルロットが倒れ伏せ、立ち上がらなくなったのを見てラオはそう言った。
ラオの火は少しずつ火力が弱くなっている。強引にエネルギーを引き出した代償がすぐそこにまで来ていた。
「正解です。もう信徒たちはいません。……負け、ですか」
死を目の前にしてカトルロットは未だ恐怖を感じもせず、ただ穏やかにそう言った。
ただ、ラオを倒せなかったという事への悔しさのようなものを浮かべていた。
「最期に何か言う事はあるか」
「無念です。せめて捧げてくれた信者たちの為にも勝ちたかった」
「そうか」
カトルロットは灰になり風に舞って消えた。彼は肉も、骨すらも残らずその命を絶えさせた。
ラオはようやくそこで力を抜き、倒れ込んだ。彼の指は灰になり、体のいたるところが炭になっている。
魂の一割ほどを燃やしてしまった為に、彼から彼である為のモノが一割ほど失われていた。
だが失ったものを知覚することが出来ないため、彼にはその深刻さはわからない。
しかし彼はカトルロットを殺す為に払ったその代償を後悔する事は無いだろう。
「疲れた」
そう言ってラオは目を閉じた。
救恤の聖書
救恤の枢機卿カトルロットの持っていた聖書。
平等教には聖書というモノがそもそも存在しない。だが、カトルロットは肌身離さずその本を持っている。
その本には教えを説く際に生じる愚かな問いへの回答が書かれていた。
速やかに疑問への回答を与えるために、多くの人に教えを与えるために。彼は考え、答えを書き記し続けた。
それでも教えに理解を示さない人間へは救恤の力によって教えを植え付ける。
愚かであることは悪しき事なのだから。
しかし、盲信である事は悪しき事ではないのだろうか。




