55話 怖いほどの青空は嵐の予兆
「おはよう。もう着くよ?」
気が付くと俺は馬車の中で眠っていた。
目の前には俺のことをのぞき込むファセスの姿。
脳みそが錆びついた歯車のように動かない。どういう経緯でこうなったんだったか。
「ほら起きた起きた。友達のために急がなきゃいけないんだろ?」
冷水をかけられたようだった。ぼやけた視界が少しずつ鮮明になっていく。頭が目の前の景色を正しく認識し始めたのだ。
友達、俺の友達。
学校で俺に唯一話しかけてきてくれたあの二人。
零摩と立夏が危ない。そういえば、そう言う話だった。
立ち上がり、馬車の窓から顔を出して辺りの景色を見る。
遠くの方に国らしきものが見えた。馬車の速さは驚異的なもので、すぐにたどり着くことだろう。
日が少し傾いてきている。だが、俺に眠気は無い。
何故ならば今起きたのだから。
「すまん、迷惑かけたか?」
先頭で手綱を握るラオにそう話しかけた。
だが彼は振り返りもせずに返した。
「ルシファーから話は聞いている。危ないから引っ込んでいろ。急いでるんだから揺れるぞ。落ちては元も子もないだろう」
「恩に着る」
「返しているだけだ」
馬車に顔を戻した。
あの距離ならばもう一時間もせずにつくことだろう。
決戦の時は近い。
時が来る前にファセスの肩に乗っているレヴィアタンに、ずっと胸に引っ掛かっていた疑問をぶつけてみることにした。
「教皇の奴を倒せば平等教は無くなると思うか?」
「無理だろう。大罪人や俺ら悪魔は何回も打倒されてきた。だが俺はここにいるし、大罪人はいなくなっていない」
「無理な話って事か。そりゃそうだな。根絶なんてする気も無いし出来る気もしない」
今俺がしようとしている事は平等教に喧嘩を売る事だった。そして彼らが生き残る以上彼らは俺を敵だと伝え残していくだろう。
俺の平穏は、訪れるのだろうか。
「ねぇサイガ。君の目的って何さ」
そんな俺にファセスが声をかけてきた。
「……そうか、うん。パニックになってた頭が落ち着いた。ありがとう」
「いいさ。大したことじゃない」
俺の目的はただ一つ、安心して眠るために心配の種を全て消し去る事。
快眠こそが俺の目的だ。
だからこそ友達が危険にさらされているという最大のストレスを取り除かなければならない。
つまりは二人さえ取り戻してしまえば、今の最大の悩みは解決するのだ。
「平等教は気に食わないが、根絶はどうでもいい事だった。俺は平等教の考えが受け入れられないんじゃなく、友達を攫われたから戦おうとしていたんだった。とりあえず二人を取り戻したいんだ」
「そういえばその二人ってどんな人なの?」
「確かに……話したことなかったか。寝てばっかだった俺を外の世界に引っ張り出してきたお節介焼きだよ」
「面倒じゃなかったの?」
「そりゃ面倒さ。面倒だったけど、日常になりゃ愛着もわく」
「……そ。そりゃ取り戻さないとね」
「すまんな」
「友達の大切さはわかってるつもりさ。いなかったからね」
ファセスは全くの化け物だ。
人からもアンデッドからも疎まれた彼女は友人と呼べるものは一人足りともいなかったと言う。
俺には二人の友達がいた。俺には彼女の孤独はわからない。
話が終わって、馬車の中に静寂が訪れた。馬の蹄が地面を蹴る音と車輪が激しく回る音だけが響いている。
「勝てるのか」
あんまりにも静かだったから、一つ、弱音が漏れ出た。
俺は大罪全員の力を借りれているわけではない。
なんなら暴食なんて俺の手で倒してしまった。
不安が俺の背後にいる。何をするわけでもなく、ただ後ろに立っている。俺の肩に手を置くことはないが思わず振り向いてしまいたくなるような、そんな嫌な存在感が俺の心を揺らしていた。
「けっけっけ、弱気になってんのか小僧」
蛇が俺の頸に巻き付き、恐れを嘲笑しながら話しかけてきた。
ファセスが彼に注意しようとしたのを手で止める。
「まぁ、な。大一番だ。それに友達の命もかかってる。流石の俺でもナイーブになるよ」
「良いことを教えてやろう。その恐れは誰だって持っている。百戦錬磨、一騎当千の兵でもな。だが奴らは一度戦場に踏み入れれば、恐れを感じてすらいないような思える動きをする。それが俺の経験上一番厄介な戦士だ。逆に言えば、戦前ならいくらでも恐れたっていいんだぜ」
「そりゃわかってる。でも俺が死線でこの震えを抑えられるかわからないんだ」
「きっきっき。そりゃ簡単だ。剣を抜いてみろ」
不安でたまらなかった俺の手が微かに震えながらも柄を握る。
ゆっくりと力が入り、その刃を引き抜き外気に晒していく。
そして剣の先が鞘の入口を通過した瞬間、景色が変わった。
カタカタと震えていた腕は鋼のように硬く、ぶれていた眼はまっすぐ前を見つめることが出来ていた。
「かっかっか、お前みたいな手合いはそうなるのよ」
「こーら、馬車の中で剣を抜かせたら危ないでしょ」
ファセスがレヴィアタンの頭にチョップを落とした。
だが俺の身体は大きく揺れることも無く体幹により衝撃は吸収されている。
今俺が剣を抜いた瞬間に思考が、熱い鉄を叩いたかのように不純物は叩き出され、一方向にまとめ上げられた。
命の選別が消え、全てが平等に見える。
すぐに俺は剣を収めた。
嫌な汗が背中を伝う。あんな景色俺は見たことがない。
爺との修練の時も、この世界での戦いの時も、あんな境地に至ったことなどない。
あの景色の中であれば俺の今までのどんな一撃よりも鋭いものが出来上がる、そんな確信があった。
だからこそ違和感と恐怖は増大していく。
何故だ。何故こうなった、俺は誰だ?
目の前で指が鳴らされる。
前すらも見えなくなっていた俺はその音で現世に戻された。
「起きた? もう着くってさ、ラオが」
急いで外に顔を出してみればいつのまにやら遠くにあった国が近づいてきていた。
その距離は中の惨状が見えるほど。色欲が暴れているのだろうか、余波なのか。
建物が崩れ煙をもうもうと立ち上がっている。
「サイガ、準備しろ。サタンが上に乗って見張っているとはいえ、いつ攻撃を受けてもおかしくない」
「わかった」
席に座り、腰にある杖を撫でる。
そして一呼吸深く吸う。
とりあえず全ての疑問を脳内で斬って捨てた。今はとかくそれでいい。
戦いが終わった後にでも拾い集めるさ。
「死ぬなよ」
出来るだけ。そう祈った。
殺し合いだ。殺すのだから殺されるのも仕方がない。だが願わずにいはいられないのが人間だろう。
ただ一つ懸念があるとすれば。
俺にもう一度剣を握る勇気が未だ少しだけ足りていないことだった。
大罪の記憶3
二つの神は酷く悲しんだ。
だが、落ちた涙の雫が意志を持ったことから、彼らは人の為に使徒を作ろうと考えたのだ。
涙では未熟だった。故に彼らは己が肉体と魂を切り分けた。
使徒を作り、人の為に世界へと解き放つ。
世を乱しすぎないようにセーフティを作り出そうとした時、彼らにはもはや最低限の身体しか残ってはいなかった。だが神々に躊躇はない。この世に生きとし生けるモノたちの為に。
そうして、原初から世界を見守り続けた二つの神はその生を終えたという。




